適応することを楽しむということ

どうも、すべての経済活動をデジタル化したい福島です。

最近どうも思うように筆が進まずでした。あまり具体的な内容を書こうとすると筆が止まりますが、2週間に1回出すことはコミットしていきたいので、今日は具体的な業務、業界トレンドみたいな話よりはもう少し内面的・精神的な話をしようかなと思っています。

意思決定ストレス

まずは問いを一つ。みなさん最近、意思決定ストレスを感じていますか?ということ。

私は感じまくってます。

おそらく人生で最もライフスタイル、仕事スタイルが変貌した1ヶ月間でした。

弊社LayerXも今までの常識で言うと、対面で営業し、対面で要件定義し、対面で課題解決していくというのが当たり前だし、絶対に不可欠・変えられないと思ってました。

この1ヶ月はすべて、非対面で営業し、非対面で要件定義し、非対面で課題解決にコミットしています。

「リモートワークはスキルである」を合言葉にこの新しい前提に対応しようと、気乗りしない、重い、胃がずしんと来るような意思決定をこの1ヶ月で何度もしました。

経営者としての悩みもあります。自分の経営スキルや仕事のスキルは果たしてこの時代において本当に必要とされるものなのか改めて問われている気がします。今までの時代の前提が弱みにすらなりうるのでは、そんなストレスです。

生存 = 適応

生存とは適応である。生き残るものは強いものではなく、適応できるものである。ただのトートロジですが、「適応」の大切さを実感します。

適応とはアンラーニングであり、新しい標準に対して改めて学び直すことです。

昔は筋肉だと思っていたものが、新時代では贅肉であり、贅肉に感じてたものが新たな時代では筋肉になりうるが、そこは贅肉だと思ってほったらかしていたので、鍛え直さないといけません。

いきなり100kgのベンチプレスは持ち上げられません。まずはバーからはじまり新しい正しいフォームで20kg -> 40kg -> 50kg -> 55kg と刻んでいかないと筋肉は付きません。

その過程はしんどいです。非常に億劫でストレスを感じます。

「発言責任」と「雑談責任」

比喩すぎるので、一つ例を出すと、最近弊社では、旧時代は「発言責任」といっていたものを、新時代では「雑談責任」にきりかえようと話しています。

旧時代では、自分の意志を推敲し、表明することが能力のあかしでしたが、新時代では、曖昧な雑談を積極的にすることで推敲する前に発言し、チームの力を高めていくみたいな能力が求められるということです。

これは思ったよりも習慣チェンジが必要で、だまってると本当に何も伝わりません。くだらないと思う雑談も自分から意図的に仕掛けることで初めて、化学反応が生まれ始めます。

ストレスこそが成長だ

よく成長にはストレッチした目標がいいといいますが、そこの摩擦やストレスこそが成長だなと感じます。

LayerXでは予想に反して、仕事では受注内定の案件が続々と増えていますし、一度も対面であわない採用も回り始めています。

その過程はしんどいものでした。難易度は確実に上がってますがそれに適応して自分の能力も上がっていると感じます。

振り返って過去を思ってみると、自分が最も成長した瞬間は「ストレス」がかかっているときでした。

直感的にはうーん、これはやりたくないなあ、今までとの延長線上で行くと説得が大変な意思決定だなあ、先送りしたいなあと思えるストレスの掛かる意思決定こそ、自分を成長させてくれたのだと改めて思い出しました。

また、個社事例になりますが、役員と話していても、また自分自身としても、LayerXという会社の器の成長に自分がついていけるのか、すごく不安に、ストレスを感じるときがあります。様々な業界知識の深いところ・問題解決に効くレベルのインプットは相当大変ですし、そのインプットをした上で超一流企業の社長クラスと自分が渡り合ってかないといけません。そんなプレッシャーとストレスがあります。

とはいえ不安を感じないベンチャーなどいない、常にこれで十分だと思ってストレッチをしない会社も経営者もいつかは消えてなくなると思います。

充足する日々などない、自分自身にストレスをかけて、アップデートし続けたから今があると思うと、これからもそうやって辻褄を合わせていくように適応していこうと思います。

適応の先にあるもの

やっぱり新しい社会を作りたいです。適応して生き残ったではなく、適応して新しい社会を作ったとなりたい。

いま世の中は大きく2つに割れていると思います。痛みを伴っても新しい標準に適応していこうとする姿勢と、とりあえず嵐がすぎるのを待ってもとに戻るのを待つという適応です。

僕らは前者を選びたい。

というか今がかつてない緊急事態だから、この2つが鮮明に見えるのであって、実は今まで生きてきた日常もこれから起きる日常でも、この二択を突きつけ続けられているのだと思います。

一事が万事、いまある習慣は、昔やっていた習慣・意思決定の癖が反映されるし、今後も、昔やっていた習慣・意思決定の癖が反映され続けます。

当然前者を選ぶのは意思決定ストレスが掛かります。

逆に言うと意思決定ストレスが掛かっているということは、変化しようとする適応を続けているということでもあります。

これから社会の前提は大きく小刻みに、不確実度を持って変わります。

その都度その都度で得られる最大限の情報で、最速・最ストレスフル・そして最善と思われる意思決定と実行を続けていくことに意味があると思います。

その度に必要なスキルを刷新しないといけなく、連続性が失われることもあるのでストレスが掛かります。

それを楽しもう。楽しめるものこそが、挑戦の権利を手にすることができる。僕らはそんなカメレオンのような会社で、経営者でありつづけたいなと最近強く思う次第です。

図らずしも1ヶ月前に書いた予感はすべて的中してきています。適応こそが正義であるという考えは強まります。

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