自己紹介〜中国古典文学との出会い
私の興味対象は、「中国古典文学」という、非常にややこしい領域です。
何がややこしいのかというと、まず「中国」という言葉が厄介なのです。
一般的に「中国」というと正式名称の「中華人民共和国」を指します。すると「中国」の成立は1949年ですから、「中国文学」とは1949年以後の文学作品ということになります。しかし1949年というと、私たちの感覚では、「古典」と呼べないと思う人がほとんどではないでしょうか?
つまり、ここでの「中国」というのは、「中華人民共和国」ではなく、「東アジア大陸の一部」を意味するのですが、その地域を呼び表すちょうどいい呼び名が今のところありません。
昔の日本人は、その地域をシナ(漢字では「支那」)と呼んでいました。この言葉の語源は「秦」王朝にあり、英語ではチャイナとして今でも使用されています。しかし日本では敗戦を機になぜか差別用語とされてしまい、今では「東シナ海」など一部の地理用語だけに制限されているのが現状です。
そこで、「東アジア大陸の一部」の地域を指す場合も「中国」と呼ぶしかないのですが、言葉は不思議なもので、中華人民共和国が今に至るまでずっと連続してきたかのような錯覚に陥ります。実際、私の友人でもそのように思っている人は結構多いものです。
これはある意味仕方のないことで、日本はずっと途切れることなく王朝が存続してきたので、お隣の国々のように、「国が変わる」ということがイマイチ実感できないのだと思います。せいぜい内閣や与党が入れ替わる程度のことだと思っているのでしょう。
王朝交代というのは、日本人にとっては想像が難しいですが、国の成り立ちが根本から塗り変わることです。日本で言うならば、天皇制がなくなるようなものです。考えにくいですよね?(…と言いたかったのですが、最近は皇室に関する議論が盛んで、女性天皇や女系天皇の話も挙がっているだけに、ちょっと怪しくなってきましたが…)。
旧国家の崩壊と新国家の成立は、中国に限らず世界中の国々で何度も繰り返されており、1つの王朝がずっと続くというのは日本だけの奇跡的な例外なのです。
このような事情から、「中国」という言葉は慎重に使うようにしているのですが、話を戻すと、私にとっての「中国古典文学」の関心は唐詩から出発しました。
もともと私は学校の国語の授業が苦手でした。先生の解釈がイマイチ理解できないし、何が面白いのかもよく分からない、だから学ぼうという気も起きない…。古典なんてなおさらそうです。
転機が訪れたのは高校生の修学旅行でした。当時通っていた私の高校は、たまたま修学旅行で韓国に行くことになり、田舎者の私にとっては初めての東アジア体験だったわけですが、現地での高校生との交流に衝撃を受けました。
釜山の学生と一緒に現地を回るツアーだったのですが、同い年くらいの現地の学生たちは日本語と英語を流暢に操り、一方の私たちは何もできずただついていくだけ。そういうものなのかもしれませんが、私にとっては大きなカルチャーショックでした。
と同時に、韓国を含め朝鮮半島はもともと大日本帝国に併合され共の歴史を歩んだ時期があることもかかわらず、今まで全く韓国に関心を持つきっかけもなかったため「近くて遠い国」を肌で感じました。
「この人たちのこと、もっと知ってみたいな」
そんな軽い気持ちで韓国語と、ついでに中国語に触れてみることになったのです。高校2年生の夏のことでした。
その頃から希望進路も東アジアに定め、なんとなく人生の方向性が見えたように思っていました。
古典に興味を持ったのは、大学1年のころ。
当時は東アジアのことをもっと知りたい、という純粋な好奇心でいっぱいで、周りから見たら異常な学生だったと思うのですが、図書館に通ってはさまざまな本を読み漁るというタイプでした。
その中に、たしか唐詩の入門書だったと思うのですが、そこで印象的な詩に出会います。
なんて美しい詩だろうと、率直に感じました。五言絶句ですから、たったの20文字、しかも大して難しくない漢字の配列の中に、思い通りにならない退廃感と、闇に向かう一瞬の夕日の美しさが対照的に描かれており、大のお気に入りの作品になりました。作者とされる李商隠という詩人の名前も、この時に知りました。
それからは唐詩にハマり、卒論も李商隠の詩について書き、学部を卒業した後は社会人として働きながらもその興味はずっと続いているといった感じで今に至ります。
研究の道にまた戻れたらいいな、と思うこともあります。そのためにはやはり、経済的な安心が絶対必要だと感じますね。
このノートでは唐詩を中心とした古典作品に関して、普段思っていることや調べたくなったことを書いていこうと思います。自分の研究テーマをまとめた備忘録的位置付けで書いていきますが、二次的には、文学部や東アジアに興味がある中高生、レポートや卒論のテーマに迷っている大学生、元中国文学専攻だった方などにお役に立つかもしれません。
インターネット上には多くの人に必要とされる情報が記事になるので、学者でもない素人の私のら思いつきがどれほど需要があるのか分かりませんが、暖かく見守っていただければ幸いです。