【真面目な記事】わたしの人工言語創作論
migdalという人工言語作者のコミュニティサイトでほかのみなさまの人工言語創作論をよんでフムフムとうなり、クネクネとおどっていたら自分でも書きたくなってしまった。
あくまでも一個人の感想的なものであり、普遍的に「こうするがよい」というようなものではないのでご了承いただきたい。なお、筆がノリやすいので常体で書いている。
なぜ人工言語をつくるのか
わたしが人工言語をつくる目的は、「ヴォイニッチ手稿みたいな謎の何かを書いて、それをながめて満足すること」「日本語や英語とは似ても似つかないような発音の言語をつくって、エキゾチックさにのみこまれること」「みずからが創作する世界の世界観を補強すること」などである。ひとつひとつ説明していく。
ヴォイニッチ手稿みたいなのを書きたい
ヴォイニッチ手稿をご存じだろうか。簡単にいえば謎の言語で書かれ、謎の挿絵が挿入され、多くの言語学者が解読に挑戦したが全くわからなかったという魔の文書である。くわしくはWikipediaなどを参照されたい。
もともとわたしは地名やお経など、意味の分からない文字の羅列をながめるのが好きだった。ヴォイニッチ手稿の存在を知った不可説少年は目を輝かせ「これすげー!」となり、「これを自分でも書いてみたい!」と市の職員に語り補導された(ウソ)。
また、わたしが言語をつくりはじめたのは小5くらいのときなのだが、そのときも「自分だけの暗号文字をつくりたい」という動機からはじまっていた。そんなわけで、はじめのころからずっと、未知の文字で書かれた未知の言語をつくって満悦することをのぞんできた。
絵が描けないのが致命的ではあるが、第二のヴォイニッチ手稿をつくり、あわよくば未来の言語学者を困惑させてみたい(迷惑)。
聞きなれない発音の言語をつくりたい
中学のとき普通話にふれ、「なんだこれは!」と目からうろこが87枚も排出された。声調というシステムの奇妙さと美しさ、日本語や英語との差などにのたうちまわり、とりこになってしまったのである。「聞きなれない発音」がどういうものかはいまも検討中であるが、普通話を知って以来、日本語にもヨーロッパの言語にも似ていない発音の言語を学んだりつくったりし、実際に発音してみて、そのエキゾチックさを浴びたいとおもうようになった。
自分の世界の世界観を補強したい
中学1年生の冬から「ヌテラ教」という架空の宗教(といっておきながら、実体はただの仲良しグループ)の幹部として活動してきた。はじめは現実世界での宗教もどきとしてはじまったが、その教義は「ヌテラ神に帰依し修行をして体内のマニュマニュを殲滅すれば、真の世界に生まれ変われる」というものであったので、わたしは「真の世界」とやらを創造(想像)してみたくなってしまった。なんとなく設定をつくりはじめ、すぐに今までつくっていた言語を世界観のなかに取り込むことを思いついた。言語は思考に影響するから、世界独自の言語をつくることで設定をより強固なものにしたい。また、ヌテラ教の経典をその言語で記述したい(本来の経典はバター語またはテー語で書かれるが、他の民族に布教するために翻訳版もあるという設定になっている)。
そのため、わたしがつくる言語は、一部のネタ言語をのぞいて自然言語に近くなるようにしている。ネタ言語(子音音素が200種類くらいあるとか、子音連続が多すぎて発音が極度に難しいとか)も一応、真の世界で実際に話されている言語という設定になっている。
以上のことから、わたしがつくる言語は「芸術言語」に分類される。
言語制作のプロセス
一、コンセプトを決める
たとえば「広東語やタイ語っぽい孤立語的な声調言語」「段位声調をもつアフリカっぽい(適当!)言語」「なんかヨーロッパっぽい響きの言語」「文法が死ぬほどめんどくさい言語」といった、おおまかな方向性を決める。わたしが関心をもつ言語学の分野が音声・音韻であることから、発音面での設定が多いが、文法の方向性からきめても良いと思う。あまり詳しく決めすぎるのではなく、おおまかに開発目的の概略となるものであればよい。
二、音韻体系を構築する
やはり言語は音がないとはじまらない(手話にだって「発音」がある)。むかし「音素が一番電話は二番、三時のおやつは…」というCMが流れていたくらいである(ウソ)。
そんなわけでIPAの表をみながら音素や音節構造をきめていくのだが、このときにわたしが注意しているのは「音素目録や音節構造に、その言語ならではの、なにかしらの特色・おもしろみを最低1つはつくる」ということだ。
