【私の働き方実験#2】LACを3ヶ所まわったいま、思うこと
皆さんこんにちは。ライターのふかとみです。
今回は、LAC(LivingAnywhere Commonsの略)をまわってみて思うことを率直に、ありのまま書いてみました。
人によっては、気持ちの良くない感情も出してしまっています。ご了承ください。
しんどいな~って気持ち
と肯定的なことばかり言われると、正直そんなことないんじゃないの?と疑ってみてしまう。
実際、LAC館山のバーベキュー会に行った時は、人がごった返して、ゆっくりするというよりは陽の人たちの集まり、という印象にしかならなかった(ちなみに、館山の方は悪くない!タイミングと短期滞在だったことが原因である。)
アンバサダーさんやコミュマネさんの紹介記事を読むたびに、
など書いてあって、違和感を覚えた。
あんなに人がいて、それなのに全然うまく話せなくて、自分らしくなんて居られない。
酒の勢いで盛り上がったり、ただワイワイやっているように見えて、自分がしんどくなるだけかな?なんて思ったりもしていた。
これから11月まで、また泊まりに行きたいって思えないかもしれない。
それくらい、楽しくない気持ちもあった。
でも、やるって言ったからには泊まりに行ってみよう…(いい意味で粘り強い。悪く言うとなかなか辞められない)
どうせならイベントごとが多いらしい、伊豆下田にしよう。1番賑やかな場所に行けば、そこでうまくいかなくても、静かめな拠点に行けばいい。
そんなマイナスな考えもあった(本当に申し訳ないです…)。
行ったら何か変わるかもしれない
果たして着いた伊豆下田。
めちゃくちゃビビってた。
浮いたらどうしよう。
バーベキューの時みたいに、周りの会話にぐいぐい入らなきゃいけなくて、結局1週間、部屋に篭りっぱなしにならないかな。
後ろ向きな気持ちで、LACに到着。
しかし、意外にも人が少ない。
(これはみんなから下田にはいつも人がいると聞いていたため、そのような印象を受けた)
リビングにはお兄さん達が2人。
あれ?意外と静かだな。
挨拶をして、とりあえずリビングに居座ってみる。
お兄さん達とはちょこっと話すも、それ以降特に人の出入りもない。
そんな不安を覚えながら1日目が終わった。
2日目
昨日話したお兄さんが、イベントを紹介してくれた。
それがインタビュー記事にも書いた『with a tree(ウィズ ア ツリー)』。倉庫を改装した場所で、子どもたちや地域の方が集まっていた。
これは、バーベキューのときみたく、ぐいぐいいかないといけないのだろうか。
う〜ん。。
そんなことを考えていると、LACから一緒に倉庫に来てくれたともさんが、たつきさん・ゆまりさん(LAC伊豆下田の皆さん)を紹介してくれた。
さらにはシモカタさんがいて(LACつくばでお話しを聞かせて頂き、面識があった)、この倉庫をつくった梅ちゃんを紹介してくれた。
まじで尊敬してる人って、ほんと?
その熱量に押され、そしてここがどんな場所で、シモカタさんがそれだけ言うのはどんな方なのか?と思い梅ちゃんに挨拶した。
梅ちゃんはパワフルだった。
おどおどしていた私に、「インタビューするんなら、まずは自分のことを話せるか?」と、本気で向き合ってくれた。
適当に流そうと思えば、いくらでも流せるし、忙しかったらチャチャっと終わらせてもいい。
でも、初対面の私に心から向き合って、信頼してくれて、大切な時間をつくってくれた。
(詳しくはインタビューにて)
やりたいことをやる。おもしろいことをやる。
自分のこれまでの人生、その時その時にやりたいことをやってきたはずなのに、なんだか周りに胸を張れずにいた私。
正社員でもない、将来やりたいことのためにコツコツ努力を継続しているわけでもない。
ただやりたい!と思ったことをやってきたら、キャリアとか経歴で括られたときに、うまく説明できない人生になっていた。
でも、それの何がいけないことなのか。
私が勝手に感じていた罪悪感?
恥ずかしい気持ち?
