withコロナの時代と、経済活動のデジタル化
どうも。すべての経済活動を、デジタル化したいLayerXの福島です。
COVID-19(以下では一般に言われてるように「コロナ」と呼びます)がいよいよ本当に大変な所まで来てしまいましたね。引き続き困難な状況は続きますが、生命を守ることを最優先に、文字通り協力して生き残っていきましょう。
コロナとアンラーニング
今回のコロナ騒動で僕も多くのことを学びました。
コロナの初動に対して、正直僕はこう思ってました。遠い中国で起こった感染症でしょ?インフルとあまり変わらないんでしょ?ちょっと過剰反応じゃないかな。。と感じていました。
また経済に対しても、金融危機と違いクレジットの収縮が起きてるわけではない、夏には収束して急激に回復するだろう。実需が戻れば急速に経済は回復するはずだ。
会社としても業態としていきなりリモートワークは厳しい。ソフトランディングするために、検温後の出社、満員電車を避ける時差出勤、希望者はリモートの暫定対応にしていました。
認識が変わったのは、2週間ほど前。欧米で感染爆発が起き始め、株式市場は歴史的水準での下落ショック、相次ぐ移動禁止と都市封鎖による実体経済の急激な冷え込み、急激に上がる失業率...
経済のみでなく、日本でも北海道の緊急事態宣言、海外帰国者からなる第二波、増え続ける日本での未確認クラスター...
このまま無自覚に行動すると日本の各都市も封鎖せざるをえなく、そこまでいくと経済ダメージは相当はかりしれないものになります。
経営陣で上記の認識・判断を猛省し、「俺達はアンラーニングすべきだった、新しい前提の上で、じゃあどうやったら生産的にできるか、考えよう」と、一気にリモートへの準備を進めました。
(言い訳じみていますが、我々はリモートが非常にやりにくい業態であること、まだ未成熟なスタートアップであり過剰反応なのかどうかのギリギリの判断や議論が続いたこと、一方NYでの感染者数の推移や、東京での未確認クラスターによる感染者が急速に増加しはじめたことを背景に「一線を完全に超えた」との判断で踏み切りました)
「新しい前提」が前向きな形を作り出す
頭の使い方を変える、ポジションのとり方を変えるというのは非常に大事で、「さあ、やるぞ」と決めると、「どうやったらリモートでも生産的に働けるか」、「よかったとこ、わるかったとこ、怒る意図はないから全部共有してこの際、効率的なリモートの手法作っちゃおう」という前向きな形になっていきます。
昨日(3/26)より都知事の要請より「週末の外出禁止」および「平日の在宅勤務」が出されました(何故か後者は話題、記事になってなくてあれですが、会見を見る限り同じくらいの温度感で発言されてました)
弊社も、この要請と上記準備、集めたファクト・一次情報から判断し、昨日よりフルリモート勤務を始めています。
(こういった感じでメンバーにも情報をまとめています)
やってみて感じたのは、思ったより新鮮で集中できた、とはいえ一週間丸々これだと、その後は新鮮さも薄れてだれそうだなということです。まだまだ不慣れなのでもっと改善できそうだなという点もいっぱいありました。その他やってみると細かいtipsが出てきて、今日もその振り返りを元に高速でPDCAがまわっています。
(このような感じで毎日、KPTをしてます)
事実として、リモートでオフィスで集まってやるときの生産性を保つのにはいろいろな努力がいるなと思った次第です。
リモートだとサボってしまうみたいな批判もあるのですが、どちらかというと、サボりを防止するより、(一人でいる)寂しさをどうにかしたいなというのが強かったです。
なんとなく普段オフィスに居る時の人がいる感じ、ふと会話に入れる感じがどうやったら作れるかなというところです。
今はdiscordで音声だけつなぎっぱにしてますが意外といい感じです。
そんな感じで、リモート=生産性低いではなく、どうやったら生産的にできるかと頭の切り替えをするのがめちゃ大事だなと。
コロナの一定の長期化が確定し、withコロナの時代がおそらく1-2年くらいあると考えると、もう今までの形はアンラーニングして、新しい前提を受け入れ、新しい方法論を構築するタイミングに来ているなと強く反省した次第です。
ありえないなんてありえない
常識は崩壊します。
LayerXは「すべての経済活動を、デジタル化する。」というミッションに掲げています。その中で会社として様々な企業に関わらせていただいてます。
デジタル化の話をするとき、いつもよくこういう反応をされます。
「言ってることはわかるんだけど、うちの業務フロー変えられないからなあ。電子署名で完結されるのは難しいんだよね。。現状も業務は回っているし紙とハンコでも十分かな」
「不動産REITで誰も困ってないんだよね。今更小口化したりアセットの種類増やす需要なんてないよ」
「うちはリモートワークやリモート会議難しいんだよね。。」
「会社が潰れても止まらないネットワークって言われても、会社なんて潰れないしね」
「株主総会はオンラインで開催できないからね。。」
「証明書を取りに行ったり、対抗要件満たすのに役所に登記にいかないとじゃん。デジタル化してもそんなに意味がないよ」
...
