蕗ノート ふーあむ、あい
ペットを買わないかと聞かれた。
私は、飼えないと答えた。
飼えるよ、と言われた。
家畜なら飼えるよ、と返した。
自分がどういう人間か、
それは言葉ひとつひとつ、服装、髪型、メイク、車、バック、時計、めがね、飲み物、食べ物、家、ペットにいたるまで、良くも悪くもその全てに出てしまうのだということが、最近になって分かった。
今月は結婚式が3回あった。
これだけ立て続くと結婚ってなんだろうってなる。
服だって、靴だって、なんだって選べる。なんだっていいのだ。
それと同じようにパートナーだって誰でもいい。
だから、ずっと分からなかった。
なぜ、周りの人の多くが誰かをパートナーとして選び、結婚していくのか。
一体それはどんな基準で選んでいるのか。
分からなくてぐるぐるした。
ぐるぐるぐるぐるしてたらだんだんおかしな深みにはまった。
なかなか抜け出せなくなった。
そんな時、この人は分かってくれる、助けてくれるって思った人に出会って、我を失うほど依存した。
自分が誰かなんて、すぐ崩壊。
いいのいいの、私はその人のものでいい。
その時期は相手を替えて幾度か訪れた。
けれど、自分が根本的に変わらないのに、相手を変えたって何も変わらない。
私は相変わらず、自分の依存アンテナに引っ掛かる人に近づいて、うまいこと言葉や行動で「あなたに私、向いてますよ。」というアピールをして、見事依存対象をゲットしていたのだろう。
東京を離れたのは、ここにいたら依存し続けるし、出来ない言い訳ばかり探してしまうなと思ったから。行き先はどこでも良かった。
当時、付き合っていた人に
「熊本の会社に行くかも」って言ったら
「そう、頑張って」とサラッと言われた。
引き止めてくれないことにショックを受けて、めそめそしていたけど、今となってはなんと軽やかな人だろうと思う。
私が山形に来て、1ヶ月で音信不通になり自然消滅したけど、彼があのまま生きていていたらそれでいいかなと思う。
依存の固まりだった。
自分も、親も、自分を大事にしてくれないし、出来ない。だからどうか、誰か。
攻撃性は自分に向かうし、思春期の危機というものは一通りやってしまった。
変化っていうのは徐々に変わることではなくいっぺんに変わることなのだと思った。
今までの点が全て線で繋がった気がした。
自分が自分のことは分かってあげられる
だから、誰かに依存しなくても大丈夫。
そんな事が起こるなんて信じられなかった。
毎日、木々や風や山々が、おめでとう、頑張ったねって言っているように聞こえた。
who am i
私の見た目、行動、言葉が私そのものであって、裏も表もなくて、そしたら、好きな服を来て、好きな町へと出かけて好きな人と好きなお茶を飲もう。
どう見られたいとか、それはどうでもいいのだ。
私そのものがどうなっていきたいかなんだ。
見栄とか、虚勢とかそういうものをなしに一つ一つ、一つ一つ言葉も行動も身につけるものも、付き合う人も、しっかり選んでいくことが自分を確固たるものにしてくれると思う。
そういう自分になった時、私に近づいて来る人も周りにいる人も変わってくるのだと感じた。
バスに乗る前の30分。百目鬼温泉に入った。
清々しく青い空、広がる山々、フワフワの曇。
地元のおばちゃんたちとケラケラ笑っていたら気持ちよすぎて失神しそうになった。
GWは山形でのんびりしてたいよ。混むところには行きたくないよと思っていたら、大阪の友人夫婦から結婚式に出てくれと言われて、大阪に向かっている。
出ようか迷っている…
と正直に伝えたら、是非出てくれと言ってくれたので。
山形県朝日町にグループで遊びに来たのをきっかけに付き合いだした二人。
そういう風に、旦那さんも奥さんも友達でっていう結婚式はこれでしばらくないだろうなと思う。
友達は、何かに惑わされることなく、そのままの自分で、そのまま自分に合う人と結婚したなぁと思う。そういう時、心からおめでとうと思う。
今日がいい日になりますように。
そして、あの青い空のように澄みきった心でありますように。