たとえば「有声・無声の区別はなく、有気・無気の区別がある」「子音の種類が少ない」「声調がめちゃくちゃ多い」「最大で6子音連続まであって大変だ」などである。わたしの趣味嗜好の問題で、ほとんどの場合、「ヨーロッパっぽい」響きになるのを避けている(ヨーロッパっぽさはわたしの感覚で判断しており、言語学的正当性はないので、これを書くのははずかしいのだが)。ひとつだけヨーロッパっぽさを出した言語(コーリ語)もつくっているが、それはあくまでもサブ言語であり、現在は創作を停止している。
発音のしやすさはあまり考慮していないが、わたしが調音できない音(歯茎ふるえ音、入破音、衝突音など)は採用しないことにしている。自分でその言語を発音して、「良さ」を体感したいからだ。
なお、今作っている「テー語」は、比較言語学の知識を用いて「昔作った既存の言語(バター語)から祖語を再構し、そこからまた音変化させて単語をつくる」ということをやっているため、先に少し単語を作ってから音素を決めていったが、それ以外の言語では音韻体系をまっさきに考えている。
三、文字をつくる
みずからの言語の表記にラテン文字やキリル文字のみを使う作者もいるが、わたしは未知の文字をながめるのが好きだから、音とそのラテン文字転写(転写に音声記号を直接つかうことはしない)ができたら文字をつくってしまう。わたし式の文字のつくりかたはこうである。
①授業中、必死になってノートに師の教えをメモっていると、手と頭がつかれて、ときおり授業に関係ないことを余白に落書きしてみたくなるときがある。そのときにふと、存在しないし存在したことがない文字体系のなかから1字をえらびだしたかのように、謎の記号を書いてしまうことがある。チャンスだ。
②書いてしまったその記号がどんな音をあらわすかを恣意的に定め、さらにそれと似たかたちの別の文字をどんどんつくっていく。多くの場合は1文字目のような美しさを出せず、そのままあきらめてしまう。しかし、ときおり納得のいく文字たちを生み出せることがある。
③そのようにして、その言語の音韻体系を表せるまで字を増やしていく。アブギダの場合、子音字を先に作り、母音記号を考え、約物を考えて完成。アルファベットの場合は子音と母音を同時に作ってそのあとに約物を考える。
なおテー語の旧書法の場合は、テー文字(仮称)で音韻体系を完全に書き表すことは不可能であり、いくつかの二重母音は文字の上で区別されない。また、語の切れ目も示されず、文脈から判断する必要がある。旧書法は知識人向けの書物に使われるものであるという設定と、わたしの嗜好から、あえてそうしている。このような不完全な文字体系は現実世界にも意外とあるものだ。
また、言語によっては、完全オリジナルの文字とはべつに、チュノムのような漢字をもとにした文字をつくってそれでも文を書く。なぜ架空世界の言語なのに漢字を使うのかということの説明は書くとしても別の記事で。
四、少し単語をつくってみる
文法を試行錯誤したり、文を作って書いてみて満悦するためには単語が少しばかり必要だ。というわけで、音と文字ができたらつぎに基本的な単語を整備していく。
今力を入れてつくっているテー語で最初につくった単語は「虫」をいみするhru4/ɹ̥u33/であった。人称代名詞とかからつくるものではないか、という通報があったが、これはわたしにとって機能語や文法を考えるのは、楽しくはあるが比較的めんどくさく、内容語についてかんがえる方がやりやすいからである。とはいえさすがにコピュラや人称代名詞や否定の副詞(notにあたるもの)や指示詞は比較的早い段階でつくる。…と思いきや、わたしはテー語でまだ指示詞や指示代名詞を造語していないのに今気づいた。まったくけしからんやつだから、実家の旅館ではたらいて根性を鍛えなおすがよい(わたしの実家は旅館ではありません)。
テー語では前述のとおり、祖語から音変化させて単語をつくっており、しかももともと2音節以上だった語が単音節語になっていることが多いので、どうしても同音異義語が発生する。しかし、いろいろな発音があった方が楽しいと思うので、ほかの言語では同音異義語はあまりつくらないようにしている。テー語でも、2音節以上の複合語をつくってほかの語と区別できるようにする予定だ(普通話などと同じように)。
