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『三度の飯よりご飯が好き』と言っていた友達は今、何しているだろう?(赤松新)

今回はこの場を借りて、上記タイトル「俺は、三度の飯よりご飯が好きなんだ」と、得意げに言ってきた友人・神田匠に感謝と謝罪をしたいと思っております。
こう書き出すと、神田くんが死んだのかな?と思われるかもですが、死んでないと思います。全然、会えてないだけで。(前編より)

『拝啓 神田匠様』 前編(出会い~小学校卒業)

『拝啓 神田匠様』 後編(中学~)

保育園からの友達。いつも一緒だった。嬉しいときも悲しいときも、怒られるときだって、いつも隣で笑ってた神田匠。
「俺、三度の飯よりご飯が好きなんだぜ」と得意げに言っていた匠。
そんな友達への感謝と贖罪の手紙、後編です。
あ、こんな書き方だと死んだみたいですが、多分死んでないと思います。
もう二十年以上会ってないだけで。

県内でも下から数えたほうが早いくらいに荒れていた葛塚中学。俺らが入る2年くらい前には新聞にも載ってたな。
不良が屋上に来た教師を閉じ込めたって。漫画みたいな荒れ方してた葛中。
何がそんなに気に食わないのか、反抗的な不良の巣窟。
しかし、俺らが入学する頃には教師、警察の努力の甲斐あって、少しは落ち着きを取り戻してたんじゃなかったっけ?
校内暴力もそんなに聞かなかったし、窓ガラスもそんなに割られてなかったし。
まぁそれでもたまに、体育館の屋根に登ってるのがいたり、女生徒の不良がコンドーム膨らませて持ってたりしたけど、平和平和。
何より、俺らの代にはそんな「社会が全て敵です」「大人はなにも分かっちゃいねえ!」っていうのがほとんどいなかったしな。「ビー・バップ・ハイスクール」の影響も大きいだろ。「そんなダサいことやめようぜ」の風潮が強かったし。

 そんな葛中に入学したけど、やっぱり葛小の奴らはすごかったな。
何がすごいって、変なアダ名の奴が多いこと多いこと。
ネコ→猫の耳に似てるから。キク→肛門に似てるから。ケベ→スケベだから。
ゲロ→ゲロ吐いたから。モト→田中元首相から。
本当に個性的な奴らが多かったな。
匠とはクラスが違ったし、俺は野球部入って、匠はバレー部に入ったから全然遊ばなくなっちゃった。まぁ学校ではよく話したし、休みの日とかはたまに集まったりしたけど。
でもほんと、中学の奴らは変わった奴らが多かったよな。
佐渡ヶ島から中学になって転入してきた金井。各クラスのケンカ自慢に次々とケンカ売って負けるを繰り返した奴。「荒井注」にかけて「金井ちゅう」って言うと、異常にキレてた金井。それが発展して「金井、中学生」を「金井ちゅうが臭え」って変換してイジられると、これまた異常にキレる。で、ケンカして負ける。マジで意味不明。
信じられないくらいに貧乏で子沢山だったゲンユウの家。「あれ?江戸?」って思うくらいの古い家でさ。そこにギュウギュウに家族がいたり、親父がそこら辺で寝てたり。今、思い出してもアレはなんだったのか?と不思議に思う奴だったよな。
実家が自転車屋で、その近辺で自転車が燃やされる事件が起きてて、みんなに疑われてたコバジュン。みんなに「自転車燃やしたのお前だろ」と言われるたびに、否定しながら笑ってた。犯人が捕まってないけど、本当にコバジュンじゃなかったのかな?

あと、中2の時にコウジが家出した時も、夜に一緒に探したよな。チャリ乗ってでかい声で「コウジ~!」って言いながら。不謹慎だけど楽しかったな。
夜中に外に出れる大義名分みたいな。
結局、コウジは家の近くの田村の家のガレージに4日間、隠れてたんだろ?そこにあったリンゴ喰ってたって。しかもウンコもしてたって匠が教えてくれたよな。ていうかお前、なんかやけに笑ってなかったか?「リンゴを勝手に喰って、ウンコしてた」って言いながら。
あと、その田村な。マジで嘘しかつかない田村。なんでも「俺、それ持ってるぜ」って嘘をつく。「俺、会ったことあるぜ」とかも。あれ今考えると、一種の心の病気だわ。もっと優しく接してあげればよかったと後悔してるよ。

