四十にして惑う
人生で初めて40度の発熱
(インフルもかかったことがない)
※ちなみに40.2度まで上昇
SARS-CoV-2に感染した
かかりつけの医者に朝イチ(病院が始まる前から)電話したのに
発熱外来は当日受付ですでにいっぱい
抗原検査したらどうですか?
と一言
土日熱と悪寒と咳と鼻水に苦しみ続けて
日曜診療は発熱は受け付けていないと言うので月曜まで待ったのに
かかりつけからこの仕打ちか…
と思うと涙が出そうになった
まだ高熱の中、仕方が無いので検査キットを買いに行き、ついでにポカリ等も買って来た
外出も致し方ない
かかりつけがそうしろっていったんだもの
検査は一瞬で陽性
見たことないようなクッキリとした線
保健所に連絡したら、病院へは行かなくて良いので陽性者登録をしてくれと言うことだった
そこから一週間
私&私の免疫達
頑張りまして、なんとか仕事復帰
後遺症というやつか倦怠感、鼻の不調、喉の不調から来る咳などを抱えつつ、年末を迎えた
入社3年目の会社は
法人化してから3年目
すでにかなり古株となり、後から入った方々に手を焼いている今日この頃
山形に来てから10年目
バックパックにテントと寝袋、わずかな服
で山形駅に降り立った日のことは
今でも忘れられない
間違いなく
あれが私の人生においての
大きなターニングポイントだった
山形での暮らしはとても楽しく
春は山菜、夏は海、秋はキノコ、冬は雪山
そして手仕事にひっそり関われるようになって
夢の暮らしであり
辛い暮らしでもあった
ハッキリ言わない
ハッキリ言えない
冗談通じない
陰口多い
雪国の特徴なのか、それとも地方の独特のものなのか…
私自身のことが、オヒレハヒレついて噂されたり、雇用主にSNSの内容までタレ込まれたり(鬱ってる内容とか)
嫌味を言われることも多くて
人生が楽しく無い人が多いのかなと感じた
ここで生きたいけど
ここで生きていくのが辛い
そんな感覚の中にいた
今でもそんなには変わって無いけれど
一念発起して、バリバリ働くぞ〜
と入ったのが今の会社
人間関係も、仕事自体も
やっぱり生きていれば大変だけど
回りくどいことしなくて良いし
仕事をどんどんしないと回らないから
余計な気をまわすことが少なくて
助かっている
給料安いのが、この物価高には辛いけど
10月後半ぐらいからまたいつもの鬱の波がやって来て11月中居座って、12月長く休んだおかげでトンネルを抜けたようだ
20年近く、この波を繰り返している
40にして惑わずどころかずっと惑っていそう
今年のテーマは
自分を取り戻そう
だった。
取り戻せたかな。
少しずつでも。
ある一時
それはとても幸せな時間で
子どもの頃のような新鮮な日々に溢れていた
長くは続かなかったその時間、その自分を
取り戻していきたい
2023年
いつまでもそのままでいられないように
いつまでもそのままでいないこと
自分を変えられるのは
いつだって自分自身