ばあちゃんとカレーがつなげた、吹屋暮らしへの赤い糸。スープカレーの名店「つくし」吉川 壮・和子夫妻
行列ができる吹屋のスープカレーの名店「つくし」。
学校の先生を定年退職した両親がはじめたこのお店を、お店が軌道に乗るまでと手伝いはじめたご主人の壮さん。そして奥さんの和子さん。店舗の裏にある元々はお婆ちゃんの家だった古民家で送る「吹屋暮らし」についてお話を聞きました。
夫婦の出会いと吹屋ぐらしをはじめた経緯
壮さん「僕は高梁生まれ高梁育ちです。吹屋のこのお店は、元々お婆ちゃんの家でした。週末はよく遊びに来ていましたね。山できのこを採ったり、遊んでいました。高校時代はラフォーレ吹屋(宿泊施設)でアルバイトして、お金貯めてDJのターンテーブルを買ったりしていましたね。」
おばあちゃんの家が好きだった壮さんは、「将来ここでカフェをやれたら」と考えていたそうで、高校卒業後、調理師学校に進学。
卒業して就職した最初の職場(飲食店)で出会った先輩が、現在の奥さん和子さんだった。
和子さん「わたしは津山出身で、高校卒業後、岡山の専門学校に。20代は飲食店、30代は雑貨屋で働いていました。」
最初の職場で出会ってから、その後は別々の職場へ。
壮さんは、岡山市内のカフェや飲食店で仕事をしていたという。
最初の出会いから10年後くらいに、たまたま隣同士の店舗で働くことになり再会した(すごい偶然!)。
両親が突然カレー屋を開業、人気店に。
さらに、吹屋で暮らすことになった経緯についても伺った。
壮さん 「教員を定年退職した両親から突然『吹屋でスープカレー屋を始めるわ』って電話がかかってきて。『嘘だろう?冗談だろ?』って思っていたら、本当にお店を開店して。ゴールデンウィークも忙しすぎてパンクするような人気店に。『手伝いに帰ってきて』って話になったんです。」
壮さんは当時、岡山駅前のスペインバルで働いていた。
2018年5月に転職を考えていた事もあり、お店が軌道に乗る半年ほど手伝ってみようと地元に帰ることに。その2か月後に西日本豪雨があり市内の悲惨な状況を見て「高梁を盛り上げる」という想いと「吹屋のお婆ちゃんの家でお店をやりたい」という子どもの頃の想いもあり、Uターンすることにした。
壮さん「帰ってきたら、素人二人(両親)が、てんてこまいで店を回していました。このままでは無理だな、ということで、厨房の動線や食器の配置など、いちから考え直し両親の仕事がしやすい環境をつくりました。」
お店はコロナで厳しい時期もあったが、壮さんが加わって、岡山県でも上位にランクインされるスープカレーの人気店になった。1日30人ほどだった客足は、100人を超えるほどに。
壮さん「お客さんも増えて、両親と自分だけでは大変になっていました。田舎で独身で寂しいな、というのもあり、そのタイミングで結婚することになりました。」
こうして和子さんは、結婚を機に吹屋に移住することになった。
田舎暮らしへの不安は?
津山市出身(岡山県で3番目に大きい自治体)で岡山市内での生活が長かった和子さん。吹屋での田舎暮らしや、壮さんの両親が営むスープカレー店で働くことに不安はなかったのだろうか。
和子さん「もともと飲食店の経験はあったのでイメージはつきやすかったです。岡山市内からは吹屋は離れてはいたんですけど、なんかそれはそれで楽しいかなと。」
壮さん「自分も飲食店時代にカレーの経験があったんですが、自分だけでなく和子もカレーには縁があったんです。」
和子さん「岡山の有名なナッシュカリーっていうところで働いていて、その後も、そこから独立した方が開店したカレーが売りのカフェで働いていました。カレーには何か縁があるですかね(笑)。」
カレーが引き寄せた吹屋への不思議な縁。ところで、肝心の田舎暮らしへの不安はなかったのだろうか。
壮さん「都会と違うよ、生活かなり変わるよって、結婚前にかなり念を押しました(笑)」
和子さん「そうですね。でも、元々買い物とかネットでするし、今は映画もネットで観られるし。そんなに変わらないかな、って。」
あっけらかんと話す和子さんが続ける。
和子さん「田舎で人にほとんど会わない、とかだとストレスがたまるかもですが、吹屋は観光客の方がたくさん来るし、接客業でいろんな方にも会えるので。
もちろん友達とかも来てくれますしね。ホームシックになるとかそういうのはなかったです。自分でも意外に、吹屋での生活を楽しめてますね。」
壮さん「年齢的なことを言ったら怒られるかもですけど、お互いアラフォーで、そんなに『イベント行きたい!』とか『遊びたい!』みたいなのももうなかったので。遊ぶ時は岡山市内とかに出ればいいですし。」
都会暮らしとは言っても、生活スタイルは人それぞれ。とはいえ、日常の買い物なは不便はないのだろうか。