中3になって高校受験だっていうのに、匠は何故かバンド組んでたな。
バレー部もすぐ辞めて、ギターの練習して。もともと器用だから、ギターもめちゃくちゃ上手かったし。。
キャプテン翼の影響で、みんなでオーバーヘッドキックの練習している時に、右腕骨折した馬場と、本当に「デヘヘヘ」って漫画のアホのヤツの笑い方するイノキンとかとバンド組んでたよな。なんで?受験だよ?
まぁ匠は市内の高校に行くって決めてたみたいだけど。でも、そこは葛中の延長の様な高校だぞ。今は知らないけど、当時は落ちたりこぼれたりの生徒が行く高校のイメージ。
俺は、匠のすごい記憶力とか知ってるから、勉強したら絶対に俺よりいい成績とれるの知ってるから、一緒の高校に行こうって説得したけど「俺、別にいんさー。どうせ高校出たら働くし」って言ってたな。
俺は余計なお世話だったんかな……?

みんな受験が終わって、有志が集まって公民館でライブやってたな。
3組出てたけど、みんなBOOWYとかXとかだったのに、匠たちはまさかの洋楽。確かボン・ジョヴィとか。ここでもまた匠のすごい記憶力が発揮されてた。
英語の歌詞をフルで覚えて歌い切るっていう。だからなぜそれを勉強に生かさない。
当然、みんな知らないからポカンとしてるけど、カッコよかったのは覚えている。
俺も当時、ボン・ジョヴィ知らなかったけど、それでもカッコよかった。
みんな衣装は思い思いのカッコいいのを着てたけど、匠たちは体操着。それ、中学生のセンスじゃないよ。中学生にそれは早すぎる。分からないって。
やっぱりすごい奴だったんだな、お前は。

高校に入ったら、さらに遊ぶ回数は激減したな。まぁ仕方ないか。匠な市内。俺は電車で20分くらいのところ。俺はサッカー部で、匠は帰宅部。
それぞれの友達と遊ぶようになるし。
それでも長い休みの時とか、壁に蚊がびっちり付く匠の家に時々遊びに行ったけどな。
匠は相変わらず馬場とかイノキンとかとつるんでたな。16になったら原付き取って乗り回してたし。たまに後ろに乗せてもらったりけん引きしてもらったり。
そう言えば、やけに全日本の女子バレーにはまってたな。益子直美とか斎藤真由美とか。で、バレー雑誌に益子直美の似顔絵を描いて送ったら採用されたって。
でもその絵は絶対に見せてくれなかったよな。なんで?すごいことなのに。
なんか恥ずかしいって言ってたけど、よく分からなかったよ。

ギターはずっと続けてたみたいね。俺も匠に教えてもらったけど3日で「ダメだ。俺には才能がない」って諦めたよ。それでライブやるとか言って観に行ったけど、やっぱ相変わらずセンスが早いんだよ。
全員、ブリーフ一丁でサングラスして、ボーカルが拡声器持って歌う……誰が新潟の片田舎でそのセンスを理解する?で、洋楽を歌う。誰がついて来る?
東京ではその頃、渋谷系だとか言われている時代だぞ。
ただ、めちゃくちゃギター上手いし、カッコをつけてないカッコよさがあったよな。「なんであんな感じなの?」って聞いたら、「カッコつけるのダサくない?」て言われた時に、目から鱗だよ。そんな先行く発想でやってんだもんな。

高校卒業したら、匠は専門学校。俺は浪人。もう殆ど会わなくなっていた。
お互いの家に行くこともないし、駅とかでばったり会ったら話す程度。
「いつ会っても、また昔の様に戻れるか」ってことに甘えてたのかもしれない。
「いつでも会える」が「いつまで経っても会わない」って事に変わったことに気がついたのは、もっとずっと先だよ。
成人式に行かなかった俺も悪いよな。変な尖り方しててさ、「そんな過去なんてどうでもいいから」みたいな、めちゃくちゃイタイ奴だったの、俺。
それ、すげえ後悔してるよ……。
確か22歳位かな。偶然、地元の駅で会ったよな。ほんと嬉しかった。しかも、
「久しぶりだな!今、なにやってんの?」って聞いたら、「俺、この前、人を車ではねちゃった。それで借金200万あるんだよ」って言った時はビックリした。
はねた人は命に別状なくて怪我で済んだんだけどさって言うけど、それでもだよ。
「だから、すげえ働かないといけないんだ」って笑って仕事に向かっていくその姿。相変わらずだなって、面白い奴だなって、すごい嬉しかったの覚えてるよ。
車で人にぶつかっちゃって怪我させてるから、本当にダメなんだけど、でもそれでも笑ってる匠。あの保育園からの友達、神田匠だって。嬉しかったな。
俺さ、あの時に「東京来ないのか?」って聞いただろ?住むところがないなら俺のとこに住んでもいいしって。でもお前は「俺……長男だからな」って。
意外とそんな所はキッチリしやがって。長男信仰の有り無しは置いといてさ、俺は一緒に東京で……って考えてて。そしたら今とは違う感じになってたたんだろうな。
そして、それから二十年以上……一度も会ってないよな。

