高校教師からバルセロナへ⑥
彼はバルセロナにある歴史のあるクラブチーム(もちろんバルサではない)の門を叩き、報酬はいらないからユースチームを教えさせてほしいと頼んで、実際に教える機会を得た。
また、日系人が経営しているホテルでバイトをしている時に、カメラマンと仲良くなり、当時バルサの監督をしていたペップのコメントを日本語に訳して配信するWOWOWの仕事を得た。
その後、久保建英少年のお世話をしたり、着実にバルセロナでの地位を確立して行った。そして、いつの間にかバルサのカンテラ(ユース)のコーチたちと仲良くなり、起業し、彼らを日本に連れてきて、彼らに日本の高校サッカーのチームや、Jリーガーに指導をしてもらう仕事をしていた。
ある時、バルサのカンテラのコーチが指導したFC東京の高橋選手の天皇杯の試合を観たいと、彼から連絡があり、たまたま私が熊谷陸上競技場で行われるレッズvs FC東京のチケットを持っていたので、彼とカンテラのコーチたちが熊谷高校を訪れたことがあった。私はせっかくだからサッカー部員(Aチームは試合に出ていたため、その他のメンバー)に話をしてほしいとお願いした。彼が話し終わった後、スペイン人コーチたちが「俺たちにも話をさせろ」と言い出した。思いもかけず、彼ら熊谷高校サッカー部員は世界のトップのコーチの話を聞く機会を得た。その内容は、当時バルサのトップチームで活躍していたペドロより、ユース時代に目立った選手はいた。でも、勘違いして自分はもう教わることはないという態度を取っていた選手は消えていった。ペドロのように謙虚に他人の話に耳を傾けられる選手が生き残る(Jリーグチェアマンだった村井さんが傾聴力のある選手がプロとして生き残ると話されていたが、同じ)。だから、監督やコーチの話をよく聴くようにということだった。
私は生徒たちに「今日、すごくいい話をしてもらったけど、通訳なしで理解できたらさらに良いと思ったでしょ。だから語学の勉強は大切だね(ちなみに私は英語教師)」と話した。
あのBチームのメンバーの中の1人が、東京ヴェルディのアカデミーでトレーナーをやりつつ早稲田の大学院から東大博士課程に進学し、スポーツ科学の勉強をしている。確実に繋がっている。ちなみに、彼の熊谷高校サッカー部の1年後輩の男が、現在、浦和レッズユースでコーチをしている。彼(レッズユースコーチ)についても後ほど言及したいと思う。