これらすべて、たしかに「平時」ではそのとおりでした。顕在化してない問題でした。平時にあえて変えるような問題ではなかったかもしれません。
こういった企業を責めるつもりは有りません。
「平時」では正しい意思決定だからです。一方「有事」の今あらためて今後の世界を構築していく時に同じ意思決定をするでしょうか?
「有事」の今の気持ちでこれらを見てみましょう。
>「言ってることはわかるんだけど、うちの業務フロー変えられないからなあ。電子署名で完結されるのは難しいんだよね。。現状も回っているし紙とハンコでも十分かな」
電子署名でもいいものを、「あえて」紙とハンコでやっていた。そのプロセスは監査性が残らないため、出社し、正しい稟議フローの上でハンコを押したという過程を残す必要がです。この業務フローがのこっているので、リモートすべきでも危険を犯して出社しないといけません。もし仮にロックダウンしたら、会社の稟議・決裁機能が全て止まってしまうなんてことにもなりかねません、、
>「不動産REITで誰も困ってないんだよね。今更小口化したりアセットの種類増やす需要なんてないよ」
REITはどうしてもマーケットの数値に連動してしまいます。ここ数年の新規投資家は相当高いプレミアムを払わされてたということになります。
またマーケットリスクに連動しないという形でリーマン・ショック以降、私募REITというものが機関投資家では大人気になりました。一方これらは、「個人投資家はアクセスできない」「REITの性質上入る物件やアセットクラスの制約が厳しい」「高い証券化コストにより小さめのアセットが入ることが難しい」などの課題が有りました。
REITがあるから困ってなかったわけではなく、ここ数年の過剰流動性による好況によって困ってなかっただけなのでした。今後はより安定したアセットクラスを求める、証券化コストや期中管理コストをしっかり落としていくなどの本質的改善に注目が集まるでしょう。「ここをしっかりやっていれば」今多少マーケットの変動があろうが全く慌ててないはずです。
>「うちはリモートワークやリモート会議難しいんだよね。。」
当初は僕もそう思ってましたが、考え方や働き方によっては、生産的にやれることも可能です。リモートワークやリモート会議も普段から、デジタル前提に業務を変えておく。複数社が関わる範囲、真正性の必要があるデータやフロー(契約書、請求書etc)もきちんとデジタル化しておけばリモートでも対応できたかもしれません。そうすれば「危険を犯してまで」出社しなくとも経済は回った可能性があります。仮にロックダウンしたら、リモートでやらないといけなくなります。
>「会社が潰れても止まらないネットワークって言われても、会社なんて潰れないしね」
会社、非常に痛ましいですが、この半年-1年で相当の倒産が出ると予測されます。仮にそういった会社が提供しているサービスに過度に依存している会社や事業、サービスがあったら、今回のようなショックで連鎖的にダメージを受けてしまいます。一方ここをデジタル化しつつ、会社に依存せず止まらないようなネットワークを組んでいれば影響が出ません。
>「株主総会はオンラインで開催できないからね。。」
オンライン投票、それに対する不正探知などは技術的に十分可能です。「あえて」オフラインでやったことで、感染のリスクを高めることになるかもしれません。日本では3月決算の後6月に多くの総会が控えています。せっかくの自粛モードで沈静化した矢先に株主総会がオフラインでやらないといけないということが理由で仮に感染が起きたとき、ここに正義はあるのでしょうか?なんの正当性を持って、そこまでのコストを払って「オフライン」でやることにこだわる価値があるのでしょうか?
> 「証明書を取りに行ったり、対抗要件満たすのに役所に登記にいかないとじゃん。デジタル化してもそんなに意味がないよ」
こちらも同様、すでに技術的にはなりすまし防止、ブロックチェーンのタイムスタンプを用いて対抗要件を取るなど十分にオフラインでやるのと同等ないしはそれ以上のセキュリティが実装できる状態です。そこを「あえて」オフラインに強制することで(以下同文
「平時」ではあえてやる必要がないことに思えたことも「有事」には無駄に思える、非合理に思えることも多くあるとおもいます。
有事が平時に戻ったら?
