「吹屋に住んでみん会」を体験していたお話
「ここに暮らしたら、どんな人生になるのだろう。」
その一言が、僕が吹屋ふるさと村に住むきっかけとなった。
2022年の秋、四年半勤めた関東地方の会社を辞めた僕が、残っていた有給休暇を使って旅行に出かけた最初の目的地がここ、吹屋ふるさと村。
到着したのは朝の9時半で、まだ通りを行き交う人もまばら。この街が積み重ねてきた長い歴史に思いを馳せながら気の向くままに散歩をしたり、ちょっと足を止めて近くに落ちてきた葉っぱの柄を持って、それを裏表しながら空高く広がった鰯雲を眺めたり。
そんな風にのんびりと過ごす中で立ち寄ったのが村の中心部にある吹屋食堂。聞くところによるとそこの店主は東京からの移住者で、創業40余年のお店を地元の人から受け継いでいるらしい。
打ちたての田舎蕎麦をすすりながら、ふと冒頭のギモンを店主にぶつけてみる。すると、「実際に体験してみたらいいんじゃない?」との返答。なんと、滞在可能な住まいの用意があるから、時間の許す限りそこで暮らしてみたらどうかということらしい。
こんな機会はそうそう有るものではない、そう直感した僕はそのお言葉に甘えさせてもらうことにしたのであった。
結論から言うと、そこから一週間後にはこの場所に引っ越すことを決めていた。結婚と移住はタイミングと勢いであるとはよく言ったものだ。
村の人たちが活き活きと働いている姿が印象的だった。景色が綺麗だった。この場所で飲むお酒はとても美味しかった。楽しい、嬉しい。なんだかとっても清々しい気分だ。
そんな中で、やりたいな、やらなくちゃ、と思える仕事もできた。転職先の会社はすでに決まっていたが、断りの電話を入れた。労働条件通知書の交付を頑なに拒む等、いわゆるブラック企業のニオイが入社前からプンプンしていたので、迷うこともなかった。
住居も村の方のご厚意により借りることができた。家と仕事があれば暮らすことができる。一度埼玉の実家に戻り、諸々の手続きやあいさつ回りを済ませたのち、こうして僕は正式に(?)吹屋ふるさと村の住民となったのであった。
今思えば、村の方々が僕にしてくれたことはまさしく今の吹屋に住んでみん会の活動そのものであった。僕もまた会の一員として、将来移住を希望する人に向けて何か力になることができたら嬉しいな、と思う。
(文:川鍋 裕和)
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