覚悟〜決断の時〜 後編
父の死、その時に
大変でしたね
ではなく
早く帰って来て
と言われたこと。
そのことが明確に私自身を傷つけたし
恨みの感情を生ませた。
同じ気持ちを味合わせてやろうか
という気持ちにもなった。
若い頃の私だったら、社長の家に放火したかもしれない。
だが、私も社会人。
忌引きや有給を父が死んでもとらせて貰えない
残業代も出ない
給料が上がらないのに役員報酬は2倍近くになっている
数々の点に不満を持ち、地元の労働組合
庄内ユニオンを訪ねた。
結果としては、従業員10人以上いるのだから、就業規則を作って貰わなければいけない。
その中で、忌引きや残業代や役員報酬についても明記するようにしなければいけない。
まずは会社の人と労働組合を作り会社と交渉する必要がある。
知り合いの弁護士の無料相談の枠を取ってあげるから、まず相談に行ってみるように。
そう言われて、相談日までの間に事態は一転した。
連日、業務そっちのけで行われる役員会議
支払って貰えない代金
パートさんを呼ばないように言われる
何が起こっているのか…と思ったタイミングで呼び出された。
「会社が倒産しそうだから、社員全員辞めて欲しい」
晴天の霹靂。恨んでいたはずなのに涙が止まらなかった。
後輩と夜遅くまで話し、お互い次の仕事を探そうと話した。
翌日、後輩は辞意を表明した。
私はその日、役員からの引き止めがあり、会社に残留となった。
会社としては2人辞めれば会社が持つ
という状況だったようで、私の同期が辞意を表明したタイミングで呼び出され、このメンバーでこれからまた頑張っていこうとなった。
私は会社に対して何とも言えない不穏な気持ちになっていた。
そもそもなぜ、そんな気持ちでも辞めなかったかといえば、私は病気の治療中であった。
通院も多く、それは会社で認められていた。
また手術を控えていたため、そんな状況で新しい会社に応募するには不安があった。
そして今年の5月、約2週間に渡る入院と自宅療養で1ヶ月休職した。
復職した所、休職中に現状や復帰日の連絡が無いと文句を言われた。本来なら、診断書など出してもらう所だと言われ、必要なら出しますよと伝えた。
そもそも、休む日程は以前から伝えていたし、手術成功したということも連絡している。休職に当たって、傷病手当の手続きも自分でした。
入院前、有給を当てなくて良いなら助かるとか言ってたのに手のひら返しよったかと思った。
同時に、またこれか…と。
身内の死
自身の病気
それで休むことにすら文句を言われる会社にこのままいた方が良いとは思えなくなっていた。
また、これだけ暑くなった夏に工場のようなコンクリの会社に、何度頼んでもクーラーを入れてくれない。
断熱材が飛び出し、グラスウールがとんでいるが、それも板を3枚貼っただけ。
長年、勤めていたパートさんは、私の入院中、役員と他の社員の態度があまりにも悪く、転職を決意。
まぁそれでも頑張るか…と思っていた所、
会社がまたもや傾きかけてきた。
そして、それまで出張でほとんどいなかった態度が悪く、簡単なことしかしたがらないゆえに何年経っても新しいことを覚えようとしないのに偉そうな年上の後輩(恨みが残っているようで悪口が止まらない💦)の出張を無しにして、ずっと山形に置くということになった。
これが決定打だった。
もう…無理だ…
彼が山形にいることになれば、役員が出張にいくので、私と彼でまわさなければならない。
この日本語すら通じない相手に?
自分が楽することしか考えてない相手に?
無理すぎる…
以前から、いつも求人募集をしている大企業があり、何度か見学したことがあった会社に、即履歴書を送り、応募をした。
内容の無い応募動機
とにかく今の会社辞めたい。
面接が終わってから、私だったら少なくても正社員じゃ採用しないな…と振り返った。
実際、時間がかかったのかなかなか採用の連絡は来なかったが、面接から8日目に採用の連絡が来た。
嬉しかった。
少なくても8月からはグラスウールが舞ってなくて、冷房のついている職場で働ける。
もちろん、前の会社には情もあったが、そもそも人手不足の会社とまだ通院の続く私の状況は合わないことを説明し、納得して貰った。
入社の頃から、なんでも相談してきた8つ下の役員は涙を浮かべながら感謝を伝えてくれた。
この人がいたから、私も他の辞めた皆も頑張れたんだろうなと振り返る。
そして、新しい会社。
なかなか大変なことも多い。
行きたくなくなる日も多い。
労働時間も前の会社に比べたら長い。
でも土日祝分、休みがきちんとあり、残業代もきちんとでる。
今月から有給も付与されて、おかげで旅行の予定も立てやすい。
これで良かったのか。
どうすれば良かったのか。
考えても、わからない。
でも、気兼ねなく休める。
今の私にはそれだけで幸せで。
好きな山に行き、キノコをとってきて料理する。それだけの秋を過ごして、数年ぶりにとても幸せを感じている。
全力を注いでいた仕事が私を苦しめ
お金のために働いている今、幸せを感じている。
仕事なんてそれぐらいで良いのかもしれない。