蕗ノート 天に顔向け
とぼとぼ、とぼとぼ帰り道を歩いていた。
月は明るくて、星は瞬いて、素晴らしい夜だったのに、私の心は曇りなくまっすぐお空に向かうことは出来なかった。
鶴岡のまちなかキネマで昨日からやっている映画
【戦場ぬ止み】
昨年公開だから振り返ってみれば観る機会はあったはずなのに、今、そのタイミングで鶴岡のまちなかキネマへ。
三上智恵監督が、今日はるばる宮古島だっただろうか。沖縄の離島からやって来てくれたのだ。そのお話を聞きに行った。
私は、一昨日は同じく沖縄のドキュメンタリー
【うりずんの雨】を観た。
凌辱される島、沖縄。
太平洋戦争で、日本兵とともに闘わざるを得なくなった島。
そして占領され、植民地状態になった島。
私は、20年近く前から歌手Coccoが好きで
彼女が私の知らなかった多くの沖縄を私に繋いでくれた。
【戦場ぬ止み】もナレーションが彼女だったのに惹き付けられた。
私は正直なことを言ってしまえば
【可哀想だけどどうにも出来ない私一人じゃ】
と思ってきた、ずっと。
沖縄のことも。
福島のことも。
中学生の時、チェルボナ・カリーナというチェルノブイリ原発事故で被爆したベラルーシの子どもたちの合唱団のコンサートの手伝いをした。
私が生まれた直後、起こったチェルノブイリ原発事故。同じ年頃の子どもが、白血病や甲状腺ガンと闘いながら唄っていた。
大人が言った。
「あなたたちは二度と原発事故が起こらないような未来を作っていかなきゃいけない」
私は思った。
「なんなんだ。この世界は。」
地球は温暖化していて、住める陸地は減るらしい。
大気汚染、水質汚濁、ゴミの山、原発、戦争、自殺
「なんでこんな世界で生きていかなきゃいけないのか」
10代は灰色だった。
「もしも誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとして…」
だったら、私は自分の命を引き換えにして欲しい。
そう思っていた。
誰にも必要とされない自分と
絶望しか描けない未来。
それでも生きなければならないのであれば仕方なかった。生きるだけだ。
未来には絶望しか描けないのであれば、今に熱中するしかない。
今に、ここに、遊ぼう、踊ろう、唄おう…
そんなあの日、大地が揺れて、現実味の全く無かった原発事故が目の前に降ってきた。
あの時から、忘れられないのは
「罪悪感」
中学生のあの日から10年余り。
私は一体、何をして来たんだ。
原発が危険なのは頭では知っていた。
でもどこかで「まぁいいや」と思っていた。
町中のネオンが消えた時、私は泣きたい気持ちになった。
「私が遊んでいた時についていた電気全部ごと私も消えてしまえばいいのに。」
耐えられない気持ちの中で、フラフラしていて、フラフラと山形に来た。
山形にいて感じるのは
「守られている土地」特に庄内は。
四方を山で囲まれて、空も山も川も美しい。
私はこの美しい山形で、季節にのめり込んでいった。
そしてまたしても出会う、あの後ろめたさ。
私がのうのうと生きている同じ時に、命をかけて闘っている沖縄の人も同じ空の下にいる。
山形の美しい海を眺めながら、沖縄のことを想った。
沖縄では、オスプレイの墜落や残虐なレイプが起こっている。
それにもまして、辛いのは
「沖縄から行った飛行機が世界中の人々を殺していること」
沖縄からイラクに飛んでいったアメリカの爆撃機には「OKINAWA」と書いてあるそうだ。
世界から見たら、日本は戦争放棄の国じゃない。
恨まれて報復されるテロの標的かもしれない。
そんなことは望んでいないのに、私が払った税金の無視できない額が、軍備拡張に使われている。
アメリカから見たら、日本や韓国は捨てゴマなんだろう。こんなに世界中の恨みをかって、そして私や私の大切な人はそれをしらないまま、ある日、報復で殺されるかも知れないのだ。
戦争は、あからさまな形では起きない。
振り替えってみればなんとあからさまな、と思ってもその時には巧妙に起きる。
アメリカの都合のいいように日本の法律が変わり、集団的自衛権がやって来る。そして、後から見たらウッカリみたいなことで開戦が始まるかも知れない。三上監督は「もう沖縄だけの問題じゃない。日本本土での戦争がアメリカの視野に入っている」という。
なぜ、そんな売国奴のような日本の国なのか。
知ろう、本当のことはなんなのか。
どれが、正しいか分からなくてもまず知ろう。
知らないうちに裸にされて、知らないうちに負けていくのはもうこりごり。
あっという間に、この国が壊滅するかもしれない。
それを持って、アメリカと中国との派遣争いに決着がつくかもしれない。
のほほんとしていた。
その幸せはとても大事だけど
この国に一体何が起きていて、どうしたらいいのか
あいまいでいいのか、事態は巧妙なんだ。
映画が終わって、三上監督にサインを貰いに行った。観に来ていたのが年配荘ばかりだったからなのか、「どうでした?」と感想を求められて
口を開いた瞬間、涙が溢れだした。
罪悪感、後ろめたさ、無力感、言葉にならないものが溢れだした。
三上さんは
「この映画、公民館やそういう所で上映良く断られるんです。思想が偏っている、阿部政権に対抗しているって言われて」
と言った。
泣いている所を知り合いに拾って貰って、三瀬海岸に連れていって貰った。
そこは、随分前、さ迷ってたどり着いた海岸だった。抜けるような青い海。沈む真っ赤な太陽。
「私は、この海が血に染まってから初めて気がつくのだろうか。その時には時既に遅しじゃないのだろうか」
美しい美しい夕陽を眺めながら、ここが好きだと想った。例えば、大好きなこの場所から朝鮮へ、ベトナムへ、クウェートへ、イラクへ、爆撃機が飛んでいったらどうだろう。
大好きな場所から戦争が始まったらどうだろう。
地震のあとには戦争がやって来る
と行ったのは忌野清志郎。
良くも分からない、政治戦略の中で、虫けらのように捻り潰される。エアーシバトルという日本本土をを舞台にした戦争が、既に計画として描かれているのを昨日、知った。
笑えなくなったら
まっすぐ天に顔向けできなくなったら
知ること、繋がること、自立すること
を思い出す。
今は、sealdsの本を読んでいる。
「斜に構えていかにも正しそうなことをいっていたって何も変わらない。だったら動くしかない。」
それはとってもまっとうな現実の捉え方だと思う。
財布のお金を三上さんの次の映画の募金箱に入れて
他に出来ることを考えた。
7/10は参議院議員選挙だ。
私の国の代表を決められるわずかな機会。
政治的なことなんか、本当は何も言いたくない。
それでももう間に合わないかも知れなくても言わなければ変わらないし、動かなければ変わらない。
3月、はるばる会いに行ったしまなみ街道のとある島。そこに本気の人がいる。
泣いて、笑って、諦めないで、一人にならない。
どうか、どうか。私の大切な人たちが、そしてそれに繋がる全ての人が大丈夫でありますように。
権力の側は自分では何一つ傷つかずに。
アメリカの兵士だって
イスラムの過激派だって
攻撃される民間の人達だって
たったひとつから連鎖は始まる。始まったら最後止まらない。どうやったら「始まる」を止められる?
既に始まってる連鎖を止められる?
やっぱり「月3万円ビジネス」の藤村先生が言う通りまずは「知ること、繋がること、自立すること」なんだと思う。
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