また、わたしはつづりと発音の乖離や例外的な発音を好むので、文字から発音が予測できない単語も少しつくる。しかし、よほどの物好きでなければそういうことはしないほうがよいだろう。
五、文法の整備もほどほどに、いくつか例文をつくってみる
前述のとおり、文法を考えるのはつかれるので、基本的な語順やコピュラ文、動詞文さえ書けるようになれば、助動詞とか前置詞とかは置いておいて(ただし、動詞や形容詞をつくる過程で「これは助動詞や前置詞にできそうだ」というものがあれば、そういう用法もつくる)、先にある程度文をつくってしまう。早く自作の文字で書かれた文をながめたいというのもある。
さらに欲を出して、文法の整備もほどほどに簡単な文章の翻訳に手を出してしまうこともある。必要な単語や文法はそのつど考えればいい、というスタンスだ。翻訳しているうちに、自然と単語や文法ができてくる。ほんとうはこういうことあまりしないほうがいいのかな、とは思いつつも、はやく自作文字をながめたいという欲求にはさからえない。
翻訳する文章は、自作の経典や書物のほか、好きな歌の歌詞やその他訳せそうな文章である。りんご文を訳そうとしたこともあるが、途中で挫折してしまった。
六、書き上げた文をながめる
自作文字で書かれた文を遠目で見たり、ふつうに見たりして楽しむ。ここが言語創作で一番楽しいところだ。二番目は文字の作成、二番目タイは文章を自作文字で筆ペンで書くことである。
七、文法と単語を拡充していき、例文を増やし、翻訳もする
あとは文法の整備、単語の整備、例文づくり、翻訳の繰り返しで、どんどん辞書をでっかくし、ノートをオリジナルの文字や、漢字をもとにした文字で埋め尽くしていく。完成した文をSNSなどで公開することもある。
作る単語をどうやってきめているのかは、自分でもよくわからないが、一番多いのは翻訳するときに必要になった単語をつくることであり、あとはたとえば日常生活のできごとのなかで「これを自作言語であらわしたいな」とおもったものをヒントにつくることもある。体調が悪いから「体調が良い」という語をつくろうとか、尻が痛いから「尻」「痛む」という語をつくろうとか。造語のペースは日によってまちまちである。
前述のとおり、最終的にヴォイニッチ手稿みたいな何かを完成させることがわたしの夢である。そのためには言語を充実させることはもちろん、自分で架空世界の世界観にもとづいた文章も書かなければならない。大変な作業だが、とてもたのしい。たのしいので、わたしはこれからも言語創作をつづけていく。
理想的な人工言語
わたしの理想は、ミニマル言語やネタ言語ではなく、自然言語に近い言語である。それも、エスペラントのように例外がなく発音・文法も複雑でないものではなく、例外的な発音や用法があり、発音も聞きなれないもので、文法や語法、語の意味などに多少なりとも意味がわからない要素があるものがよい。
言語の愛らしさは、一見して意味がわからないところだ。
普通話の「了」はどんな時に用いるのか?台湾語の連続変調はなぜおこるのか、白読音と文読音はどう使い分けるのか?タイ文字はなぜ同じ発音でも複数通りの書き方があるのか、高・中・低子音字とはなにか?これらの疑問は、説明がされているものとまだされていないものがあるが、すべて一見して意味が分からない、初学者には説明できないものである。わたしは、それを説明できるようになるのもそれはそれでおもしろいけれども、意味が分からない状態で「もうワケ分からん!」とのたうちまわるのにも大いによろこびを感じている。不条理なもの、非合理的なものは大好きだ。
そもそも、すべての自然言語において、語の意味は恣意的に定められており、dogがdogという音である必然性がない。これも意味が分からない。なんと素晴らしいことだろう。自然言語という素晴らしい何かを考えた人に賞金99999999999万円をあげたい。
おわりに
わたしの創作論はほかの人と違うところもあると思うし、参考にしてほしいわけではありません。あくまで「こういうやつもいるんだなあ」とおもしろがっていただければ幸いです。
わたしのくせで、ひらがなが多い文章を書いてしまい、またかなりの長文を書いてしまい読みにくかったかもしれず、加えてそもそも日本語が下手で申し訳ありません(母語なのですが)。にもかかわらずここまで読んでいただいて誠にありがとうございます。
たのしいので、わたしはこれからも言語創作をつづけていきます。