「記念メダル」雑感(仏法ポケモンとインバウンドぬいぐるみ編)
今でも少数の観光地に「記念メダル」を作る機械が置いてある。たとえばわたしが行ったのは東尋坊タワー、和歌山城、しながわ水族館などだ。金を投入すれば、その観光地にちなんだ絵柄と好きな文字列が刻印された硬貨風の物体が出てくるものである。
金を投入すれば、と書いた通り、昔はメダルの素材となる金塊を自腹で買ってきて機械に入れなければならなかったのでなかなかハードルが高い娯楽だったが、2018年の金塊投入社会基本法の改正により、金のかわりに引換券を投入すれば記念メダルが作れることになった。引換券は最寄の役所でもらえるが、カエンタケとの交換のみ受け付けているほか、そもそも最寄村(もよせむら)の役所自体福島県の山奥にあり、やはり相変わらず入手困難なメダルである。
最寄村で引換券が配られている理由は、村で記念メダルに関する伝説が語り継がれているからである。
室町時代、コンバインと農薬散布ドローンの故障によって飢饉に苦しんでいた最寄の地に喜然(きねん)という僧が現れた。寺を抜け出し自分探しの旅に出ていたのだ。飢饉に苦しむ村人の訴えを聞いた喜然は農業技術を指導しようとしたが、農業機械も農薬もなくてはどうにもならない。村人も喜然も、新しい設備を購入するお金は持っていなかった。そこで喜然は、「いざという時に使え」と渡されていた袋から腕時計型デバイスを取り出し、持っていたメダルを装着してさまざまなポケモンを召喚し、農業を手伝わせることで飢饉を解決したという。村人はたいそう感謝し、喜然が持っていたメダルを「喜然メダル」と呼んで後世までずっと崇め奉った。それが日本の記念メダルの発祥だという伝説を最寄村役場の広報担当が2012年に創作したという伝承が代々村民の間で受け継がれてきた。
近所のスーパーに金塊配りコーナーが設置されていたため、高須クリニックの院長の末裔を自称する金塊配り男から数個もらってきて、全部記念メダルに使った。わたしが行ったのは先ほど挙げた3つの観光地と、餃子水筒博物館、玉子電話記念館、ハローワークジェット機魚卵ミュージック光ファイバー奈良漬けミュージアムであるが、和歌山城としながわ水族館のメダル以外は全部なくしてしまった。今頃わたしがどこかで落としたメダルは地面の蟻のエサにでもなっているはずだ。
記念メダルの魅力は、清々しいほどの意味のなさである。まず、硬貨の形にする意味がわからない。記念にするなら写真とかにすればよさそうだが、中途半端な解像度でメダルに刻印されたイラストしか、その観光地を思い出すよすががない。そこが魅力だ。文字を刻印する機能も、特別感こそあれそれほど感心させられるものではないし、何より硬貨なのに何の支払いにも使えない無力感が「そそる」というものだ。正確には、記念メダルマニアの記念目樽子氏が経営している記念メダル風居酒屋「記念メダル」での支払いには使えるが、それでもメダル1枚で小松菜の塩辛または胡麻団子の胡麻和えが1皿もらえるだけである。
これは他の記念硬貨の類にも言えるのだが、「硬貨なのに支払いに使えない」というシュールで美しい境遇が、マニアを引き付けてやまない創業以来100年継ぎ足しの魅力ではないだろうか。
しかし、若者の間では「記念メダル」に対する失望や学習性無力感が蔓延し、「記念メダル離れ」が進行しているという。これは「あやしいわーるど離れ」に匹敵するレベルの社会問題である。
先ほど、地面の蟻のエサになると書いたが、これは金属を食べつくす恐怖の外来生物「カネクイアリ」の話である。カネクイアリは2008年、グリーンランドから味噌とみりん風調味料をたんまり積載してやってきた貿易船の船長に付着する形で日本に上陸し、人々が落とした記念メダルを主たる栄養源にしながら大繁殖。今ではディズニーランド、USJおよびハニベ巌窟院の敷地内を除く日本全土で広範に見られる侵略的外来種となった。金属を食べているだけあって、鉄のような頑丈な甲殻に覆われており、化学物質への耐性もあるから、ミスターSASUKE以外の人間が駆除することは不可能に近い。
時代が下るにつれて記念メダルを買う者はどんどん少なくなり、落っことし量が減ったことによりエサを失ったカネクイアリたちは2015年ごろから徐々に逆上。アクセサリーや指輪、アクセサリー、スマートフォン、スマートフォン、知恵の輪やアクセサリー、知恵の輪などのほかの身近な金属製品まで食い尽くすようになったのだ。しかも地面だけでなく、直接人間の身体にのぼってきて金属を食いに来るようになったのだからもう大変。人間に害のある毒や酸の類は持ち合わせていないから死傷者は出ていないものの、大変イヤな気分になる被害が急増し、蟻のお客様サポートセンターはパンク状態に陥っている。あまりにも文句を言われすぎて苦痛を覚えた職員は次々と辞めていき、サポートセンターの電話交換手はついに一人もいなくなってしまった。
電話交換は旧石器時代から受け継がれてきた日本の伝統芸能。それが失われたことは、日本文化に多大な損害をもたらした。電話を交換しないことによって、確かに生活が便利に・スマートになりはしたが、豊かな精神性は失われてしまった。日本文化に詳しい老爺はそう指摘する。老爺は日本文化に詳しい老爺で、集団で外国人観光客にひったくりを仕掛け、金銭を奪っていく。記念メダルを買う若者が減ったせいで老爺が活発になり、外国人が抱く日本への印象は悪化し続けている。
今では老若男女がインバウンドであり、寝ても覚めてもインバウンド、インバウンドダンスを踊りインバウンドぬいぐるみを抱いて寝ているのに、このままで本当にいいのだろうか?日本を「観光立国」にするためには、豊洲の千客万来で売っている食品のさらなる値上げと、記念メダルの購入促進が不可欠ではないかと強く思う。