見出し画像

日本人クラブ(わたしのマレーシア)

この話がしたくてnoteを立ち上げたといっても過言ではないくらい、思い出深い施設、日本人クラブのこと。

日本人クラブというのは、日本食のレストランや図書館が一体になった施設で、とにかく頻繁に行っていた記憶がある。建物のイメージとしては日本の公民館のような、公的施設のようなズドンとした雰囲気だった。おそらく現地の日本人会の事務局的な施設だったんじゃないだろうか。

「日本人クラブ行こっか」と母が言うときは、1階にある日本食レストランに外食しよう、という意味。マレーシアでは外食もそこそこしたと思うんだけど、ほかのレストランの記憶はほとんど残ってない。住んでいたマンションから車で数分(数十分?)。父と母と3人で行くこともあれば、親しい日本人家族たちと連れ立って行くこともあった。

レストランに入ると、すぐ左側にデザートの入ったショーケースがあって、そこにいつもあるオレンジのケーキが大好きだった。三角形のいわゆるショートケーキの形、でも本体はスポンジじゃなくてムースかババロアになっていて、上の層は透明なオレンジのゼリーがつるんと重なっている。小さな三角形に切られたオレンジが飾りで乗っていた。オレンジケーキは注文してもらえるときと、ダメだというときがあるので、「今日はオレンジケーキ食べられるかなあ」と心配しつつ、いつもうっとりとショーケースを眺めていた。

当時3〜5歳だった私は偏食がちで、食べ慣れないものが苦手だったので、外食先では困っていた。大好きな日本人クラブでも、オレンジケーキ以外はあんまり食べる気しないなぁと持て余していた覚えがある。よく頼んでいたのは「たぬきうどん」で、これは関西のそれではなく、関東風に天かすの入ったおうどんのこと。天かすだけすすって、うどんはほとんど食べなかった。

あるときは、到着するまでに車の中で寝てしまい、起きたら食事をしている母の膝まくらの上だったこともある。テーブル席だったので、隣の椅子に体を横たえて。父と母は松花堂弁当のようなものを食べていて、黒塗りのお弁当箱からシャケか何かのおかずを分けてもらった。寝ぼけながらぼーっと日本人クラブを眺めると、いつもと違う場所みたいで面白かった。日本にもある典型的な和風食堂といった内装で、四角いテーブルに角ばった木の椅子、黒塗りの木の屏風で席の間が仕切られて、でもどことなく南国な気分が混ざって、チープな竜宮城みたいだった。

・・・

日本人クラブのもう一つのお楽しみは、何といっても2階の図書館である。

絵本や児童書も借りたけれど、それよりもビデオ(VHS)資料がとても重要だった。普通の映画やアニメもあったと思うけど、目玉は日本で放送されているテレビ番組のテープ。家庭用の普通のビデオテープの中に、例えば「大人向けドラマ」「子供番組」みたいなカテゴリごとにまとめて録画されていた。私の母はよくテレビドラマのテープを借りていて、「抱きしめたい!」とか「101回目のプロポーズ」とか当時のトレンディドラマはマレーシアで見たと思う。

ビデオテープのタイトルを書く細長い部分(これ読んでる方はビデオ見てた世代かな、わかる?)に、ボールペンの手書きで番組名と日付か週が羅列して書かれていた。それが、本当に素人というか普通の人が家庭用に書いたような雰囲気で、おそらくだけど、日本で主婦向けの簡単なアルバイト、もしくはボランティアで納品されていたんじゃないかな。

1本に多分3〜6時間くらいしか入らないから、おおよそ1週間分(もしくは同じ番組が2、3週分ずつ?)。そして、行く度に新しいテープが供給されていた。今はネット配信があるから簡単だけど、当時としてはかなり画期的なサービスだったのではないか。手間を考えると数か月分くらいまとめて納品されてたのかもしれないけど、私の記憶では、日本で毎週連続ドラマやアニメを楽しみにするのと同じようなペースで借りていた。在マレーシア日本人たちのうち、どのくらいの人が利用していたのかわからないけど、貸し出し中ばかりで全然借りられない、となった記憶はほとんどない。

このテープによって「美少女戦士セーラームーン」に出会ったことは一生忘れないと思う。幼児期の私は戦隊モノが大好きで、服装や遊びも男の子っぽいものが好きだった。いつもは「男の子向けアニメ」とジャンル分けされてるテープを借りていたのだけど、あるとき、男の子向けテープの最新刊が貸し出し中だったので母が「女の子向けアニメ」のやつでも借りてみる? と手に取ってくれたのだ。

私は特に興味はなかったけど、まあ見てみるかと気軽な気持ちだった。しかし、そこにはセーラームーンの第一話が収録されていたのだ……! 見た瞬間に虜になって、そこから私の遊びはライダーごっこではなくセーラームーンごっことなったし、女の子向けテープに入っていたほかの番組も摂取したことによって、服装や欲しいおもちゃの急速な女児化が進んだ。日本にいて、テレビをつければいろんな番組がまぜこぜに見られる状況で育つと、こういう急速な変化は起きないのかもしれない。当時の私は何度も(心の中で)母に感謝した。母よ、あのとき女の子向けビデオを手に取ってくれてありがとう! 今のジェンダー感でいうと、女の子、男の子と分けていることが問題だと思うが、とにかく自分の中にあるセーラームーン力が目覚めた、とてもとても印象的な出来事である。

この記事を書くにあたって、日本人クラブを検索してみると、KL日本人会というページが見つかった。 https://www.jckl.org.my/facility_information

この施設案内にある「レストラン日馬和里」の写真はまさに記憶に近くて、とても懐かしい気分。同一施設だとしても改装とかされているとは思うけど、本当にこんな感じだった。図書室はちょっとイメージと違う。もっと暗くてひっそりとしていたような。ビデオの案内も特にありませんね(当たり前か)。まだオレンジケーキあるのかなあ……。

(サムネイル写真、「みんなのフォトギャラリー」というのを使ってみました。当時の写真が手元にないので、次からはこんな感じにしてみようかな)

いいなと思ったら応援しよう!