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蕗ノート ベストを尽くして

先月、山形県朝日町「宿のやかた」で、長井市のフォークグループ「影法師」のライブが行われた。

彼らの歌に「白河以北一山百文(しらかわいほくひとやまひゃくもん)」がある。
※「白河の関所(現:福島県白河市)より北の土地は、一山で百文にしかならない荒れ地ばかり」という意味。明治維新の際、薩長が使用した侮蔑表現。
 

「関東から東北に初めて高速道路が開通した時、何がやって来るのかと期待した東北に最初にやって来たのはゴミを沢山積んだトラックだった」と振り返る影法師のメンバー。彼らは40年以上『叙事詩派フォークソンググループ』として活動している。
影法師 http://www.kageboushi.jp/
 
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都会で出たゴミ しこだまつけで トラックこっちさ のんべにくる
こごらの土地は 値打ちねえがら ゴミぶん投げんに 丁度ええなだど

 ※白河以北 一山百文て
  見がすめらっちゃ あん時がら
  あっちの野郎めら 持ってくんなは
  おらだのだってもの ばっかしだ

リゾートなつうもの こしゃうために 山だて沢だて ぼっこされる
ちゃらちゃら遊ぶ 野郎めらのため なしておらんだが 泣がんなねなや

原発みだいな だってものは なえでもこっちさ 押しつけてよごして
ええ思いしんなは われらばっかし ばっぺなもんだな 東北なつうなは

ゴミだて原発だて おめだのもんだも そっちで何とが すんながスジだべ
ゴミにまみっちぇ 生きてみんだ 原発背負って 暮らしてみんだ

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「昔、テレビに呼ばれてこの歌を歌った時、『原発みたいな』という歌詞の所は歌わないでくれと言われた。その時、自分を曲げてしまった。小さいことだけどそういうことの積み重ねがあの事故に繋がってしまった」

そんなことを言っていたように思う。
 
  
私が中学生の頃から好きなパンクバンドBRAHMANのボーカルは今年、憲法九条を守る集会で、日本国憲法前文を読み上げて「この国の憲法を首相はカッコ悪いとか言って、変えようとしているけど、ジョン・レノンみたいな考え方じゃないか、かっこいいじゃないか日本国憲法!」と訴えた。
 

彼は2011.3.11まで、黙して語らない人だった。
「それまではMCもしないし、黙っている分どんな批判をされても言い訳しないで全部受け止めればいい、みたいなやり方だったんだけど、震災が起きてそう悠長なことも言ってらんなかったっていうのはありますね」

「それで少し回り道が減るんだったら、今はいいんじゃねぇかなって思ってる。カッコつけて通じるほど震災は甘くなかったから。自分が避難所に行っておばあちゃんとかおじいちゃんと喋るのに、“俺、バンドやってます”って言っても意味ないじゃない? 丸裸になってどれだけ人と接して、いろんな話をして…自分が“BRAHMANのTOSHI-LOW”としてやらせてもらってきた以外のことで、通じ合ったことがやっぱり多いから。自分はそれを忘れていたというか、それに甘えていて。もういいかな、そういうのって思ったんだよね」
 

先週は、酒田市で社会学者、小熊英二さんの初めて撮った映画『首相官邸の前で』を観てきた。

2012年夏、東京。約20万の人びとが、首相官邸前を埋めた。

しかしこの運動は、その全貌が報道されることも、世界に知られることもなかった。

人びとが集まったのは、福島第一原発事故後の、原発政策に抗議するためだった。事故前はまったく別々の立場にいた8人が、危機と変転を経て、やがて首相官邸前という一つの場につどう。彼らに唯一共通していた言葉は、「脱原発」と「民主主義の危機」だった。

↑上は映画のHPから引用
内容は、映画を見て貰うのが一番だと思う。私がこの映画で一番響いたのは

「映画を作ろうじゃないか。監督と出資は俺で、撮影と編集は君だ」という小熊英二さんの言葉だった。

「映画を撮ったことはなかった。映画作りに関心を持ったこともなかった。しかし、過去の資料の断片を集めて、一つの世界を織りあげることは、これまでの著作でやってきた。扱うことになる対象が、文字であるか映像であるかは、このさい問題ではなかった。」
 
これを記録し、後世に残すことが自分のやるべきことだ、映画を撮ったことがないとかそんなことは関係ない
そんな風に私には見えたし、実際、2012年小熊さんとお会いしていたのもあってそんな風に感じた。

蕗ノート
今日は引用だらけ。

最近、本当に問いかけられているように感じているのは
「ベストを尽くしているのか」
ということ。

黙ることが「賛成」という意味にとられかねないなら、そして「嫌だ」と思っているのなら嫌だと言おう。
譲れない所を、妥協して譲らなかったか。
それは本当に妥協して良かったのか

自分には出来ないって言ってないか
色々、方法を模索したか

自分に問いかける。答えは見つからないけど、その時々で言葉にして、形にしていかなければならない。

小熊英二さんは「社会を変えるには」と著作で問いかけた。
そして、自ら「社会を変えたいなら自分を変えるしかない」ということを体現した。

今の社会に不満があるなら、それはやっぱり私や私の日々の生活が作っているんだ。

ちょっと人に親切にする
知らない人にも挨拶する
嫌なことを嫌だという
選挙に行く
政治家の話を聞きに行く

やってみなかったこと
いっぱいあった。それを知らなかった。

週末は選挙だ。
選挙は政治じゃなくて、私たちの生活のこと。

これからどういう生活を望むのか
それを誰かに託すのだ。

こんなに怖いことはない。
託すことを放棄するのはもう止めよう。
それなら少しでも「まっとうだ」と思える人に託したい。

あなたは誰に自分や子どもの未来を託しますか。

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