生まれ変わるなら、また一緒になりたい?
写真の彼女は、それはそれは穏やかな笑顔で、もう仏様そのもの。というか、もう仏様なんやけど。
わたしの旦那には前妻がいて、10年ほど前に死別している。
うちには仏壇があって、お墓もあって、前妻と旦那の間には2人の息子がいて。それを全部わかった上で、わたしは旦那と結婚した。
結婚するまでは、旦那のことが好きで好きで仕方がなくて、とにかく結婚したくて。そんな状態で、前妻のことも息子たちのことも、じぶんごととして考えられていなかったかもしれない。
結婚してからは、それでずいぶんとつらい思いをした。(勝手に苦しんでいたのは自分なんだけど)
自分が先に出逢いたかったとか、自分が一番になりたいとか、死んだ人には勝てないと思っていた。一番つらいのは、大切な人を亡くした旦那や息子たちだろう。前妻も、愛する夫と育ち盛りの息子2人を残して逝くのは、さぞつらかっただろう。わたしは、それよりもっとつらくて、悲劇のヒロインなんだと思っていた。もはやただの自己中でしかない。
そんなことで泣きわめくたびに、旦那は「おまえはオンリーワンだから。ナンバーワンよりオンリーワンだろ?マッキーもそう言っとっただろ」と言ってくれる。でもわたしは、ナンバーワンじゃないと気が済まない。なんて強欲な人間なんだろうか。もはやただのメンヘラでしかない。槇原敬之にガチ説教してもらいたい。
松田聖子と郷ひろみが破局したとき、「生まれ変わったら絶対一緒になりたい」と言ったんだとか。
わたしもそうなりたいと思っていた。でも、前妻もそう思っていたかもしれない。もしかしたら、旦那も前妻とそうなりたいと思っているかもしれない。だからわたしは勝手に「旦那と前妻の娘に生まれて、愛されたらそれでいい」と思うことにしていた。そうやって自分に言い聞かせていた。控えめな自分を演じて、悲劇のヒロインぶって。
つい最近までは。
今はどうだ?と言われると、別にどうでもいい。
生まれ変わり?はぁ?前世の記憶なんかあるわけないやろアホか。とまで思うようになってしまった。愛がなくなったのかというと、そういうわけでもない。
結婚前〜新婚のときは、「結婚」に変な幻想を抱いていたのかもしれない。脳内お花畑だったのかもしれない。いざ結婚してみると、想像していたよりも、なんというか泥臭いものだった。「家庭」が社会の最小単位と言われているのは、これのことなのかと。もちろん、一緒にいられる幸せもいっぱいあるけれど。
いま「結婚って何?」と聞かれたら、わたしは間違いなく「生活」と答える。人生という道を歩いているのだとしたら、その行為そのものが「生活」の積み重ねであって、途中で旦那と合流して二車線になった感じ。どちらかが亡くなるか離婚すれば、また一車線に戻るだけ。
もし生まれ変わるなら、そのとき出逢った好きな人と結婚して、また二車線を歩いていくだけ。今の自分にとっては、そんなことはどうでもいい。今好きな人と、歩いているから。
それでいいやんと思えるまでに、これでも結構時間がかかったなぁ。
遺影の前妻さんも、それでいいやんって言ってくれている気がする。
サポートしていただいたお金で、旦那さんにごちそうするのが夢です。