わたしは菊地真のプロデューサーではなかった(2022.05.15)
バンナムフェス2nd2日目のことだった。
広い、広いZOZOマリンスタジアムの一塁側フロア2から、視力の届く限り、ステージを見つめていた。
彼女は黒い衣装を着ていた。黒が彼女に割り当てのカラーだからだ。彼女は、まるで球場いっぱいのオーケストラへ指示を届けようとするように大きく、その長い手足で空を切る。ぱっ、ぱっ、と歯切れよく止めを入れる。それが音楽にぴたりとはまる。元気にはねて、飛んで、切れ味のいいターン。勢いがよすぎて、かわいらしい、の箱にはとても入れられない。
菊地真だった。菊地真が、歌って、踊っていた。平田宏美さんのパフォーマンスが、菊地真をそこに顕現させていた。
ステージの3塁側へ立つ彼女の姿は、わたしの乏しい視力ではぼんやりとしか捉えられなかった。いや、1塁側へ立っていたって、大した違いはない距離だ。彼女は最初から最後まで元気いっぱいにステージを終えると、3塁側のセットの影から舞台の裏へ帰っていった。
あ、消える、と思った。彼女のいなくなったあとのステージにはぞっとするような欠落があった。彼女のいなくなったあとが、まだ空気によって埋められない彼女の形の真空が、低く蜂の羽音のように震えながら存在していた。
そのとき唐突に、わたしは菊地真のプロデューサーではなかったのだ、と思った。
今、舞台の奥で菊地真がどんなふうに振る舞っているか、鮮やかに思い浮かべることができる。ひと一倍流した汗に形のいい額をひからせて、ちょっとメイクの落ちた顔で、薄暗い舞台裏、出番と出番のわずかな合間、機材やケーブルのすきまを軽い足取りで縫い、メイクさんの待つ椅子へと向かうその途上に、彼女は右手を上げて、わたしに向かってハイタッチをせがむ。白い歯を惜しみなく見せて大きな笑顔を浮かべる。彼女がつけるにはすこし大人びたイヤリングが、明かりを反射してきらっと光る。
舞台の奥、あの子たちの本当の生活のある場所で、彼女を迎えるのはわたしではない。
my songでゆるんだ涙腺から涙がビャッと出た。
わたしは菊地真のプロデューサーではなかったのだ、ということを、そのときまざまざと悟った。きっと、舞台から発せられる強い光が、ごく淡くわたしの顔を照らしていたはずだ。
菊地真との出会いは、わたしが大学生だった頃にさかのぼる。
旋光の輪舞というアーケードゲームに没頭していたわたしは、秋葉原にある東京レジャーランドというゲームセンターで、ふと、アーケード版アイドルマスターの筐体の前に座った。きっかけは覚えていない。旋光の輪舞の順番待ちをしていたのかもしれない。
わたしは百円玉をひとつ入れてゲームを始めた。
アーケード版のアイドルマスターは、ざっくり言えばいろんなミニゲームを積み重ねてプレイするゲームなのだが、基礎ステータスが低い状態では、どんなにうまくミニゲームをプレイしたとしても、アイドルがステージ上で大大大失敗をする仕組みになっている。
太鼓の達人と同じ感覚でゲームを始めたわたしは驚愕した。わたしの手で、この元気で可愛い子(のちにわたしの原アイドルとなる菊地真である)に、クソボロのボロカスのステージをさせてしまった。そのことはわたしの胸に重い衝撃を残した。なんなん、このゲーム、と思った。
そのあとどうしたか覚えていない。空いた席に座って旋光の輪舞をやり、A HIGH-ROUNDER IS APPROACHING FAST!したのかもしれない。
数日後、いつものように東京レジャーランドを訪れたわたしは、再びアイドルマスターの筐体の前に座った。
悔しかった。わたしの手で不完全なステージに上げてしまった彼女に、完璧なステージを踏ませてあげたかった。
そのあとは転げ落ちるようにプロデューサーとなった。連コにつぐ連コ、ひたすら溺れる。日本全国津々浦々で同じ筐体の前へ座り、ガラケーにアイドルからメールが届けば授業もそっちのけにゲーセンへ走り、大学の友人とXbox版のアイドルマスターをプレイしてアーケードから段違いに美しくなったポリゴンにビビり、大きな声では言えないがニコニコ動画やStage6で動画を見まくり、わかむらPの動画をめちゃくちゃマイリスした。わたしのPSPはアイドルマスター専用機であった。アニメ版のアイドルマスターはとりわけすばらしく、泣いた。「約束」の回では泣きすぎて寝込んだ。
