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8年、悲しさの理由

東日本大震災の祈祷が始まってしばらくして、ポロポロポロポロ涙が出た。
 

あの震災で、私の知ってる人が亡くなったわけでも
私の大切な人の大切な人が亡くなったわけでもないのに

どうしてこんな風に悲しいんだろう。
 
  
瓦礫の町を想う。
帰れなくなった場所を想う。

3/11、あの日まで、私は、私の暮らしに疑問なんて抱かなかった。

東北から食料が来なくなって
東北から電気が来なくなった

そうして私は、私を含む都会に生きている人が、自分の生きるのに必要なものを誰かに作ってもらって、時には危険な場所に追いやって、その上に生きていたということに、やっと気づいた。

それは、福島原発が「福島のための」ではなくて、「都会のための」電気を作っていたということだけではなく
(東北電力ではなくて、東京電力だったことを知らなかった)
 

都心の電車は動くのに、周辺部の電車は早朝だけだったり、都心部には計画停電はなく、周辺部が計画停電になったりすることで、

東京のど真ん中は、周りを犠牲にして、「普通の生活」が守られてることを知ってしまった。
(逆に言えば、それまではそんなこと見向きもしなかった)

誰も踏み潰さず、自らの暮らしは自ら作り出して生きていた東北の方々が、あの日、流されて

誰かの犠牲の上にのみ成り立つ暮らしをしてきた私のような人間が生きている。

そういうことが、悲しくて仕方ない。
そういうことが、なんだと気づいた8年目。

私が、東京を出て、6年になる。
今の私は、あの時から見てどうだろうか。

心になんの葛藤もなく、ごく自然に自らの暮らしを作り出す相方との暮らしは楽であり、同時に、今は相方をちょっと踏み潰して暮らしているのかも、と反省する。

東日本大震災の直後の自分から見て
少しでも、自分がまともな人間になっていたらいい。

そして、原発も、米軍基地も、そういうものの上に今でも私は生きていて、大きな情勢は変わっていないということが悲しいけれど、

願いが、祈りが、力となって、
少しずつ変わっていくように。
誰かが、私のせいで苦しまないように。

8年目の午後を祈ります。

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