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蕗ノート 芋虫は蝶になれることを知らない

ヤゴはトンボになれることを知らない。
オタマジャクシは蛙になれることを知らない。
20年前の私は、今の私になれることを知らない。

知らないでただ、導かれるままに生きるしかない。

パシりする友達しかいない、
荷物荒らされ、暴力振るわれ、無視され、な小学生時代、私はたったひとつの居場所だった図書室でちばあきおの『キャプテン』というマンガに出会った。
 

それまでスポーツなんてひとつも興味なかった私が、マンガひとつで野球に興味を持ち、(野球部は男子しか入れなかったので)ソフトボールに生活の全てを捧げるようになるなんて人生は不思議だった。
 
 
文武両道。ソフトボール漬けの日々。
チームは強かったけれど、他の子と自分が考えも行動もやりたいことも違いすぎていつも浮いていた。

17歳の夏、焦っていた。もっともっと上手くならなければ…もう、この道で生きていくしかないんだと思っていた。

チームを掛け持ちし、毎日ソフトボールに明け暮れていた夏の日、私は練習中の事故で再起不能になった。

「二度とソフトボールをしてはいけない。失明してしまう」
と言われた日の絶望感は忘れられない。

その日から…13年
私は、山形県庄内地方のとある公園で子どもたちと野球をやっている。

彼らのお母さんと一緒のプロジェクトをやっていて、彼らとも何度か面識があった。

確か、野球が出来るって話をしたら冗談混じりで100本ノックをしてやってくれっていう話になり、今日に至ったのだったと思う。

久しぶりにはいたスパイク、久しぶりにはめたグローブ、不思議なもので今の方が良く打てるし、色んなことが良く分かる。

かつて、教わったり色んな本を読んで学んだこと
 
 
ヘッドをさげない。
ヒジをたたむ
手首をかえす
腕をふりきる
相手のペースに飲まれない
 
 
こうしたら、なんでいいのか、その時には全然分からなかった。
ヒジたためって言われたってどうすればいいのか分からなかった。

子どもたちを見てると分かる
ヘッド下がってる、あれは打ってもフライかボテボテだな…
手首返せてないから飛ばない

ひとつひとつアドバイスが、偉そうにしようっていうわけではなくて自然に出てきた。
 
 
あまりに気持ち良かったのでかっ飛ばし過ぎて、ちょっと子どもたちを泣かせちゃったけど、最後はとてもすがすがしい気持ちだった。
 

🔼ちなみに彼らのお母さんは時間をおうごとに上達していって私を驚かせた。
  

絶望的な状況に陥ってしまった時、それは失恋だったりリストラだったり、戦力外通告だったり、

「こうなるなら今までの時間はなんだったのか」
と思ってしまうことがある。

でもそんな想いから遠く離れた10年先で、野球を教えるっていうお仕事を頼まれて、そうしたら今まで分からないって思っていたことが、分かるようになっていると分かっていっそう野球が好きになった。

こんな未来、予想してた?10年前の私。
 

 
幼虫のような思春期の中では必死にもがいてあがいてあれは無駄だったのではと頭を垂れることもある。

そしていつの間にか準備が始まりサナギになる。
今振り替えると、2013年山形に引っ越して来た頃がまさに、サナギのはじまりだった。

そして2015年11月23日、脱皮が始まった気がする。

今までどうあがいても分からなかったことが分かり
迷いがなくなってありのままの自分を肯定して生きていけるようになった。

そうやって振り替えると
たとえうまくいかなくても
挫折を味わっても
辛く苦しい時期があっても
「イマココ」でただひたむきにたゆまず生きること
に無駄は一切ない。

私は野球と出会ったおかげでスポーツというツールで沢山の人と繋がれるようになれた。

まだ知らない、その先に何があるのか
そんなことはどうだっていいじゃないか。

きっと素敵な未来。
それぐらいすがすがしい気持ちで「イマココ」
苦しくても楽しくてもそこに集中しきって生きていたい。

子どもはそれが得意。大人は?
私はすっかり大人な年齢だけど、イマココが得意でいたいなぁ。

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