「相手にとって都合がいい自分でないと愛されない」に殴り込みをかける
いろいろあって、恋愛に関する古い傷が開き、ここ2-3日心乱れていた。
苛立ちや落ち込みや無力感がランダムにやってきて混乱していたんだけど、ちょっと腰を据えて何が起こってるのか考えてみたら、なかなかナイスな帰結に至ったのでちょっと聞いてほしい。
詳細は省くけど、「相手にとって都合がいい自分でないと愛されない」みたいな考えに、続けて出会ったんよね。
それに対して、俺は「そうじゃない、君は君であることで真に愛されるんだ」と一生懸命伝えたんだけど、ふと思ったの。
連続して出会うって、尋常じゃないぞ。
もしかして、
「相手にとって都合がいい自分でないと愛されない」は、
本当は俺の痛みなのではないか?
だからあんなに一生懸命、そうではないのだと伝えたかったんじゃない?
と思ったら、困ったことにしっくりきてしまった。
あーあ、来たか…また見つけちゃったよ…。
これも願いへの道なんだろうけど、ちょっと最近忙しいから「今かよ!」って思った。
でも真実の気づきは、空気とかタイミングとか読んでくれないし、俺のあずかり知らぬところで全ては最善のタイミングだろうから、とりあえず取り組むことにしたんですよ。
あと、多分この傷を超えないと、望むフェアなパートナーシップにいけない。
今やっといた方が後が楽。頑張れ俺。俺ならいける。
よし、では張り切っていってみよう!
* * * * * *
手始めに、
「相手にとって都合がいい自分でないと愛されない」
が俺の痛みなのだとしたら、俺に何ができるか?
聞いてみた。
そしたら、痛みとして自覚されたから待ってましたとばかりに俺の中にわーわー声が響いた。
「ほんとはそんなんやだ!」
「俺の好意を利用しないで!」
「俺を、自信のなさを補完する道具にしないで!」
おうおう、そうか。
俺はそんな風に感じてたんだね。
今まで気づかなくてごめんな。
そうだよな。
道具にされたら怒って当然、傷ついて当然だ。
そう思っていいんだよ。
俺は人を大切に思って、大好きだったら、やさしくしたくなるし、相手にありのままいて欲しいと思ってそのためのサポートをしたくなる。
それは、相手を愛しているという「気持ち」が前提。
この場合の愛は別に恋愛に限らず、家族愛でも友愛でもなんでもね。
でも、愛する思いそのものではなく、その先の表現や行動だけを求めらたり喜ばれたりすることが多くて、愛する気持ちを受け取られる、という体験はあまりなかったと気がついた。
気持ちを行動に込めて手渡しても手渡しても届かなくて、気持ちを信じてもらえないままに表面的な行動だけ受け取られることが痛かったんだね。
そうだよな。痛いよ、それは。
俺は、俺の愛そのものを信じて欲しかった。
俺の気持ちを喜んでもらいたいたかった。
小手先の表現や行動じゃなくて。
そして、可能なら、愛する相手からも愛して欲しかった。
「愛したら愛してくれるよね?」の打算じゃなく、小手先の表現や行動でもなく、ただ俺を愛する気持ちを感じたかったのだ。
それが得られなくて、痛かったんだね。
そして今回痛んだのは、その傷に俺自身が気づくためだったんだろう。
よし、続けていこう。
「俺の好意を利用しないで!」
「俺の気持ちを、自分の自信のなさを補完する道具にしないで!」
その痛みの裏には、どんな願いがあるのか?
俺は、俺の好意を自分の自信のなさを補完する道具にするのではなく、好意そのものをただ受け取って、喜んでほしいんだ。
俺も、「これだけするから愛してよ」という取引の道具としての言葉や行動じゃなくて、「ただあなたが好きだ」というまっすぐな気持ちや、その奥の自分の気持ちに対する自己信頼を感じたいんだ。
取引の道具なんて、いらない。
取引でつながる関係なんて、いらない。
だって、君は、君であることだけで愛されていいのだ。
俺は、俺であることだけで愛されていいのだ。
本来我々は、取引なんてしなくても、背伸びしたり着飾ったりしなくても、皆その存在そのものが愛されるにふさわしい、美しいものなのだ。
それを信じ合っていたいのだ。
おお、これが真実の願いっぽい。
あー、願いに辿り着けて、ホッとした。
そうだよ、俺は俺であることだけで、愛されていいんだよ。皆もね。
そんな体験がしたい。
そんな世界で生きたいんだよ。
もう、「相手にとって都合がいい自分でないと愛されない」なんて嘘はいらない。
「俺は、俺であることだけで愛されている」
「俺の愛は受け取られている」
「俺は、愛そのものを受け取れる」
という体験を重ねていく。
小さくても見つけていく。
俺はこうして、俺の望む世界を創っていくのです。
そんな世界で、一緒に生きてほしいのです。