「怒る」について考えたついでに「パワハラ」についても考えてみた
先日の記事で「怒る」「怒らない」について考えてみました。
「怒る」の良くない部分は、相手の悪いところを指摘することではなくて、感情的になる部分だ、と昨日の記事で私は書きましたが、いろいろな書籍を読むと、そうではないことが書かれています。
例えば、「引き寄せの法則」系の本では、
とあります。
であるならば、たとえ感情的になっていなくても、相手の間違いを指摘するようなことをしていると、またそういう嫌な状況(相手の間違いを指摘したくなるような状況)を引き寄せてしまう、ということになります。
また、仏教系の本では、
とあります。
そうであるとすると、例えば私が、相手の行為が間違っていると思っても、それは単に私がそう思っているだけであって、絶対的に正しい意見とは言えない、ということになります。
なので、相手に対してあーだこーだ言うことはよくない、と。
どちらもある意味、真理なのだと思います。
自分の考えだけが正しいわけじゃない、相手には相手の考えや価値観があるのだから、それを尊重する、ということですね。
なるべくそういう考え方を取り入れて生きたいと思っています。
でも、全部が全部これでおさまるわけではない、とも思います。
例えばどちらか一方が明らかに未熟で、もう一方が教育する立場のとき。
具体的に言えば、「親子」「先生と生徒」「上司と部下」など。
この関係にも先述したような考え方を持ち込んでしまうと、おかしなことになってしまいます。
親が子どもを、先生が生徒を、上司が部下を叱ると、すぐ「パワハラ」と言われてしまう。
そもそも「パワハラ」って、単に怒るとか叱るとかいうことではないですよね。
理不尽なことで、必要以上に立場や権力を利用して、弱い立場の人に精神的・身体的な苦痛を与える行為です。
それは絶対にしてはいけないことです。
でも「パワハラ」っていう言葉がなんだか一人歩きして、普通に上司が部下に指導するようなことも、必要以上に言葉を選んで、遠慮しながらやらないといけないような感じになっているように感じます。
人が何か学ぶとき、褒められて伸びるということもあるでしょうが、ミスをしたときには厳しく指導することも、物事の大切さや事の重大さを理解する上である程度は必要だと思うんです。
でも今は何でもかんでも優しい言葉で言わないと、叱った側が非難されるような雰囲気があります。
それはちょっと行き過ぎではないでしょうか。
古いと言われるかもしれませんが、古き良き日本の上下関係にも良いところはあったと思います。
みなさんがいかが思われますか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
また笑顔でお会いしましょう!
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