俯瞰学の技法:時系列による俯瞰2
時系列による俯瞰 日本の人口・寿命 原油価格の乱高下
前回に続き時系列による俯瞰の結果を紹介する。 1891年から2006年までの日本人の平均寿命の推移を俯瞰すると重要な事実が見えてくる。ただし戦前以前のデータは不確か。実に昭和22年までは日本人の寿命は50歳を超えることがなかった。人生50年、これは長生きをした人で、多くはもっと早く死亡していたのだろう。日本の人口も明治まではおよそ3,000万人で推移していたと言われている。なぜ3,000万人かというとそれしか食料が生産できなかったからである。江戸時代から新田開発も積極的に行われたが、重機がない時代、人間では耕地の拡大は限定的であったのだ。
当時の農業はまさに有機無農薬である。昭和22 年から急速に平均寿命が増加していった。これは化学肥料の投入や農薬の使用が人口増を支える食糧増産になった。
1913年ドイツのBASF社によるアンモニアの合成という20世紀の画期的な発明で、空気中の窒素固定し、これが肥料として利用できるようになった。発明したハーバー・ボッシュは「空気からパンを作った人」と呼ばれている。欧米でもこの時から農業生産が増大し、人口も増加している。
日本でも終戦後、産業復興の先陣を切ったのは、三白すなわち砂糖、紡績(木綿)、肥料である。食糧増産のために肥料が生産され、農業に投入されていったのである。そしてやっと日本人はお腹いっぱいご飯が食べられるようになった。
私は幼い頃の記憶としてお米の配給を覚えているが、 月30日分の米の配給はなかった。余裕がある家庭はヤミというルートのコメを買った。一般にはうどん、すいとんなど粉食で補った。
平均寿命の延伸には動物性たんぱく質の摂取が増えたこともあるだろう。小学校の給食にはユニセフから支給された脱脂粉乳が出された。肉はほとんど口に入ることがなかった。魚が蛋白源であった。
そして日本人の身長もどんどん伸びていった。 13歳の男子の身長見ると1900年では140センチ、 1960年では148センチそして2012年では160センチである。体重は1900年では43キロ、 1960年では51キロそして2012年では59キロである。
これから言える事は、日本は食糧自給できないということである。食糧輸入なくして1億2000万人の生活は成立たない。食料自給率を上げるためには、何が何でも遺伝子組み換え作物を拒否すると言う立場もおかしい。また有機無農薬では十分な生産量を確保できない。食料廃棄を減らすフードロスの行動も進んでいるが構造的な食糧安保の戦略が必要である。
このような俯瞰的な認識なしに農業保護の議論をしている人は多いようだ。いや分かっているのだろう。肉や乳製品の輸入を阻止せんとする利権団体は食料供給の責任をどう認識しているのか。和牛でなくて良いから、子供達に肉や乳製品を十分に与えることが将来の日本人を強く逞しくする。年配者にも乳製品や肉をもっと摂取してもらいたい。
時系列による俯瞰 原油価格の乱高下
石油は、かつては資源の枯渇が話題になったが、現在はむしろ供給過剰である。しかしその価格は大きく乱高下している。 1945年から2017年までの原油価格の推移をみると、日本は戦後から1972年まで、今思えば極めて低コストの石油エネルギーによって高度成長実現させた。現在の途上国は高い石油を買わざるを得ない。振り返ってみれば全くの幸運である。トイレットペーパーの買い占めという狂乱的な石油ショックも、今見ると20ドル以下で低コストであった。 80年代以降は、一時は40ドル近くに上昇したこともあるが概ね20ドルで推移している。石油価格は高騰したが為替が360円から100円近い円ドルレートの劇的な円高になり、大量の石油・資源の輸入コストを下げた。 そして80年代は日本経済の黄金期となった。今では想像も出来ないが欧米から「日本式経営」を勉強にきた。今はダメな経営のモデルになってしまったが。
ところが2000年以降、石油の価格は信じられないような乱高下を繰り返すことになった。中国の貪欲な石油需要が価格の暴騰をもたらした。近年では100ドル近い価格と40ドルの間を乱高下している。こうなると適正価格はいくらかほとんど判断できない。
シェールガスの開発が石油資源の枯渇という長年のトラウマを払拭した。アメリカが産油国になった。中東への関心がぐっと薄らいだ。そのシェールガスの企業を潰すためにサウジアラビアは身を削って量産を続けてきた。産油国のリーダーとして最近でも増産、生産調整で揺れている。そして親米の石油産出国から、石油依存から自立した産業国家へと変身しようとしている。アメリカが引いたとの中東では、サウジアラビアは同じ産油国のイランと対立する地域大国としての外交は中東情勢に不安定な影響を与えている。そのはざまでイエメンの悲劇が起きている。また歴史的なイスラエルとの関係改善はこの後予断を許さない。この中にイラン核合意の国際交渉がある。
この石油価格の乱高下に一番影響受けたのは、2000年に就任したロシアのプーチン大統領だろう。就任時に石油価格が急騰しその後急落した。国家の歳入のほぼ半分を石油と天然ガスの輸出で補うロシア経済は未だに低迷している。加えて強権政治に対する最近の欧米による経済制裁はそれをさらに苦しいものにしている。この国内政治の苦境の出口を国内強権政治と、旧ソ連圏と中東で覇権の追求に求めて地政学的脅威となっている。
石油価格は2015年以降は60ドル前後している。この原油価格はの日露の外交に影響を与えている事は間違いないだろう。ロシアにとって極東地域の石油資源は現在中国がパイプラインで輸入しているが、日本という経済大国に輸出しない手は無い。石油資源があるだけでは、インフラや医療、製造業の振興、によって地域の住民の生活水準を上げることはできない。日本の経済協力と石油エネルギーの日本への輸出がどうしても必要となる。
コロナ禍で世界経済の流れが大きくグリーンエネルギーに急旋回したが現在石油価格は急落はしていない。石油大手のエクソンやBP、シェルがグリーンイノベーションの時代にどう変わるか注視する必要がある。当分はいろいろの事象があったときに、原油価格との関連を考えても良い。