やがてアケマスの筐体がゲーセンから消えゆき、アイマス2のジュピター要素に既存Pたちがこの世の終わりを幻視した頃、個人的にも就職をしたタイミングで、わたしはアイドルマスターを離れた。
ところで、わたしは腐女子である。ローティーンにして腐った。それまでにハマッてきたキャラクターとしては、キルア・ゾルディック、セブルス・スネイプ、夜神月、などが挙げられる。
そのわたしがどうして女性キャラクターに、連コイン用の100円玉をストックしすぎて財布がぶっ壊れるほど傾倒したのか、そのときにはわからなかった。わからないままに菊地真を愛していた。人間の美質に性差なんてないのだと、そのとき初めて教えられたように思う。
やがて2020年、人類がコロナ禍に陥って最初の夏、わたしは広義のアイドルマスターへと戻ってきた。アイドルマスターシャイニーカラーズにはまったのだ。家計簿によればシャニマスへの課金額が総計15万円を超えた頃(大人になるってこういうことだ)、TLにバンナムフェスの話題が流れてきた。
お、と思った。コロナ禍により延期となり、再度の座席抽選を行っているらしい。そんで、シャイニーカラーズが全ユニット出るのだという。バンナムフェスめっちゃ良きという話は聞いていたし、765のライブも見てみたいし、と、わたしはアソビプレミアムに5000円ぶちこんで抽選に応募した。しかるのちにご用意され、一路ZOZOマリンスタジアムへと向かった。本日現在のシャニマスへの課金額は20万円である。
バンナムフェス2nd2日目をご覧になったシャニマサーの皆様にはご同意いただけるものと思うが、開幕に全シャニマスをドドドドとぶちこまれ、Dye the Sky.というバズーカに打たれ、わたしの精神は開幕30分にして蜂の巣となった。そのようにしてわずかに残った精神を、FIVE STARSによるVOY@GERが根こそぎ拭い去っていった。
なんかVOY@GERの話してごめんけど、「なれるから」のとこのはるまこのサービス、なんなん? なんなん? ほんとなんなん? アニマスのCHANGE!もそうなのだが、菊地真のウインクによってこちらの精神を真!!!!!!!!にしようとするきわめて強靭な意思を感じる。あとVOY@GERの初期案にあった菊地真のブレイクダンス死ぬほど見たかったのでいつかいつかどうにかやってくださいお願いします
そのようにしてカスカスの意思なき幽体となったわたしは、これから来るであろう765プロオールスターズの出番、平たく言えば菊地真のメインステージを畏れとともに待ち、あっ、そういえばわたし765プロのライブ見るの初めてじゃん……と戦きながら、素数を数えるように、菊地真のかわいいところを思い浮かべていた。
コミュ。
自分の「真」という名前が女の子らしくないと嫌がる真に、プロデューサーは、例えばその名前が「魔虎斗」であったら、と言う。
その荒唐無稽な仮定に、真は「それより良かったかも」と明るく笑う。
こういうところ。
菊地真は、色とりどりのマカロンとざらめのかかったコンフィチュールをレース模様の化粧箱におさめ、仕上げにすこしのバニラエッセンスを振ったような、かわいい女の子になりたくてアイドルになった。
しかし、持って生まれたハスキーボイスとずば抜けた運動神経、ボーイッシュな見た目、凛々しい顔立ち、そして、「かっこいい王子様」を求められれば自然に差し出してしまう心の優しさが、彼女を王子様系アイドルとしてスターダムへ押し上げていく。
やがて彼女は女性誌のカバーガールに選ばれる。菊地真を目当てに、男性ファンも女性誌を買うのだと聞かされる。そのことに、彼女は「なんだか、申し訳ないなあ」と困った顔をする。
こういうところ。
自分の望むアイドル像をやろうとして、「きゃぴぴぴーん! まっこまっこりーん!」と爆走する。
こういうところ。
