蕗ノート わだつみの浄化
葬式から帰ってきたら塩を体にまく
嫌なやつが来たら塩をまく
嫌な雰囲気がしたら、塩を盛る
ふと、塩は海の代わりなのかもしれないと感じた。
最近、思うこと。
色々まとわりつく悪いもの
私、がいて
頭の先から足の先まで、ぴーんと問題なく流れていればいいのだけど、頭にも肩にも腰にも、身体中に良くない何かがまとわりついて
瞑想しても
温泉に入っても
山でリフレッシュしてもとれないことがある。
何となくスッキリしなくて
重い感じがする、うまく流れていない感じがする うまく元気が通らない
初めては、3月の頭、長崎で。
長崎県長崎市の野母崎にいる、愛すべき天才(変態)に会いに行った時だった。
その前々日、私は友人の薦めで、長崎の原爆資料館や平和記念像を見に行っていた。
それは初めての九州で、見るものすべてが新鮮で平和記念公園で、像と同じポーズを取ったりして遊んでいた。お気楽な私たちが、向かったのは爆心地。
フットボーイという原子爆弾が落ちたその場所は
静かな公園になっていた。
ふーん…と見て回った私の体に変化が出たのはその直後。
急に胃をねじられるような感覚。食道が呼吸を拒むように絞り上がっていく。
なんなんだ、この土地は…危ない、このままじゃ危ない
そう思った。
一緒にいた、目に見えない、理屈が通らないことは認めない幼馴染みも、気持ちが悪くなり、二人で足早に立ち去った。
それから数日しても抜けないよく分からない重さ。
なんなんだこれは。
お風呂に入っても
身体に塩を撒いても
スッキリした感じがしない。
モヤモヤを抱えたまま、長崎市の外れ野母崎で、天才(変態)の案内で海辺にあるカフェに立ち寄った。
初夏の陽気、目の前には美しい海。
私はきなりのワンピース一枚で駆け出して、海と戯れた。何度めかに予想を越える大きな波が打ち寄せて、私は頭からびしょ濡れになった。
すると、なんだろう。体が軽くなった気がした。
そして、海が笑ったように感じた。スッキリしたかい?と。
その時は、自然の力は凄いなぁと思っていたけれど
どうやら海や水の力は別格らしい。
なんせ、私たちも体の大半が水で構成されていて、流れる血や汗は海のようにしょっぱい。
海は広いな、大きいな
月は昇るし、日は沈む
山形県、鶴岡の湯野浜で、夕陽と月が交差する黄昏時に触った海はまだ温かく、手も足もどんどん軽くなっていった。
散歩をするうちに、駆け出したくなって駆け出した。
20歳の頃、ダッシュが出来るのは28歳まで
と聞いて、年を取るのを怖れた。
私はその年齢を過ぎたけどなお、まだまだ走れている。
ありがとうわだつみ
ありがとう私のからだ
どこまで行けるのだろう
そう問いかけるとき、どこまでだっていける
と世界は返す。
誰もいない浜辺に一人なのは寂しいことでもなんでもなく、私と海がいて、満ちて引いてスッカリとスッキリさせてしまうのだ。
山伏の星野さんが海で読経すると聞いた。
私も何度かはやったけれど
また違った気持ちで海に向かった。
祈りの言葉と感謝の言葉をお供えに。
あの、海のようになりたいと願った。