生きてるだけで丸儲け、では済まない
■生きてるだけでは丸儲けでない。
生きる意味が必要だ。それを考える余裕があるならまだマシなんて理屈はやめてくれ。
生きる意味、私にはある。撮ることだ。撮り続けることだ。それは、だれも答えを用意してくれない旅だ。それは、納得がいくまで撮り続ける長い長い旅だ。
いつからスタートしたか曖昧だが、HBK!と名乗ってかれこれ20年ほどは経った。名乗った当時のことを知っている人間はほんの一握りだ。それから、数年が経ちライブフォトグラファーHBK!として認知されだした。かれこれ13年前だと思う。撮りこぼしたシーンのほうが圧倒的に多いが、マイペースに福岡の音楽シーンのほんの一部を撮り続けてきた。この継続こそが個性だと自分に言い聞かせて今も撮り続けている。
年下のフォトグラファーや表現者も多数現れた。後輩もそれなりに出てきた。(本当は後輩なんていない。すべて平等だが、読み手への理解し易さ優先で便宜上年下のやつらを後輩と呼ぶ。)
後輩たちに「継続こそ個性」といつも言っている。単純だが奥が深いなんて言ってくれる人もいる。なんてことはない。私は他に持ち合わせていないのだ。自分の経験はこれしかないのだ。決めつけに近く他に技術も取り柄もなかったのだ。こうするしかなく苦肉の策だったのだ。そして、近道も遠回りもわからず自分で決めた道を歩き続けてきたのだ。歩き続けたというよりかは、流れに身を任せて筏に乗ったままみたいな感じだ。だから、この言葉は私の内から出てきた「生きた言葉」だ。体験に裏打ちされているからだ。
私がHBK!であるために捧げたものは、膨大だ。普通の人なら手放すはずのないモノも多数手放した。それが正解かなんて考えたくもない。後悔はしたくないが、ほんとならできれば手放したくなかったのだ。私には無理だった。私がHBK!であり続けるのは容易ではないのだ。
そして今、私は生きる意味が揺らいでいる。撮りたいものを撮ることに躊躇いを持ち始めている。それはHBK!の終わりを暗示しているのかもしれない。わからないが、必死に抵抗している。自分の中の得体のしれない不安に負けたくない。
しかし、よぎるのだ。「いつまで撮るつもりなのだ」、と。
押しつぶされる前に、かたちに残したい。写真展をしたい。写真集を作りたい。生きた証を残したい。記憶にも記録にも
■水面下で進行しているいろいろ
というわけで、写真展の準備が進行しています。また、写真集の準備も進行しています。写真展は近い将来開催します。現在開催中の佐藤俊介(さとしゅん)の写真展を見て私もやろうと腹に決めました。
サトシュンの写真展情報(2021/1/22 - 31)
私の開催場所は、これから探します。たぶんアレアコーヒーかな(まだ確認も許可も相談もしてないけど)
過去にやったので要領を得ているのと、少しでもお世話になった飲食店に恩返しがしたいので。明日にでも相談しよう。写真は、2018年に展示したときのもの。多すぎてあたまがおかしくなるかと思った。
情報更新されたらまたお知らせします。よろしくお願いします。
写真集の件は、どこにだれに持ち込もうかある程度決めてて来月にでも東京に行けたらと思います。その前に自分の写真が本になるということの感動を疑似体験しておこうと思いたくて一冊作成中です。500ページ。
途方もない量だが、今月中に終わればいいなと。
こちらも進展があったらお知らせします。よろしくお願いします。
■物販いくつか告知
お願いだらけですが、物販のお知らせも。
メルカリでステッカーなどを通販しています。
メルカリ自体はじめて使用したのでよくわからないことだらけですが、のんびりやってますのでステッカー欲しい方は、こちらでお買い求めください。
ステッカーは、M2DのEATERが「何をみても何かを思い出す」をグラフィティに落とし込んでデザインしてくれました。ありがとう。日本語グラフィティ、最高にクール。
大きさは、13センチ、ハガキサイズなのでわりと大きいです。iphoneには収まらないです。
また、風景写真をメインとしたアパレルは、SUZURIにて販売中です。わりと写真のリクエストあればデザインしますので言うてください。
■最後に
この歌、先日のブログでも紹介したが今夜みたいに沈みがちな気分の時に特に染みる。
Living the Concrete Junge
みなも負けじと負けじと戦い続ける、この街
空へ手を伸ばせ、照らしてくれ太陽
頑張ろう。まだまだ撮り始まったばかりだ。