初めてのサッカー部監督(上尾高校時代) ③ 

私が上尾高校に赴任したのは2000年4月だが、その当時は(今でもそうかもしれないが)、野球部のエースで4番がサッカーをやったら、相当いい選手になると思っていた。

1学期期末の球技大会のサッカーの試合で、半数以上が私が1学期間指導した1年生が出場しているクラスが、ほぼ野球部員(甲子園の予選にエントリーしているメンバーは怪我を恐れて出場していない。つまりスタンドで応援メンバー)の3年生のクラスに全く歯が立たなかった。私は出場していた1年生のサッカー部員たちに「なんで負けるんだ。こんなにサッカー部員が出て」と言ったところ「先生、速い、強い、そしてスライディングは上手いんですよ」と返した。実際、クロスからダイビングヘッドで点を取られていた(彼らはヘッドスライディングに慣れているからゴール前に飛び込むことを恐れなかった。ちなみに、サッカー部員は、私がダイビングヘッドの見本を見せても、怖がってできなかった)。

私はあの頃強かった浦和学院野球部にサッカーを1年間教えたら埼玉県でベスト16になれるのではないかと思った。

サッカー部にも1年生で身体能力抜群の生徒が1人いて、「俺がサッカーを3年間教えたら、大学の関東大学リーグの試合に出られるようになる。それくらいの運動能力だ」と彼に告げたことがある。彼に「なぜサッカー部なんだ?」と聞いたところ「先生、僕レベルでは甲子園を目指す野球部では通用しませんよ」と言われ、衝撃を受けた。

彼が試合中、斜め後ろにジャンプしながらジャンプヘッドを地面に叩きつけてゴールした際に「モノが違う」と思った。また、背が高かったのでGKをやらせてみたこともあった。当時、筑波大学蹴球部のGK(後のJリーガー)だった浦和市立高校の教え子に来てもらい、彼にGKトレーニングをしてもらったことがあった。筑波の教え子は「先生、運動神経って重要ですね。今まで教えた中で1番筋がいいです」と言ってくれたが、本人は「痛いからGKはやらない」と言っていた(芝生だったら、、)。

その生徒は1年間指導したら、経験者をごぼう抜きし、1番いい選手になった。だが、彼が2年生になった時に私はもういなかった(あのまま教えていたらどうなったのか)。


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