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蕗ノート 都会の論理

すっかり田舎で育ったように勘違いする時があるけれど、私は都会と呼ばれる場所育ちだ。

自分さえ、今さえ良ければ論理
(刹那的、その場しのぎ)

人を押しのけて電車に乗り
自分が良ければ良く
その場をとりあえず凌ぐために嘘をつき
都合のいい人と都合のいい付き合いをする
何かあったらお金で解決する

私は都会で育った20年でそれが染みついているんだなと思った。

自分の都合で動くだから約束に遅れてもへっちゃら
何かあったらお金で解決しようとする
それでも解決できなきゃ疎遠になればいいと思ってしまう

地方に住んで良く分かったのは実は
「私はそういう都会の論理で、自分に都合良くばかりを考えて動いている人間なのだ」
ということだった。

持続的な関係性
(逃れられないゆえに生まれる関係性)

22歳の時、新卒ですぐ名古屋市に飛ばされた。
植木屋だった。

そこで全国の支店スタッフの売上計算をしていた。
すぐに気がついたのは、名古屋のスタッフが一番、安い日給で働いていたこと。

当時、名古屋の植木職人スタッフは素晴らしい技術者ばかりだった。全店舗の中でもピカイチ。

なのになぜ…
それはきっと名古屋が大都市ながら田舎の論理で動いているからだと思う。

名古屋はお金を溜め込んで使うところでバーンと使う文化だ(ったと記憶している)。
だから普段かけられるお金は少ない。

相互扶助は結構残っており、地元びいき(だったかと)

だから毎回の依頼は大きな金額では無いけど、気に入って付き合いが始まると何代(孫の代まで)も使ってくれる。

信頼されると突然大きな仕事がバーンとやってくる。だからここでは、社員がコロコロ変わるような信頼関係のない仕事は出来ない。

後でバレたら困るようなことも出来ないし
仕事も一つ一つ手は抜けない
一回限りのお付き合いじゃないし、そのお付き合いがやがて大きなお付き合いに繋がっていくから。

丁寧に対応しようとすればするほど業務量は増えていき、だんだんお抱え植木屋のようになっていく。

だからお前はダメなんだの答え

社長、部長、親方、周りはみんな名古屋かその周辺
その環境の中で、仕事を頑張れば頑張るほど「ダメだダメだ」と言われて心が折れそうになった。

今、振り替えるとそれは都会的な論理でいつも動いていたからだ。

適当で強引だった。
あまり話も聞かずにお客さんを抱き込んで怒られたこともあるし
予算、予算言われて無茶苦茶スケジュールを組んでスタッフの怒りを買っていた。

ソーシャルベンチャーって引き裂かれるなぁと思う。
一方では今日の売上ノルマがガッチリとあり、売上で9割評価される。
一方ではいかにお客さんと気持ち良く永続的に付き合っていくかを求められる

東京の店ではバッサリ「あ、そういうのうち受けないので」
と言ってしまえる案件でも名古屋では相手によっては受けなければならない場合も多く、それだけでもいっぱいいっぱいだった。

今までのお客さんとの付き合いを大切にして
新しいお客さんもバンバンとってその付き合いも大切にして

時間が無限にあるなら出来る。
でも時間は有限だ。

心身削ってこれでもかってなったら私も含め、いつのまにかみんな自分さえ良ければになっていた。

山形の関係性の中で
職場をやめたらサヨウナラだったこれまでと違い、山形ではこれからもお付き合いが続いていく。

それを考えた時、これまでみたいな自分でいたら5年で住めなくなるなと感じた。

特に今月はそう思う機会がとても多かった。

とにかく根元には
「出来ないことを出来るっていう」
「おおげさに話す」
「(言葉でどうかは別として)相手の都合を考えていない」
っていう自己中さがあるんだなと思った。

「話を盛るのをやめよう」
「自分で言ったことを守ろう」
「溜め込んで出来なくなるっていうのを無くそう」
「一個できたら一個受けるぐらいのペースで」
「沢山の人と関わろうとするとそれぞれの人に合わせてずれていっちゃう」
「一日に会う人一人ぐらいでもいい」

何もかも失えるんだったら、私が培った
「東京砂漠を難なく生きていけるスキル」
をご返還したい、と心から思う。

いくつものことが一気にやってくると、自分の頭の中ではパニックがおこり、それが約束を守れなくなったり何も出来なくなったりさせる。

本当にああなりたいのか
ああなったら周りから称賛されるからなりたいのか

周りから称賛されたくてだとしたら、自分の器以上のことをしたってうまくいかないに決まっている。

今は器以上になってるし、器自体を計りかねてる。誰かの真似じゃなくて自分はどのペースだ。

「気づく」というのは大事で
前まで立っていた場所は、都会の論理の人が牛耳っていてだからそれでいいんだと思っていた。
都会の論理が田舎に入っていって、そしてだんだん引き裂かれるようになっていって、しっちゃかめっちゃかで悲しかった。
自分もどうしていいのか分からなくて迷走した。

そう簡単には抜けてくれない癖のようなソレ。
でももうソレはやめよう。

春の旅で会いにいったのは、関係性の中にいる人たち。こういう風に生きたいと思ったからきっと会いに行ったんだと思う。

私には分かっていない。
ただ、思いつくままに動いているのだけど、あとからそういうことだったのか…と気づくことは多い。

さうゆうひとに、なる
そう覚悟してこの1年

しっかり地に足つけていきたい。

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