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蕗ノート 泥中の蓮

出来ることなら会いたくない人がいる

私を呪った人と
私が呪ってしまう人

あの人、変わったよ会ってみたら?
と言われることが増えたけど、その人が変わっても私の中の呪われた部分はその時のまま残ってしまっている。

だからまだ会いたくない。
何の淀みもない気持ちには到底なれないから。

一方で私が呪ってしまう人もいる

恋に焦がれるのではなくて
呪ってしまう気持ちに焦がれるのは醜悪だ。

醜くなる前に、その場所から立ち去ろう
そうやって生きてきた気がする。

6年前に夜逃げした3日前、全てを呪っていた。
手に持てる荷物以外をかなぐり捨てて、電車に飛び乗った。朦朧とする意識の中で、沈丁花の香りがした。あの時、私は全て捨てても生きているという感じがした。


今の気持ちを中島みゆきの「空と君との間に」で表現すると

憎むことでいつまでもあいつに縛られないで

ということ。
口にすればするほど、目にすればするほど、もうどうでもいいはずなのに縛られている自分がいる。

今日はそんな色んなことを分かっている、私の(自由に使える)山の持ち主とご飯を食べていた。

「蕗ちゃん…呪縛から早く自由になりな。あの人は幸せそうだったよ」

未練があるならまだいいのだ。
本当はどうでもいいのだ。
あるのは執着なのだ。

ああ、もう。
私は清々しく生きたい!

女々しくてだけだったらいい
考えるたび、口に出すたび、自分の中の何かがいびつに醜くなってしまうならもう見えないように、聞こえないように、言わないようにしてしまえばいい。

色々手放して、デスアニバーサリーをしても
私の心だけは手放したがらなかった。

手放したいと言いながら、そうではない状態なのはそれを望んだからだ。

心のお手伝い。
振り返えって呪わなくていいぐらい今の真っ只中へ。

完璧じゃないから、心を磨いていくんだ。
泥の中から、美しい花を咲かせたい。

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