でもこう反論したくなるはずです。今は有事だからそう思えるが、また平時に戻ったら問題ないのではないか、その時あえて投資する価値はどれくらいあるのか?ということです
またおこっても同様にダメージを受け入れてまた同じような前提で同じような仕組みで社会を回せばいいのでは?新たに開発投資をするのは無駄ではという考えもあるかもしれません。
一説では、オーバーシュートした際の経済損失は日本だけでも80兆円にものぼると言われています。世界規模の感染症は少なくとも100年に1度は起こっています(前回はスペイン風邪)。グローバル化が進み人の移動が頻繁になった今、もう少し高い頻度で起こりえます。少なくとも100年に1回80兆円級のダメージが来るなら、毎年8000億くらい投資しても割に合います。
毎年継続的に8000億近く経済のデジタル化に投資できたら、間違いなく劇的に世の中変わるでしょう。(もちろん全てデジタルだけに投資するわけでなく、医療に投資する、インフラに投資するもありえますが、それは今現在もやっているのであえて全て振り分けてみました)
また経済活動をデジタル化していれば、日常の社会的コストも必ず減るはずです。今でも回ってるから新しいものに投資しない、新しい業務の常識を受け入れないというのは非常にコストパフォーマンスが悪いというのが証明されたのではないでしょうか。
感染症の恐怖と、それが実体経済に与えるダメージを学習した人類は、少なくともこれくらいの金額をかけて、「仮に各自が引きこもっても、経済が回る社会」すなわち「すべての経済活動がデジタル化」した社会に投資する価値がある(あったと証明された)ということです。
もちろんこれは極論でもっといい投資先はある、もっと感染症に対しては効果的なものはあるという反論は間違いなくあるでしょう。そういった論点は理解した上であえて極論を言っています。少なくとも、経済活動がデジタル化していれば、経済的なダメージは今回はもっと減らせたと思います。リモートワーク、遠隔診療、フードデリバリー、自動運転etcのサービスが普及していればここまでダメージを背負うことはなかったはずです。
今の記憶があるときこそ、大きく次のパラダイムの社会に投資するチャンス、移行するチャンスであると主張したいのです。
どんなときでも希望は捨ててはいけない
さて、少しポジティブな話をすると、危機のあとには必ず大きなチャンスがあるということです。
日本では幕末の危機のあと、文明開化の流れで様々な企業が生まれました。日本を代表する企業、三菱もこのタイミングで生まれています。
また戦後、焼け野原の後、全く新しいパラダイムの中で、ソニーやホンダといった会社が生まれています。
ITバブル崩壊後にGoogleやFacebookは生まれ、今をときめくベンチャーも多くはリーマン・ショック後の世界に生まれています。ビットコインもリーマン・ショック直後に生まれました。
人間は忘れやすい生き物です、また実際に体験していないと強烈な「必要性・必然性」を感じない生き物なのかもしれません。
今回のコロナの危機は人類に恐ろしい恐怖の記憶を刻むでしょう。
ですが、その恐怖は教訓になります。
新しいイノベーションは今まさに息吹をあげているはずです。
今回必ずわかってる既知のことは、感染症はどんなときでも必ず1-2年で落ち着く。そしてその後は必ず急激に経済が回復に向かうということです。
afterコロナの世界では「経済活動をデジタル化」することに非常に注目が集まると思います。情報のデジタル化が進んでも感染症には勝てませんでしたが、経済活動のデジタル化は感染症に勝つ可能性を秘めています。
このwithコロナ/afterコロナの期間でいろいろな経済のボトルネックが洗い出されるはずです。
なんでこれ紙でやってたんだっけ?
これ集まる必要ある?オンラインでよくね?
この紙、もっとデータ化して、検証性高い形でデジタルに置いておけないの?
いままでのやらない理由が、やる理由に変わるときがきます。
LayerXはそんな未来に向けて、まずは会社として、社会の公器の器の一員として、コロナに負けないよう協力する。そしてその後の世界に必要とされるインフラをしっかり作っていく。そんな会社であろうと思います。
絶賛採用中
こういった状況ですが、やる仕事が非常に多く、絶賛採用中であります。
採用もwithコロナ/afterコロナの時代にそなえて「新しい前提」での採用プロセスを用意しています。