ボクのかわいいところは、プロデューサーが知っていてくれればいいんです、と言う。
こういうところ。
考えていると、不意に苦しくなった。
どうしてあれほど菊地真に傾倒したのか、その一端が不意に目の前へ現れた気がした。
秋葉原にある東京レジャーランド、あの頃はいくつも並んでいた筐体の前へ座って、何の気なしに入れた100円玉。
あのときに味わった苦しさ、この明るくてかわいい子を未熟なままステージに立たせてしまったという取り返しのつかない後悔が、そしてそれを前提として進んでいくストーリーが、薄く引き伸ばされた失敗の悲しみが、菊地真のまわりにはずっと漂っていた。その焦燥が、わたしに彼女のストーリーを追わせたのかもしれなかった。
わたしはあのとき、かわいいアイドルになりたいと願う彼女に、きちんと向き合えていただろうか。彼女のきゃぴぴぴーんを、まっこまっこりーんを、きちんと尊重できていただろうか。彼女の行き先と彼女の願いが食い違っていることに、それは問題じゃないかと怒れていただろうか。
そんなことはなかった。わたしは、わたしの悔しさのことしか考えていなかった。
彼女の才能を目一杯に使って、彼女の望む形ではないアイドルとしての、しかし成功をひとつ得て、それで、仕方ないですね、と、魔虎斗よりいいですよね、と笑う健気な明るさを、彼女のトゥルーエンドだと思い込んでいた。
でも本当は違った。わたしは菊地真にトゥルーエンドを見せてあげられなかったのだ。
その、ねじれた後悔が、わたしの心にごくまっすぐに差し込んだ。そこにはひとつの道ができていた。汚れた手できれいな服を触るみたいに、歪んで曇ったレンズで景色を覗くみたいに、自分の手や目やふるまいがものごとを台無しにしていくところを何度も見て、そうしてできた道だった。その道は、大学を出てこの場所に来るまで、菊地真をはなれて菊地真のもとへ戻るまでに得た、わたしの変化であった。
空はだんだんに暮れていき、引き換えに舞台はますます輝いた。
ステージが始まった。
広い、広いZOZOマリンスタジアムの一塁側フロア2から、視力の届く限り、ステージを見つめていた。彼女は黒い衣装を着ていた。黒が彼女に割り当てのカラーだからだ。かわいらしいアイドルになりたくて、しかし黒という色を与えられた彼女は、「エージェント夜を往く」という曲を与えられた彼女は、どんなふうに思っただろう。まわりのアイドルたちを見渡して、これならボクが黒だよな、と物分かりよく頷いただろうか。もしボクがピンクを着たら……、と、少しうつむいて、そしてすぐに前を向いただろうか。
でも、彼女は大きく、まるで球場いっぱいのオーケストラへ指示を届けようとするように、その長い手足で空を切る。ぱっ、ぱっ、と歯切れよく止めを入れる。それが音楽にぴたりとはまる。元気にはねて、飛んで、切れ味のいいターン。
彼女は最初から最後まで元気いっぱいにステージを終えると、3塁側のセットの影から舞台の裏へ帰っていった。
あ、消える、と思った。彼女のいなくなったあとのステージにはぞっとするような欠落があった。彼女のいなくなったあとが、まだ空気によって埋められない彼女の形の真空が、低く蜂の羽音のように震えながら存在していた。
そのとき、わたしは菊地真のプロデューサーではなかったのだ、と思った。よく踏み均された道の先で、当然の帰結として。
きっとあの舞台の奥では、本当のプロデューサーが彼女を迎えている。彼女の願いを愛し、真摯に受け止め、安易へと流れることのなかった賢明なプロデューサーが彼女を待っている。彼女の愛するに足る、そして彼女を愛するに足るプロデューサーが。
彼女はひと一倍流した汗に形のいい額をひからせて、ちょっとメイクの落ちた顔で、薄暗い舞台裏、出番と出番のわずかな合間、機材やケーブルのすきまを軽い足取りで縫い、メイクさんの待つ椅子へと向かうその途上に、右手を上げて、プロデューサーへハイタッチをせがむ。
わたしの見なかったトゥルーエンドが、きっと舞台の奥にあるのだと思った。わたしはただ、彼女のいなくなった舞台に向かって、数万ある客席の、そのうちのひとつに座っているだけだった。