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蕗ノート お釈迦様のお誕生日

クリスマスは日本中、ものすごく盛り上がるけど
忘れてしまうぐらい静かなお釈迦様の誕生日。
 
 
秋田県上小阿仁村で地域おこし協力隊を、やっていた彩子ちゃんが「旅する風景画展」の帰り道に鶴岡市を通るからと連絡をくれた。

彩子ちゃんは、日本全国の地域を風景画で繋げたいと考えているそうです。うちに地域にも来て!という方いらっしゃいましたら「絵かきミクロ」で検索!Facebookなどで連絡してあげて下さいまし。
 
 
さて、彩子ちゃんと簡単な近況報告を済ませた後、鶴岡市にある、山岳修験のメッカ羽黒山に向かう。

鳥居をくぐった瞬間から変わる空気
気の流れが町とは一線が引かれている。

彩子ちゃんも羽黒山に入った瞬間から、「凄いいい空気!」という言葉を連発した。
 
2000段の階段を登りながら、私たちはお互いに縁のある神様のことを話した。
驚いたことに彼女は今、牛の世話をしているのだけど、牛を守る一枚紙みたいなものが羽黒山山頂では売っていた。
 
縁というものをとても感じたし、彼女は今日羽黒山に行く人だったのだろう。

羽黒山とはご縁を感じる。
羽黒山の宿坊で、山伏体験をしてから私は「魂が導いてくれる」ということを意識するようになった。
 
 
抵抗しない。
うまくいかなかったら、それはそういうことなのだと受け入れて次のサインを見ながら動く。

それは「そうだと信じている」というような状況だった。
 
 
他のことでも、最近分かってきたのは
「徐々に変わるのではなく、ある日いきなりガラッと変わる」
ということ。
 

「そうだ」と信じていたものは「そうだ」という確信に変わり、世界からの沢山のメッセージを受信出来るようになった。
 

私は美輪さんが好きだ。
言葉が響いてくる。なかでもこれは私の中での確信と一致していた。
 
 
お釈迦様の気持ちが分かる
と思えるようになった日があった。

今もそうか、と言われると
分かる気がするけど、まあ、ありのまま生きていけばいいじゃないか

という気持ちが一番で、そういう意味で、「突然、開いた日」からみれば落ち着いたなと思う。

お釈迦様が生まれるまでもきっと先駆者がいたのだろう。けれど後の世まで残っていったのはお釈迦様の言葉だった。

般若心経をたまに唱える。
不生不滅、生まれることもなければ死ぬこともない

生まれて、死ぬという概念がある世界にいまいるだけ。

でもまあ、違う世界のことばかり考えているのはこの世界を楽しんでいないことなのかなと思うので、今は現世を思いきり味わいたい。苦も含めて。


 
 
お釈迦様だって磨くために、生まれ落ちたんだ
と思うと安心する。安心して生に集中できる。

お誕生日おめでとうございました。
そんなことを思った昨日の花まつり。

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