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蕗ノート 洗礼の日

「木造校舎っていいよね」って言われて、それが分からなかった。頭では「木造校舎がいい」っていうのが分かる。でも私は鉄筋コンクリートの学校で育ってるし、鉄筋コンクリートの団地で育っている。体ではしっくり来ないなと感じていた。

都会に生まれ、不自然なものが当たり前だった。
四角い建物、高い建物が立ち並ぶのが私の知っている自然だし、服もポリエステルが当たり前。夜も煌々と灯りがつく街で遅くまで遊んでいるのが私にとっての自然だった。

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ずっと分からなかったことが、ある日突然分かるようになる。そんなことも起こりうる。

キリストがヨルダン川でヨハネから洗礼を受けたように
ブッダがガンジス川流域で悟りを開いたように

私に「それ」がやって来たのは、山形県鮭川村の鮭川という清流でだった。

昨年の11月下旬、前日まで、鶴岡でリノベーションスクールという徹夜も辞さない過酷な勉強会に参加し、まんまと久方ぶりの徹夜をした私は、スクールの最後に感極まって涙が止まらなかった。

徹夜で1時間ごとに肌がボロボロになっていくのを感じたし、泣きすぎと安堵と疲れでボロ雑巾のような状態のまま、翌日鮭を捕まえに行くと約束していた鮭川村に向かった。

午前5時、鮭川で大量の鮭が上がっていた。
海から産卵のために川に戻ってきた、長い旅をしてきた鮭。

その鮭を見つめていたら、その無念が伝わって来たのだ。
「ここまで一生懸命登って来たのに!あとちょっとだったのに捕まってしまった…」

今まで、鳥を捌くときも、生きた肴を捌くときもそんなことは無かった。

今まで私は食べるために何かを捕まえたり、息の根を止めるとき
「ごちそうさま~」という軽い気持ちしか無かった。

この時、初めて私は生き物と生き物として向き合った気がした。

いま、この川の
一方では、沢山の命が鮭からいくらとなって産まれている
一方では、力尽きた鮭たちが屍となっていく
一方では、人間に捕まってもうどうにもならない鮭もいる

生と死の攻防戦の中で、沢山のメッセージが鮭川から私にもたらされたように感じた。

この日、私は
「今までの自分から何か変わったかもしれない」
と感じた。

長く着ていたサナギの皮を脱いだような気がしたのだ。

そしてそれは日々確信に変わっていった。

夜、眩しいのだ。街灯が目に強いと感じるようになった
都会に行くといくつもの匂いをかぎ分けて、車が多い通りを避けるようになった
食べ物の産地での味の違いが分かるようになった
温泉に今日は塩素が入っていると分かるようになった
悪いものに触れるとそれが悪いものだと分かるようになった
天気も予測が出来るようになった

人のことも分かるようになった。
1~2歳の子どもたちが何を根拠に動いているか分かるようになった。
自分と合わない人も分かるようになった
自分がどういう人間になりたいのか分かるようになった
そのためにすべきことが分かるようになった

今まで、頭で分かっている
と思っていたことが

腑に落ちた
というような感覚で分かるようになって

その一つ一つが面白くて
例えば、ナプキンをやめたこととか
例えば、スマホを触っていると手が痺れることだとか

面白がって、自分を観察してツイッターに記録し始めた。そしたら反響があったので、蕗ノートでコンテンツとして残したいなと思うようになった。

私が面白がっている私のこと
自分が好きになれなかったのに

いま、私は
面白いぞ、私、いいな、私
と思っている。

もちろん至らない点も多いし、いま、ここにいさせて貰っているのは大いなるものやまわりの方々のご加護だと思っている。

それでも、私の一番ど真ん中は私。
私は二人いない、だから私の全てを他の人が分かるなんてあり得ない。

私が私を面白がって、いいね、いいね、っていってあげればそれでいいじゃないか。

そう思えた時、そういう人間になりたいけど、なれなくて苦しんだ15年ぐらいの日々を愛しいと思うようになった。

いつからそういう風に?
と最近聞かれるようになった。

そんな時、私は思い出す。
「徹夜の翌日、清流鮭川で、私に不思議なことが降ってきた」

分からなくても、分かりたいと思ってきた。
分かりたいと思って動いてきた。

すぐに答えは出ないし、いつでるかなんて分からない。
それでもこうやって答えが出る日が突然やって来たりする。
人生はなんてギフトなんだろう、ありがとうありがとう。

洗礼の日、始まりの日のお話。

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