サッカー指導者として飛躍(浦和市立高校)時代④
浦和市立高校に赴任して2年目に、晴れてサッカー部の副顧問になり空手部の顧問を離れた。
4月11日、関東大会の予選、県大会の一回戦で杉戸高校にまさかの敗戦を喫した。その試合に1年生ながらDFとして出場したのが堀之内聖だった。まだ仮入部期間中だった。
その後、インターハイの予選は大宮東高校に敗退した。その試合後、数人の主力選手が退部した。堀之内ら1年生の数人の選手がAチームの試合に帯同することになった。
その頃、浦和高校サッカー部顧問から「日伯友好100周年の今年、ブラジルに浦和の老舗4校の1年生で選抜チームを作って遠征しようという案が出ている。あなたは監督でないから夏休みに時間が取れるだろうから引率して」と言われた。※その年、日本のあちこちの高校生がブラジルに渡った。その1人が後の日本代表になった中沢佑二少年だった。
ブラジルに渡った24人の中に堀之内を含めた浦和市立の1年生5名の名前はなかった。彼らはAチームに帯同していたため、ブラジルへ行くメンバー選考のセレクションに参加することが許されなかった。
あの時に堀之内がブラジルに行っていたらどうなっていただろうと思う。ちなみに、ブラジルでの同じ宿舎に東福岡高校サッカー部がいて、後に鹿島アントラーズで活躍した本山雅志少年がいた。
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