和子さん「そうですね(笑)買い出しは、新見(隣の市)方面に行きます。吹屋からはそちらの方が近いので。ほぼ毎日行きますね。」
和子さん 「想像していたよりも、田舎暮らしで悪い部分っていうのはなかった感じですね」
吹屋ぐらしのいいところ
次に、吹屋ぐらしの「いいところ」について聞いてみた。
二人から口を揃えて返ってきたのは、やはり「吹屋の人のあたたかさ」だった。
壮さん 「岡山市内でマンションで一人暮らしをしていた時は、隣の部屋の人とかも全然知らなかったです。そこは全然違います。」
和子さん「ちょっと散歩行こうか、って出歩くと、地域の人たちとすぐに温かい交流が始まります。(吹屋に住んでいる)猫が最近どうだとか、たわいのない話ですが、都会に住んでいるよりコミュニケーションは多いかもしれないですね。」
元々の知り合いや友達の反応はどうだったのかも聞いてみた。
和子さん 「吹屋に来る途中は、山奥にどんどん入って行って、不安になるみたいなんですが(笑)、来てみるとジブリの世界?タイムスリップしたみたいですごい!みたいな不思議な空間が吹屋にはあるので。」
和子さん 「もうちょっと近かったらもっとよく遊びに行けるんだとかっていう声はあったりします(笑)。でも、吹屋の町並みとかは結構気に入ってくれます。リピートでまた来てくれたりする人が多いですね。」
子育て環境について
和子さん 「子どもたちを、たくましく育てたい、という方にはお勧めかと。虫にも強くなりますし(笑)。」
冗談めかして話してくれた和子さんだが、吹屋の子どもたちを見ていて気づいたことがあったという。
和子さん「近所の小学生の子が、生き物に対してすごい優しいんです。山で遊んでいても、虫とかミミズとかも「可哀想だから」と避けてあげる。自然のなかで生きることで、命に対する思いやりとかも育つんだなと思います。」
吹屋で育った壮さんも、子育てに関しては期待していなかったというが、中高生の頃と、今の吹屋では大きく変わったという。
壮さん「吹屋に若い人、子育て世帯が増えました。それもあり、今は地域の人が子ども向けに本当にいろんなイベントをやってくれます。夏祭り。クリスマス会。花火も上げてくれますし(笑)。僕が中学高校の頃はこんな感じじゃなかった。」
和子さん「小学校は離れていますが、送迎バスが来てくれますし。そういうのは本当にありがたいですね。」
これからやりたいこと!
和子さん 「主人がお酒が好きで、夜のお酒を出せる居酒屋メインのお店はやってみたいです。過去に何度か試したことはあるんですけど、吹屋は夜は観光客は来ないので、なかなかうまく行きませんでしたね。でもチャレンジしたいです。」
壮さん 「冬場は観光客もお客さんも減るので、岡山市内に出て何かしようか、と話していた時期もありました。」
しかし、拠点はあくまで吹屋に置いて、というのが、壮さん和子さん夫妻の考えだという。
壮さん「でもやっぱり、この吹屋の町並みと、婆ちゃんの家だったこの店舗と、非日常な空間とセットでこそうちのお店だと最近は思うようになりました。」
壮さんにとってこのお店は、祖母との想い出がたくさん詰まっている。
ここを一緒に掃除したな、とか、ここで一緒にご飯を食べたな、とか、思い出すのだという。
壮さん「いま考えているのは、うちのスープカレーを冷凍でオンラインネット販売できないかと。厨房とか設備の問題もあるし、資金もかかるので、すぐにはできないですが」
関西でグランプリとかを受賞しているスープカレーのなっぱさんというお店が、冷凍ネット販売を展開しているそうで、参考にしているとのこと。もうすぐ子どもが生まれる壮さん・和子さん夫妻にとっては、売上も増え、生活もより安定することにもなる。
吹屋にあったら嬉しいもの!
最後に、吹屋にあったら嬉しいものについて聞いてみた。
和子さん 「個人的には吹屋にパン屋さんができたら、って思ってます。ハード系のパンが好きなんで、美味しいハード系のパン屋さん(笑)。」
笑顔で話してくれた和子さん。だが、パン屋さんはファンができると田舎でも山奥でも、特に女性はわざわざ買いに行く。辺鄙なところにある人気パン屋さんはある。吹屋の町並みを気に入ってくれる人で、誰か開業してくれたら、と熱く語ってくれた。
壮さん 「コラボしてカレーパンを作ってみるのもありかもですね。新しいお土産品にもなるかもですし。週末だけ開店するパン屋さんでもいいかもです。」
最後は妄想が膨らんで楽しい話になった。
壮さんと和子さん、10年越しの偶然の再会から、カレーとおばあちゃんの想い出の家が運んでくれた吹屋への縁。実はまもなく子どもが生まれる。世代を超えた想いを繋ぎ、これからも、豊かに、彩りのある暮らしを吹屋で紡いでいく。
(インタビュー・文:横山弘毅)