住民15人 小さな離島[深島]の産業と特産品
私の暮らす「深島」は、大分県の最南端に位置する、小さな小さな離島です。
どれくらい小さいか、というと
よくある例えでは「東京ドーム2.5個分」くらい。
周囲4㎞、面積1.1㎢です。
(残念ながら歩いて1周できないので、1周〇分がわかりません笑)
島のおばあたちから受け継いだ幻の麦みそ
住民15人という小さな島に、奇跡的に残る産業がみそづくり。
「深島みそ」という麦みそが、島に代々伝わっていて、いまも残されています。
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深島みその始まりはおそらく深島に人が定住するようになった明治のはじめ。各家庭でみその仕込みをしていたそうです。
昔はすぐに何でも手に入るわけではないので、島ではほとんどのものが手作り。今でもその名残があり、みんななんでも修理しながらものを大切に使っています。
「深島みそ」商品化まで
深島みそが販売されるようになったのは、およそ25年前。
平成7年とか、8年とか、そのあたり。
昭和の終わりから平成の初めにかけて「農村女性起業」といって田舎に住む女性の生きがい創出や特産品開発のため、女性グループを中心に起業が盛んになります。(もちろん行政のバックアップあり)
深島にも声がかかり、当時婦人部代表だった安部ヒサヨ(達也の祖母)らが集まり、深島で何か商品化できないかを話し合ったそうです。
その時に「深島で何か売るものを作るならみそしかない」ということになり、加工場をつくり、生産を始めます。
蒲江の商店などを中心に、大分市内デパートにもおろしていたそうです。
クッキングパパに登場しているほか、ANAの機内誌「翼の王国」に掲載されたことも。
当時のメンバー3人は、いまもみそづくりを手伝ってくれています。
孫に受け継がれた深島の伝統
そして現在、わたしたち【でぃーぷまりん】が深島みその製造・販売を受け継いでいます。代表の安部達也は、元婦人部代表安部ヒサヨの孫。
島のおばあたちの想いや歴史も全部たいせつに、すべてを後世につなげるために、祖母らが元気な間にまだまだ島で学んでいきたいと思っています。
現在のみそがこちら↓
パッケージや包装容器は変更しましたが、製造方法は昔のまま。
かまどを使って麦麹を仕込む伝統的な製法を守り続けています。
島の歴史と想いがつまった「深島みそ」
ぜひご賞味くださいね。
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