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もう情熱を隠さない
最近、お世話になっている師のひとりから
「あなたは熱意のままに突っ走っていい。周りをどんどん巻き込んで、死に場所を求めるように生きることが、あなた本来の魂を生かすことだ」
というようなことを言われた。
その言葉に、燃えるような情熱を自分が本当は持っていることを自覚して、今じわじわと嬉しさが込み上げている。
なんだろう、本来の自分に会えて、というか思い出せてホッとしたというか、しっくりきたというか。
ああ、もう我慢しなくていいんだ。
抑えなくていいんだ。
そんな感じ。
師の言葉に勇気をもらって、少しずつブレーキを緩めている。
そしたら、割と元気が出てきた気がする。
真実を生きると、人は勝手に元気になるつくりになっているらしい。
20代の10年くらいは、社会に馴染むことを優先して、なんだか随分と穏やかで大人しい感じに擬態していた。
でも振り返ってみれば根源的な私は随分我が強く、直情的だったように思う。
母に聞いた話によると、3歳くらいの頃に叱られて
「そんなことするんやったら出ていき!」
と言われた私は
「わかった」
と言って靴を履いてよちよち出て行ってしまったそうだ。
慌てて追いかけた母が玄関を出る頃には、もう家の前の通りに出ようとしていたらしい。自立心が過ぎる3歳児である。
もっと小さい時は泣くより食べるよりずっと寝ていて、あまりに寝るから定期的に呼吸確認されてたりとか。
やっと目を覚まし始めたと思ったら早々に「あ、いいです」と乳離れして、もりもりメシを食い始めたりとか。
なんか生きることにまっすぐすぎるし、自我強くない?どんな乳幼児なん?
成長後も、小学生の頃に和歌の美しさに魅了されたあまりクラスに持ち込みまくって百人一首を流行らせたり、そろばんの授業が得意だった関係で勝手に級を作ってクラスメイトに授けたり、中学校で学級委員になった時にクラスのニュースを取り上げるクラス新聞を作ったり、まぁ結構熱意のまま色々創造性を発揮していた。忘れてたけど。
しかし、年を経るにつれて、なんだか自分の問題意識や情熱は、周囲より質量が高すぎるらしいことに気づいていった。
私は長らく孤独病を患っていたから、つながりを失うこと=クラスメイトたちから浮いたりハブられたりして孤立することに怯えた。
ただでさえマイノリティだったし。
それでどうしたか。
身の内に感じる情熱や違和感を見ないようにして、だんだん抑え込むようになっていった。
この痛みも違和感も悔しさも怒りも、大したことないんだよきっと。
ほら、周りも気にしてないやん。
ちらちらと見える内面の炎を見ないふりして、私は自分に言い聞かせ続ける。
大したことない。
自分ひとりで何が出来るん。
暑苦しいのはイケてないよ。
10代半ば頃から懇々と冷や水をかけ続けた私の心の炎は、20代になる頃には随分小さな火になっていたように思う。
ああ、苦しかったなぁ。
私はずっと、周りに合わせようとして、身の内に燃える情熱に必死で水をかけ続けてたんや。
そりゃ、苦しかったよなぁ。悲しかったよなぁ。
燃えるように生きられなくて、悔しかったよなぁ。
セクシュアリティのこととかで見えづらくなっていたけど、自分らしくいられなかったという痛みは、こういう魂の特性をのびのびと発揮できなかったことにも起因していたのかもしれないと思う。
最近、志や情熱の要素を多く持つ、魂的似たもの仲間がぽつぽつと出来始めている。
話してみると私たちの多くは、「アツいね」とか「そんなに頑張らなくても」とか、自分の熱意に引かれたり嘲笑されたり呆れられたりして傷ついた経験を、大なり小なり共通して持っているっぽいことを知った。
暑苦しすぎる自分が変なのかとかダメなのかとか思ってたけど、そうじゃなかった。
私たちの熱意が、そうでない魂の人たちよりも飛び抜けて質量が大きいだけ、ただ違うだけだったのだ。
もっと早く知りたかったな。そしたら、熱い自分を無理やり抑えずに済んだのに。
でも、痛みを痛みとして感じてしっかり嘆くことは、願いに本気になる力になると今は知ったから。
熱い魂の人は熱いままに、愛の魂の人は愛のままに、その人の根源的ならしさを見つめて大切にし合って生きられる世界にしたい。
熱さを恐れずに発揮できるようになりつつある今、私は情熱的にそこに向かっていけそうだ。