『ブリーズ:ヒクソングレイシー自伝』から現代における武道を考える
私は身体のことを極めている人が好きです。
そのため、10代のころからいろいろな武道の達人やアスリートの本を読んできました。
自分のトレーニングに直接役立つことは少なくても「こんな人がいるんだ」という驚きが、モチベーションを与えてくれます。
近年は、身体のことは専門書を読むことがほとんどで、そういう系統の本は読まなくなっていましたが、ここ数年で読んでよかったのが、ヒクソングレイシーの本です。
ヒクソンといえば、日本の総合格闘技の世界で1990年代に活躍し「400戦無敗」といわれた、伝説の格闘家です。
ヨガを取り入れた変わった鍛練法をしていたり、生き方が武道家っぽかったり、いろいろと面白いところのある方です。
そのヒクソンの自伝が『ブリーズ:ヒクソングレイシー自伝』です。
この本を読むことで、ヒクソンは格闘家、武術家というよりも一種の武道家であり、厳しい格闘技の世界を生き抜く中でその思想を獲得していったことが良く分かり読む価値のある本でした。
私は格闘技も柔術も素人ですが、古武道の世界でそれなりに鍛練し、現代における武道の価値を考えてきました。そのような自分にとって、この本は読みごたえのある本でした。
特に、下記の点を読み取りました。
競技者としての技だけでなく、武術的な想定で技、精神、生活全般について思想を持っていることについて
文化の継承に強い繋がりを持つ共同体が重要な意義を持っていることについて
身体のことを何らかの形で追求している(したいと思っている)方は、面白く読めるはずです。
1:ヒクソン・グレイシーの技と思想
1-1:ヒクソン・グレイシーの家系
そもそもグレイシー柔術は、世界で戦った日本の柔道家前田光世がブラジルに伝えたものがベースとなっているものです。
グレイシー一族は歴史ある名家のようで、ブラジルで経済的に豊かな生活をしていたようであり、一族の思想としては家父長的で武士的なものであるようだったことが、この本から分かりました。
具体的には、一族の歴史を重視し、一族の歴史に恥じない生き方をしようという思いがあり、また一族の中には序列があり親の権力が強いようです。
グレイシー一族は前田の柔道を学び、それを寝技中心のグレイシー柔術として体系化し、それを一族の中で磨き上げていきました。グレイシー一族の中では、一族のトップを柔術の実力で決める暗黙のルールがあり、そのある時期のトップとなったのがヒクソングレイシーだったということのようです。
1-2:ヒクソン・グレイシーの技と精神
ヒクソンの技と精神の社会的背景
ヒクソンの柔術は、端的にまとめれば、素手の闘争において生命を懸けるレベルの実戦性を前提として体系化されたものであるようでした。
ヒクソン世代のブラジルの都市の社会は、銃社会でギャングの存在も大きく、警察による治安維持や法による秩序は未成熟であったようです。
そのため命の危険を感じるトラブルは日常であり、その中で生き抜くためにはそのレベルにおける技、肉体、精神が必要とされたようでした。後にグレイシー柔術はブラジリアン柔術として、グレイシー一族の思想から外れて競技化されていき、現代の総合格闘技界などに大きな技術的影響を及ぼしていきました。
しかし、ヒクソンは今でもあくまで実戦的な護身術としての体系にもこだわっていることから、ヒクソンは命を奪われる可能性のある素手の闘争での技、精神を体系化したと思われます。
ヒクソンは日本での試合前には必ず長野の山奥に籠り、精神統一してから試合に臨んでいたようですが、試合に対して命懸けの姿勢を持っていたからこそ、そのようなルーティンを行っていたようです。
ヒクソンの思想の武道的側面
ヒクソンは柔術の鍛練を単なる競技に勝つためのものと考えておらず、また単に強くなることだけを良しと考えているわけでもないようです。
競技の強さや護身だけでなく、柔術を通じて感情をコントロールし、さまざまな場、関係性の中で自分に有利に物事を進めることや、より豊かに生きられる精神を身に付けることも目指していると思われます。
