見出し画像

やる気が出ないと言いながらゴリゴリ動くってギャグかよ

あぁ春だなぁ。やる気が出ねぇなぁ。


と思いながら、明日からのアクティビスト向けの学びの合宿のために広島に来ている。

いや客観的に見たらゴリゴリに学びにきてるやないか。
冗談みたいなスタートですみませんね。

ちなみに俺は朝がめちゃくちゃ苦手なので、早起きに自信がなく、ただ1人会場に前入りして前泊している。
管理人さんは自宅に帰ったので、なんと優雅に本日は戸建てにたった1人。

一人だけ前入りして学びの合宿って。やる気満々か。
ゴリゴリやないか。(2回目)

しかし確かに気持ちの上ではやる気が出んのだ。
こんなテンションで、明日からのアクティビスト向け講座なんてものを乗り切っていけるのだろうか。

でも待てよ、そもそもやる気ってなんだ?

なんというか、物事に対して前のめりに関わっていこうとする姿勢っていうか、溌剌としてる感じというか積極性とかエネルギーに溢れてるとか、そういうものに近い感じはする。

そういう点で言えば、今の俺は超ゆるゆる。
疲れてガス欠ってわけでもないのに、なんというか、ぽかっとしてる。

俺は現場の人(自分の仕事や活動でいうなら、子どもたちや先生、クライアントさんたちなど)に会って話してないと、すぐやる気がなくなってしまう。
そして今は春休みで、そんな機会が長らくないので現場の人とはあまり会えていない。
ゆえに、ゆるゆるになっているというわけで。

これはとてもいいことなんだけど、ご縁と自分の取り組みにより、特にセクシュアリティ関連の自分の困難がだいぶ落ち着いてきた。
リアリティとか切実な課題感とかが、1年くらい前と比べて質感が変わってきた感じがある。

『自分や友達のことだから、取り組んでないとすぐ死ぬ』みたいな危機感や恐れは、(まだあるけど)だいぶ付き合い方がわかってきて。
少なくともすぐには死なない感じになってきた。

けれどそれでも活動を続けているのは、利他の心や使命感が大きい。あっなんかいい感じに言っちゃった恥ずかしい!そんなキラキラした感じでもないのに!!カッコつけるな俺!!

俺はたまたま恵まれて、学ぶ機会や仲間や居場所に恵まれ、知識を得たりトレーニングで自分の能力を伸ばす機会も得られた。
でもそれって、俺だけでやってこれたんじゃない。

恵まれて得てきた知識や力や機会を、そうでない人や、後から歩いてくる若い人にシェアしないと、なんか居心地が悪い。
だって元々は自分ももらったもんだし。

俺だけ色々持ってても、それってあんまり嬉しくない。知識や居場所や力は、みんなが持ってた方がいい。それでみんなどんどん自分らしくなっていけばいい。

それに、自分の恵まれたことってなんというのか、先人から「託された」みたいな感覚があるのだ。
だから、次の人に渡す役割をしないとな、みたいな気持ちで、講演等の活動を続けている。

でも、講演を始めとする活動は、今まで長らく怒りや危機感や恨みや恐れの爆発的なエネルギーを使ってやってきたから、それを情熱に転化してエネルギーとして使う方法が、まだ自分の中に確立してない感じがある。

なんというか、これはやる気がないというより、エンジンの切り替わりの時期って感じなのか?
なんかまだええ感じに言ってる感がなくもないが、まぁそういうことにしとこうかな。

とにかく、明日からのアクティビスト講座では、「自分が満たされながら活動を続けるためのエンジンの切り替えについて」を探究しようか。

ありゃ、結局こうして「やる気ない」とか言いつつ目的の設定までしてしまった。。

俺ったら真面目だ、ほんと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?