に対する答えを、梅ちゃんは持っていた。
やりたいから、やる。
おもしろいことを、やる。
定職についてなくても、いいじゃないか。
梅ちゃんはめちゃめちゃカッコいい。
と思った。
来てよかった、の気持ち
そこから少しずつ、私は肩の荷が降りた気がした。
周りの目を気にして、人の評価に合わせて、無理に自分を大きく見せようとしなくていい。
人と話すときに恥をかいてもいい。
人生は失敗の連続。やってみて失敗しても何にも問題ない。これまでうまくできなかったんだから、失敗するのも当たり前。
私は、初めて会う人に自己紹介するタイミングを逃しがち。
そんなことをいつも考えて、答えが出なくて、機会を逃す。
でも、話しかけて邪魔だって言われたら「あ、今じゃなかったのか。でも仕方ない。」くらいのことだし、
挨拶してみて「あ、うまくいかなかったなー」ってなるのは当たり前のこと(いつもうまくいってないのに、急にうまくいくこともない)。
失敗しても、別に相手はそれを一生覚えてることなんてないわけで。
そう思ったら、やらないよりやって後悔でしょ。
挨拶したいって思ってるなら挨拶する。
話しかけたいって思ってるなら話しかけてみる。
それで失敗しても、なーんてことない!
毎日実験じゃないか。
おかげで、自分から挨拶できたし(前よりは)、挨拶できなかったとクヨクヨ悩むことよりも、挨拶できた、よかったーと思えることが増えた。
失敗よりも、アクションできたことの方が自分には大きかった。
だから私みたいに、人に話しかけることに勇気がいる人、でも話したいって思っている人は、なんでもいいから話しかけてみてほしい!!
うまくいかなくても、案外どうってことなかったんだよ。
うまくやろうとしてない?
それから、これは1週間LACにいて気づいたこと。
みんな無理に、うまくやろうとしてない。
頑張って話しかけよう!とか、
うまくやろう!とかしてない。
例えば、キッチンに行ったらちょうどご飯を作ってる人がいたとする。
これくらい。みんなそれくらいなの。
それで挨拶だけでもいいけど、
どうでもいい一言をちょろっと話しかけてみる。
そうすると、なんてことない会話が始まって、ちょっとした顔見知りみたいになる。
で、そうなると、次にまたリビングとかキッチンであったとき、めちゃめちゃ話しかけやすくなるんだな。
これって、別に「話しかけよう、話しかけよう」って思ってやってるわけじゃなくて
みんなそれくらい、肩の力が抜けた距離感。
長くいるから、別にまたどっかでふらっとすれ違ったら話せばいいし、無理に話さなきゃってプレッシャーもない。
これがさ、
と思ってると、結構ハードだと思う。
というかハードだった。
館山はそれが原因で、私がプレッシャー感じていただけで。無理に短時間で距離を詰めようとするから、なんか変な感じになるんだよね。
そんで何を話すべきか!とか考えちゃって。
そんなんじゃなくて、普通に毎日ゆるゆる〜っとそこにいて、すれ違ったらちょっとした世間話するくらいの方が、「暮らし」なんだなって。
だから、1週間くらい、時間的にもゆとりがあってよかった。
少しずつ、無理なく、できる時にできる分だけ。
そういう暮らしをするには、やっぱ1週間以上必要そうだな。1日、2日で距離を詰められるタイプの人は短期滞在でももちろん良いけども。
「自分らしく居られる場所」
を体感するには、ゆったり居てみる。仲良くなろう!と力みすぎない。できるときにできる分だけでいい。
そして、また行ってみる。←ココ大事!
何事も、すこしずつ。
一歩ずつ。
自分らしく居るために、自分にとって大切なことを見極めていけたら。
だから、私にとってLACは
ではなく
という感覚に近いなあ。
そんなことを考えながら、下田を発ちました。
とにかくわかったことは
→ そのためには、1週間以上のんびり暮らす時間があるといいなぁ!(できれば2週間は欲しい)
何事も、ちょこっと体験しただけではわからないもの。
上澄みだけすくって、いい!と思うこともあれば、辛い…と思うこともある。
その感情はどちらも間違っていないし、大切な気持ちだけど、やっぱり深く関わってみてわかることもあるんだなぁ。
人との出会いも
旅先での新しい場所との出会いも
全部おもしろいなぁ。
こんなことを考えていたら、あっという間に次の場所へ。
次はどんな出会いや発見があるのだろうか?