このように、ヒクソンは現代に生きる一種の武道家であるため、その精神的側面にも学ぶべき点があると感じました。
学ぶべき点としては、
◎極限の状況でも最善の解決策を目指して冷静に考え、解決にあたること(必ずしも闘うわけではない)。
◎どのような状況でも主体的に、自分の頭で考えて判断し行動すること。
◎対人的な駆け引きの方法。
◎緊張、不安などとの向き合い方、感情のコントロール
など、多くのものがありました。
2:ヒクソンの生活と鍛練
参考になる生活、鍛練の中身としては下記のようなものがありました。
特にヒクソンの時代はまだまだ格闘技も荒っぽく、ブラジルではバーリトゥードというほぼ何でもありの試合を行っていたようです。
剣術における真剣勝負レベルではないとしても、生命懸けに近いレベルで勝負し、生き抜いてきた人物からは、生活内容についても学べることが多くあると感じました。
私たち古武道家には試合というものがなく「生命を懸ける」ということは観念的に想定するしかない部分があります。そのため、自分たちの考える「生命を懸ける」が知らず知らずのうちに甘いものになっていないか?常に意識しておく必要があると思ういます。
そのような視点から、ヒクソンのように格闘技レベルでも真剣勝負を行ってきた人物の経験や考え方から、学べることは多いです。
3:文化の継承には強い共同体が必要である
この本からヒクソンの技、精神以外の面で考えたこととして、文化の継承には強い共同体が必要であろう、ということもあります。
そもそも、なぜ世界の格闘技界を席巻するような柔術が数十人程度の一族の中から生まれたのかのでしょうか。
それは、グレイシー柔術という特殊な文化を、物心ついたころから家族の中で学ばせ、切磋琢磨し、生涯をその文化(グレイシー柔術)の継承に懸けてきたこと、そして血縁という強い関係性を使って、しっかりと継承させていくことができたためであると思われます。
前述のようにグレイシー一族は家庭の中での男性の役割が強く、親子関係が厳しく、同世代の間でも実力による序列があるという一種の封建的・保守的な文化を残す一族であると思われます(これはヒクソンの世代以降は緩和されていったようですが)。
現代日本社会では見られないような血縁共同体のあり方ですが、このような強い関係性があったからこそ、文化のレベルが維持、発展させられながらヒクソンにおいて結晶されたのだと思われます。
歴史的に見ると、近代化によってさまざまなレベルの共同体が解体され、現代では企業を中心とした一種の共同体と、核家族という縮小した共同体が社会の構成単位となっていると捉えられます。
近代以前は、血縁、地縁や集落、職能の繋がりなどさまざまな共同体が存在したと思われ、その共同体が文化の蓄積や世代を超えた継承を可能にしたのではないでしょうか。
そのために、様々な共同体の中で多様で質の高い文化が保存されていたのだと考えられます。
しかし、近代化以降は共同体が解体され、世代を超えて文化を継承、発展させていく関係性が少なくなっていきました。そのために、文化の大部分は企業を中心とした経済活動によって生み出される画一的なものに偏向しているのでしょう。
このヒクソンの自伝を読んで、やはり文化の継承、発展のためにはある程度強い関係性を持った共同体が必要ではないかと考えました。確かに、関係性の強い共同体は個々人の思想や行動、選択の自由を拘束する側面があったり、序列化することで女性や子供の自由を奪うなど負の側面もあったでしょう。
そのため、今更昔ながらの共同体を再構築する必要はありませんが、昔ながらの共同体の良かった側面を掬い取ることで、武道組織のあり方を検討することもできるのではないか、と考えました。
まとめ
素晴らしい境地を切り開いた方からは、たくさんの学べることがあります。
実際に会うことは難しくても、その思想をまとまった形で知ることができる読書はとても価値のあるものです。
ぜひご一読ください。
励みになりますので「いいね」と「フォロー」をよろしくお願いいたします!