為すも為さぬも神様次第
宗教を信じると言うよりは、自然の力、地球の力、宇宙の力によって起こる美しい景色に出会えた時に感じることがある。
・運が良い
・神様の存在
このふたつだ。どちらにも気づくためには、常に感性を高めておく必要があると思っている。
少し前のことを話そう。
津屋崎アンタッチャブル
グループ展「津屋崎アンタッチャブル」は無事に大盛況の中幕を閉じた。
二日間で250人近く来たとのことだ。私の知り合いでも多数来てくださった。本当にありがとうございました。不便極まりない場所ながら、電車、バス、自動車、果ては自転車で来てくれた皆さんに本当に感謝しています。
少し当時の様子を記載しよう。初日の3/13は仕事のため不在だったので、3/14の写真のみだ。
かなり雰囲気の良い場所に、バキバキに個性強めの連中が所狭しと表現をして、ゆるーくみんなが楽しむイベントだった。風景写真を中心に展示しようとした当初の予定を大きく覆してライブ写真がメインの展示にして正解だったと確信している。でなければ、他の連中のエネルギーに負けていただろう。
それはそれは濃いメンツだった。ありがとうございました。
2021/03/15
さて、3/15は片付けだった。展示物の撤収をして建物全体を掃除した。
13時から始めて16:30までかかった。のんびり休憩しながらの片付けも仲間とやると楽しい時間だった。
津屋崎まで来たのだから夕日を期待した。まずは、付近の良い感じの木を見つけたので撮る事にした。
場所は、津屋崎の漁港の付近だ。地元の人ならすぐわかると思う。
150-600mmのレンズの練習にはちょうど良かった。
この構図で被写体を真ん中に立たせてたらきっと綺麗だろう。
18:00をまわり、いよいよ夕日の本番が始まりだしたので浜辺へと向かった。津屋崎の遠浅の穏やかな海に夕日が映す光の道ができていた。
美しかったので、この場所から最後まで撮ることを決めて150-600mmを構えた。
ちょうど船が見えたので道の真ん中に入れる事にした。
600mmいっぱいにズームしているので肉眼では見えない。まさにレンズの特性を活かした写真だった。
こういう自然の美しさを見るといつも思うことがある。
・私はなんて運が良いのだろう。
・この美しさは神がかり的だ。
運が良いわけでも、神様の存在を説きたいわけでもない。これらは全て「感性」があるから得ることができると思っている。
感性、つまり自身のことだ。運が良いと感じるためにはその写真を撮ると決める感性が必要だし、神がかり的と感動するにはその存在を感じとる感性が必要だ。
これを育むことは容易ではない。年々、刺激は減り退屈になる。
どこかで見た景色、体験が増えていき、微細な感動をする力が損なわれていく。手っ取り早い方法は、今までやってきたこともない新しいことを始めることだ。新しい刺激が手に入りやすく新しい感性を得ることができるだろう。
そうやって感性を育む人は多い。私もそれを憧れる。だが、残念ながら行動力の遅い私にはそれは荷が重い。ならば、今できることで感性を育むしかない。
その結論が風景写真だ。これならどこにでもあるからあとは気づいてシャッターを押せればいい。
そして、それを人物撮影に活かすのだ。その展示をここ1ヶ月にずっとやっていた。
お越しいただいた皆さん、改めてありがとうございました。