先輩教師との北京・シドニー珍道中④ 

ツアーの皆さんとエア・チャイナに乗って、数時間後には日本に到着すると思った矢先、何やら振動を感じて機内がざわつき始めた。気にせずいたら、窓から外を眺めていた飛行機オタクの先輩教師が「尾翼から油を放出している。不時着した際の爆発を抑えるためだ」と言い出したが、「またまた」と思って冷静だった私も添乗員さんが小声で言った「まずい」が聞こえてきたら急に手が震え出してきた。そして遺書を書く準備を始めた。なぜかわからないが、同じツアーの中に機長が話している無線を傍受している人がいて、彼が「レーダーに落雷を受けて壊れ、飛行機がどこを飛んでいるか分からなくなり、有視界飛行をしている」と言った(初めて有視界飛行という言葉を聞いた)。結局、シドニー空港に戻り、無事着陸したが、彼の言っていた通り、レーダーが壊れたが、古いタイプでオーストラリアにはないので、北京から香港経由で空輸しなければならず、数日待たされることに(3学期の始業式に間に合わなかったらまずいと不安になった)。

私と先輩教師は、ヒルトン シドニーの、もの凄く広いスイートルームを用意された。1泊いくらしたのだろう。2度と泊まれないと思うほど豪華だった。もちろん宿泊費は航空会社持ちだった。とても快適だったが、このままだと始業式に舞い合わないという焦りもあった。

添乗員さんは毎日空港に行って、飛行機の席を譲ってくれるよう航空会社にお願いしてくれていた。そして彼が、ツアー客全員を集め、「このままいつ帰れるか分からないまま待つか、それとも20万円の航空券を購入して帰るか決めてほしい」と告げた。格安ツアーで20万円しなかったのに20万円払って帰る選択肢は私にはなかった。しかし、先輩教師は迷わず20万円払った。先輩が帰国便に乗る前夜、お母さんに国際電話したところ、「ふくTちゃんを置いてきていいの?」と言われていた。

先輩が帰った後、他のツアー客に「あなたのお友達、あなたを置いて1人で帰ってしまったの?冷たいわね」と言われるたびに「僕がケチなだけで彼のとった行動が正しい」と答えた。

相棒を失った私は、京都の役者さんと過ごした。そして、このタイミングで飛行機に乗れなかったら始業式に間に合わないというタイミングで、添乗員さんが「ANAさんが10席だけ用意してくれました。ルールではファミリーが優先」と言った瞬間、周りのファミリーを見て「終わった」と思った。しかし、すぐに添乗員さんが「でも、ファミリー全員はアンフェアか。ファミリーの中のお一人残って下さい。すぐに帰らないとまずい職業は学校の先生ですかね。学校の先生の方、手を挙げて下さい」と言ったので、「はい」と大声を上げながら手を挙げた。周りの人が一斉にこちらを見て「え!お兄さん、先生だったの?」と。私は「実は」と答えた。

帰りのANAの機内で隣に座っていた中学の教頭先生に「教育は愛と勇気」、「我以外みな我が師なり」、「夢なき者に目標なし、目標なき者に計画なし、計画なき者に行動なし、行動なき者に成果なし」という言葉をいただいた。

始業式前夜に大宮駅に着いた私は、自宅に向かうバスに乗る前に先輩教師に電話して「おかげさまで始業式間に合いました」と言った。彼は先に帰って学校でみんなに褒められると思ったら、非難されまくったらしい。翌日、学校に出勤すると、ある人に「ふくTちゃん、友達選んだ方がいいよ。友達を置いて先に帰ってしまう薄情者」と言われた時、一銭も余計に払わず間に合ってしまい申し訳なく思った。

その後、しばらくは京都の役者さんが東京公演に来るたびに観劇に渋谷まで行った。しかし、劇場のジャンジャンが閉鎖されてからは付き合いがなくなってしまった。


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