羨ましいだけ。
私の通っていた小学校はとても小規模で、一学年の人数が10人前後だった。
どの学年も仲が良かったが、私の学年は特に仲が良かった。
中学生の頃は全員でディズニーランドへ行ったり、高校生になって全員進学した学校は違うのに夏休みに集まって遊んだりした。
親からも「あなたの学年は特に仲が良いね」と言われる程だった。
しかし、高校を卒業後は全員で集まったことがない。
誰かと誰かが喧嘩したわけでもないし、最初の頃は集まろうと話しはするものの、住んでいる地域が離れて、全員が多忙で全くと言って良いほど予定があわず、とうとう話すらでなくなってしまった。
私は個人個人と連絡を取り合いたまに遊んだりしていたのだが、だからこそ寂しさを感じることがある。
小学生の頃、同じ方向を向いていたのに、今はみんな自分のやるべきことをやっているとひしひしと感じるのだ。
でも、大人になるということはこういうことなのだと思う。
芸能関係のお仕事をしてる同級生は、キラキラとしていて、眩しすぎる。
華やかな世界にいるので、雰囲気が華やかなのは当たり前でその裏でとてつもない努力をしていることもなんとなくだが理解している。
しかし、やりたいことをやっている姿が羨ましく思うこともある。
日本中を転々としてフリーワーカーをしている同級生は生き生きとしている。
日本各地にコミュニティがあって、たくさんの友達がいて、その子のインスタグラムはとても賑やかだから、羨ましく思うこともある。
他にも入りたかった企業に入社して、苦しみながらも楽しそうに働いている同級生も、遠い土地で気の向くままに働く同級生も、公務員になって精神擦り切らしながらも親孝行している同級生も、どこか羨ましく思うこともある。
やりたいこともないし、学もない、入れそうな企業に入社して、何も感じず毎日淡々と働いてたわたしとは違う。
だからといって、彼らや彼女らのような人生を歩みたいかと言われると、全くそんなことは思わない。
みんな見えないところで苦しんでいたり傷ついているのだろうから。
わたしが見えている彼らの人生は一部でしかないから、羨ましく思うし、憧れを抱くこともあるけど、成り代わりたいとはこれっぽっちも思わない。
自分とは違うから羨ましいだけ。ないものねだり。
私の今までの人生は平坦で山も谷もなかったし、とてもとてもありがたいことに心身共に健康だった。
多分これは他の人から見ればつまらない人生と言うひともいるかもしれないが、羨ましいと思ってくれるひとももしかしたらいるのかもしれない。
私自身もこれからの人生、このまま平坦で有りますようにと切に願う。
そして同級生達の人生も彼らが想い描くような色鮮やか人生になることを心から願う。
それぞれの活躍が私にとっても自分のことのように嬉しいことなので。
何が言いたいか、自分でもよくわからなくなってしまったけど、わたしは地元でみんなを応援しています。
何かあれば話を聞くことしかできないけれど。
地元に帰ってきた時は、色んな話聞かせてもらえると嬉しいです。
ずっと変わらない拠り所のような人間になりたい。
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