30歳過ぎくらいの時に、俺が思い立って昔の友達に連絡するって時。
みんなに「何だ急に?」「選挙のお願いか?」「何か売りつけるのか?」なんて思われながら、それでも連絡取って、会える奴には会って。その時、匠にも連絡したよな。すげぇ苦労したんだぞ。壁一面に蚊がいる家はとっくに引っ越してたし、電話番号もない。だから、近所に住む匠の親父の従姉妹っていう人のところにいって、まず匠の実家の連絡先聞いてさ。めちゃくちゃ怪しまれながら。
で、連絡したらお前の親は覚えてくれてて、匠の携帯教えてくれて。
で、連絡したら今も市内の近くに住んでるっていうじゃないの。
「めちゃくちゃ久しぶりじゃん!今から飯に行こうぜ」って俺は本当に嬉しくて、嬉しくて。匠に会いたいって思ってたのに、「いや……まぁ……会うのはまた今度でいいじゃん」って引いてやんの。
「大丈夫だよ。壺も売りつけないし、浄水器買ってくれも言わないし、金を貸してくれとかじゃないから」って言っても、「まぁ……急だしな……」って変に大人の対応。
猛烈に悲しくなった。当たり前なんだけど、大人になってるっていうか……。
損とか得とか、変なエゴとか打算とか、疑いなんて微塵もなかったあの頃は、もうとっくに無くなったんだよな……勝手に匠とだけはそんなのが一生続く、いくつになっても会えばいつもの感じって思ってたけど、そんなのは幻想だよな。もっと頻繁に連絡を取っておけばよかったよ……。30も過ぎて何を言ってんだ?だけど……ほんと悲しくてさ。

それからずいぶん時が経っても、全然会わなかったな。せめて俺が地元に帰省した時に連絡でもしたらよかたのに、なんかね。怖かったのかな?どこかで「いつまでもあのままの匠で……」って思ってたのかな?
でも、急に匠から電話貰った時は嬉しかったよ。
「俺の娘が東京行った時に、なんかあったら助けてやってくれ」
いやぁ、驚いたね。娘いたんかい!で、よく聞くと、「もう離婚したんだけどね」。
色々あったんだな。もう「セックスのこと『エス・イー・エックス』って英語で言うらしいぞ!」の匠じゃなくなってるよ。そりゃそうだけど。
俺、電話もらったときシナリオ書いてたけど、その後、何も手につかなかったもんな。なんだろうあの感情。何も説明できない。

フェイスブックで匠から申請きてさ、そこで匠がOasisの曲を弾いてるの観たのは嬉しかった。俺もOasis好きだし。
俺の誕生日の時にフェイスブックに連絡くれて嬉しかった。
久々に電話くれたとき、「新、頑張ってんだな」って言われて嬉しかった。
ずっと、ずっと友達でいてくれて嬉しかった。
匠、本当にありがとうな。俺はまた生まれ変わっても、匠と友達になる人生を選びます。

今後、どっかで会ったら飲みに行こう。俺、弱いけど。
で、「新とは幼稚園からの友達」って言ってくれよ。
そしたら俺が、「違うよ。幼稚園じゃなくて保育園だよ」って訂正するから。
これからもよろしくな。

                               赤松新

P.S 
やっぱり人生で一番美味しいアイスは、匠が必死に盗んできた「ブラックチョコアイスバー」じゃなくてハーゲンダッツのクッキー&クリームです。
ごめんね。


赤松新(吉本興業所属)
ルミネtheよしもと出演中
ドラマ「初めて恋をした日に読む話」泉譲役で出演。
第29回ヤングシナリオ大賞・佳作受賞
世にも奇妙な物語
「幽霊社員」脚本 「あしたのあたし」原案 「鍋蓋」脚本
「映画・生理ちゃん」脚本
「ランチ合コン探偵」第5話、第7話脚本

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