サッカー指導者として飛躍(浦和市立高校)時代⑤—ブラジル珍道中1
1995年夏休みにブラジルに行った際、旅行代理店がどうにも信頼できなかったので、何回も「全員24人で一緒に行けますよね」と何度も何度も確認しておいたにも関わらず、成田空港に着いてから「私と浦和市立高校、浦和西高校の生徒が先の便、浦和南高校の顧問と浦和高校、浦和南高校の生徒が後の便となった」と平然と言う旅行代理店スタッフに唖然とした。
ブラジルにはニューヨーク経由で行った。先に着いて乗り換えの手続きを終えた私はケネディ国際空港の到着ロビーと出発ロビーの間を行ったり来たり。だが、どこかですれ違ったのか後発便のメンバーが出発ロビーに座っていた。私は後発組の先生に「乗り換え手続きをしました?」と尋ねたら「何それ?」との返答。慌ててブラジルへの航空会社のカウンターへ行き、乗り換えの手続きをしようとしたところ、無情にも「ノーシート」。隣の旅行者は涙を流して懇願していたが「ノーシート」。次の便は何時に出るのか聞いたところ「3日後」と言われた。NY滞在費はVASP航空(2005年に運行停止)が負担した。
結局、旅行代理店のNY支部に電話して、後発組の面倒を見てもらうことをお願いした。私は後発組の先生にブラジルで使う予定だった500ドルを渡し「これで何とかしてください」と言って別れた。後で聞いたのだが、後発組はホテルから一歩も出ずに3日過ごしたそう。自分が後発組だったらNYを体験できただろうに。あれから29年、一度もニューヨークに行っていない。
ちなみに、その旅行代理店に無駄にかかった500ドルを弁償してほしいと連絡し、あちらも了承したのにも関わらず、いつになっても振り込まれないため、恵比寿にある店舗に行って取り返してきた。その後、新聞にその代理店の社長が金を持って夜逃げしたという記事が載っているのを目にし、「やはり」と思った。