150年の歴史を持つ醤油屋に嫁ぎ、今に紡ぐ。お土産物屋さん「長尾醤油酒店」長尾恵子さん
それはまだ、吹屋が観光地になる前の話。
ー 現在、吹屋でお店を営んでいますが、詳しく教えていただけますか?
元々、お醤油屋さんをやっていた主人と結婚し、吹屋に嫁いできました。主人と義父、私の3人でお醤油屋さんを営んでいました。
主人が亡くなるまで150年間ずっとやっていましたが、今はもう醤油は作っていません。
吹屋が観光地になる前は、ここで醤油を作り、下山して、トラックで運んで商売をしていました。とても大変でしたね。
もろみを使って酸素を入れる作業が特に大変。
酸素を入れるときの音が「ゴブゴブブブブ」って感じで、うまくいかないと「パシャン」って音がしちゃうんです。そうすると、もろみが散って大惨事に(笑)。
もろみが体に付いて痒くなって「掻くなよ、掻くなよ」って言いながら作業していました。音や手間に慣れるまで苦労してましたね。
ー それは大変そうですね。造り酒屋もしていたんですよね?
酒屋は醤油屋よりも20年ほど前に始まっていて、約170年の歴史があります。でも、戦争中に義父が兵隊に取られて、お酒作りができなくなったんです。それで醤油作りに専念するようになりました。
当時は珍しかった、恋愛結婚。
ー 吹屋に帰ってきたきっかけは何だったんですか?
旧・吹屋小学校で臨時教員として働くことになったのがきっかけで、20歳のときに帰ってきたの。実は先生やってたのよ。若かったし一生懸命教えていたね。
その後、公民館に勤めていたときに、主人と知り合いました。
主人が「青年団を作ろう」と、公民館を訪れてきたのが最初だったかしら。
その後、「吹屋におる気があったら、一緒にならないか」と言われて結婚したの。
まだお見合いが盛んなころだったから、自由恋愛で結婚は珍しい方だったと思います。
昭和50年代、吹屋が伝統的建造物群保存地区に。
吹屋に帰って来た当初は、まさか私がお醤油屋さんになるとは思わなかったです(笑)。
変化してきたのは、昭和50年代に伝統的建造物群保存地区に認定されてから。吹屋も観光客が増えてね。お店も忙しくなりました。
それまでお酒や醤油だけを売っていたのが、観光客向けにお土産を売るようになって。観光地のお店らしくなっていきましたね。
若い人と交流できるのが、一番の幸せ。
- 吹屋もお店も変化するなかで、幸せを感じることはありますか?
若い人たちと交流できることが一番の幸せですね。
観光客だけでなく、地元の若い人たちも店に来てくれるんです。
それが私の生きがいです。
特に、若い世代がこの地域に住みたいと感じてくれることが嬉しいです。
鉱山で栄え、たくさんの人が行き交った吹屋。
寛容さと多様性の土壌がある。
ー吹屋ならではの特徴って何だと思いますか?
吹屋はもともと鉱山で栄えた町です。いろんな地域から人が働きに来て、住み着いてきた歴史があります。だから、「その土地ならではの風習」のような、コチコチに固まったものが少ないんです。
もちろん昔からの行事や文化はありますよ。でも強制するものは少ない。
新しい人が入りやすい環境だと思います。
コロナが流行したときも、村八分みたいのもなかったしね(笑)。
人と人が、助け合って生きているのが吹屋です。
人があたたかい。それが吹屋のよさ。
ー なるほど。地方で若者が住みたい街って少ないと思いますが、どんなところに魅力があると思いますか?
とにかく「人が温かいこと」だと思います。
私は、観光客の方でも、地元の人でも、あえて同じように接しています。
お客さんに「これちょっと重たいから手伝ってくれる?」とか言って、手伝ってもらうの(笑)。そうすると、観光客の方も、吹屋の一員みたいな気持ちになれるでしょ。
吹屋の人は、立場や関係に関係なく、フラットに接することが多いと思いますね。
不便なことは、実はあんまりない。
ー 住んでいて、不便なところはありますか?
うーん、特にないですね。
成羽(街中)まで30分で行けるので、そこに行けば何でも揃います。
医療バスも週に2回来るし、生活協同組合が家まで配達してくれるので。不便さは感じません。
運転ができなくなっても生協があるし、生活のネットワークがしっかりしているので安心です。
生活は「住めば都」。空気も良いし、土日は賑やかですが、静かで自分の世界に入れるのでとても住みやすいです。
「長尾さんのお店だけは閉めないで」。
地元の人の声が励みに。
観光客が増えてからは、お店に常に人がいないといけなくなって、私もお客さんと話す機会が増えました。お客さんと話すことで脳の活性化にもなりますし、お釣りを暗算でするようにして頭を使っています(笑)。
主人が亡くなってからも、みんなが「お店だけは閉めないでね」って言ってくれて、それが励みになりました。
人とつながり交流できる幸せ。
与えてもらう幸せより、貢献できる幸せ。
ー貴重なお話ありがとうございました。最後に長尾さんにとっての幸せとは何ですか?
やっぱり、お店を通じてたくさんの人たちと交流すること、地域に貢献できることが私の幸せです。
主人が亡くなった時も、お店を続けることで地域の人々に喜んでもらえました。それが私の生きがいになっています。
楽しいことをたくさんして、この先何十年も生活できたら良いなって思っています。