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#7 どこまでも広い世界に気付いた日

唐突だが、わたしの人生の分岐点となった出来事について記そうと思う。

あれは、6年前の春。大学生活も2年目を迎えようとしていた頃だった。
なんとなく観ていたテレビに映し出された、ゴミの山を漁って生活する子どもたちの様子。どこの国だったか、なんの番組だったかも覚えていないけど、あの時感じた衝撃だけはハッキリと記憶している。それはまさしく、"わたしの知らない世界"であって、平和大国日本で悠々と暮らしているわたしには、到底想像もつかない世界だった。
本当にこんな可哀想な生活をしている子どもたちがいるのかと半信半疑になったから、何かをしてあげたいというよりも、この目で確かめにいきたいという気持ちになった。

こんな経緯で、本当に思いつきで、ボランティアを探した。ら、すぐに見つかった。ボランティアなのにお金かかるんだ、なんて思いながらポチる。

1週間、カンボジアへ行った。
村で生活しながら、学校で英語と日本語を教えるボランティアだった。
彼らの暮らしはわたしの常識とはまるで違う。でも、その生活がすごく新鮮だった。現地の人とは、言葉が通じなくても心で会話ができている気がした。携帯なんかなくても、友達ができる。貧しい生活であっても、子どもたちは生き生きしていて、夢があって、ちっとも可哀想なんかじゃない。
もちろん大変なこともあったけど、とても楽しかったし充実していた。

カンボジアに行って、テレビを観た時に可哀想だと少しでも思った自分が情けなく思えた。
可哀想なのは自分の方だ。
毎日安全な場所で眠れて、美味しいご飯が食べられて、学校に通える。当たり前のこの生活が当たり前ではないことに気付きもせず、夢も、やりたいこともないと嘆き、狭い世界の中でぼんやりと生きている。そんなわたしの方がよっぽど可哀想だと思った。

あれ以来、自分の価値観はずいぶん変わった。
知らない世界を知りたくて、
ひとりで色々な土地を訪れるようになった。
出会った人達と普段は話さないようなことを語り合った。
少しでもやってみたいと思ったことはなんでも挑戦するようになった。
はじめましての世界は、とっても刺激的だ。
それが自分に合うか否かはさておき、純粋に面白い。世界が広がったおかげで選択肢も増えたように思う。とりあえずやってみるもんだな、と感じた出来事がたくさんある。

あの体験がなければ、間違いなく今のわたしは存在しない。
ボランティアに行くことを決めた過去の勇気に今でも感謝している。たくさんの気付きをくれたカンボジアにも。

世界は、どこまでも広い。
そこで生きる全ての人が、明日に希望を持てる世界でありますように。

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