俯瞰学の技法:歴史学による俯瞰2

ひとつ前の「現代」

 前回は1900年から1945年まで、工業化社会の成立し、資本主義国家の成立し、二度の世界大戦の惨劇が起きた、 “現代が作られた時代”を俯瞰したが、現在の国際関係の構造が形成された “ひとつ前の「現代」” は第二次世界大戦の終結から始まる。“ひとつ前の「現代」”は歴史であって「今」ではない。
 ヤルタ会談そしてポツダム宣言で第二世界大戦は終わるが、その瞬間から東西の冷戦が始った。必要のない原爆投下をトルーマンが指令したのは、スターリンに原爆の威力を見せつけるのが目的と言われている。冷戦に対処するため、早急なヨーロッパの復興を推進するマーシャルプランが始まり、NATOも創設された。
 戦争中の英国の三枚舌外交の結果、イスラエル建国とそれに反対するアラブ諸国の間で第一次中東戦争が勃発し、その後2回の戦争を経て現在も平和解決は遠い。最近になって永かった中近東の混乱も周辺国がイスラエルの実体を認める形で国交を進め、新たな方向性も見えてきた。まだ歴史ではないが。
 中国では蒋介石の国民党政権が毛沢東の中国共産党に敗北し、台湾に逃げ込み、中華人民共和国が成立した。
アジアでは英国、フランス、オランダの植民地を実効支配していた日本軍が撤退するとベトナム、カンボジア、ラオス、インドネシアは独立を宣言し、インド、パキスタン、フィリピンも独立を果たした。ただインドシナではその後も戦乱が続きベトナム戦争へとつながった。
朝鮮半島では“力の空白”に乗じて金日成が南朝鮮に侵攻して朝鮮戦争が勃発した。中国共産党は朝鮮戦争にも介入すると同時に、一方では中央アジアの力の空白を利してチベットに侵攻し旧清王朝の領土確保に動き現在の国境線を確保した。
 冷戦はソ連が水爆実験を行い、アメリカと核兵器で対峙する形になった。以上が1945年から1955年という10年間の歴史である。現在の“国際関係の構造”の原型ができた時代である。
その後も東西冷戦は激化し、 1961年にソ連によるベルリン封鎖、 1962年のキューバ危機で人類は核戦争という存亡の危機を経験した。
米国がキューバ危機対応で、アジアに力をさく余裕がないとみてか、中国はインド国境に侵攻した。インドは中国に敗北し、インドと中国の国境紛争は今も続いている。
 東西冷戦はインドシナでの代理戦争となった。アメリカはベトナム戦争に介入して、結果として国内に大きな亀裂を生じ、最大では50万人という大兵力をつぎ込んだが、初めて戦争の敗北を経験した。当時の中国は文化革命の混乱の中で、ベトナムに介入するゆとりがなかった。また中ソ対立もあった。ベトナム戦争終結後に中国共産党は覇権を求めてベトナムに侵攻したが、ベトナムはこれを撃退し、そして現在でも南シナ海で中国と緊張関係を継続している。
 ヨーロッパでは1967年に独仏を中心にECが成立し、英国も1973年EC加盟することになった。そしてこのECは統合を強めEUへと進みドイツがヨーロッパの覇権を握る形になっていく。そして少しづつ海外での軍事力を露出し始めた。
 アメリカの力が徐々に弱まり1971年アメリカはドルと金の交換を停止し、世界経済はニクソン政権のアメリカ第一主義に翻弄される。これと連動してか産油国のOPECは欧米のメジャーから独立した形で石油の価格を管理するようになり、第一次オイルショックが起こり、世界経済はさらに混乱した。
 この激動の中で日本経済は2ケタ成長の高度成長から5%成長にハードランニングした。円とドルの為替は300円から100円という信じられない大変動で、それでも日本人はこれに耐え、結果として“黄金の80年代”を迎えることになる。何しろ、日本式経営を学ぶためにアメリカから視察団が来るという現在では考えられない時代であった。そして日本は慢心してバブル崩壊に至る。
 1969年キッシンジャー外交によってアメリカと中国が電撃的に国交回復し、翌年には中国の国連加盟が実現し台湾は国連から追放されアメリカそして日本との正式な外交関係も失った。しかし友好関係は継続され軍事同盟も継続している。
 米国とソ連の冷戦構造は続いたが、インドが核実験を成功させ、これに対抗してパキスタンも核実験を行いここから核が北朝鮮に拡散していくことになる。
 親米的なイラン王朝がイスラム革命で倒れアメリカ大使館が占拠されている事件が起こるとともにイスラム原理主義のイランはソ連との連携を強める。そしてスンニ派のイラクとシーア派のイランは戦争を始める。この緊張関係は今も継続している。
 皮肉にも冷戦終結のきっかけはレーガン大統領が仕掛けたSDI構想という軍拡であった。ソ連はアフガニスタン侵攻失敗の後、リーダシップのない共産党第一書記が続いたが1985年ゴルバチョフが共産党第一書記になった。アメリカとの軍拡競争にソ連経済がついていかないこと認識しているゴルバチョフはアメリカと核軍縮の交渉に入るともに、ペレストロイカというソ連解体への道を歩む。そして1989年にベルリンの壁が崩壊し、東欧の民主化が始まり、1990年に東西ドイツ統一され新しい世界すなわち「現代」が始まる。冷戦終結で共産圏も世界経済に統合され、その後の中国の経済成長もあり世界経済は2倍の規模になっていく。現在の“国際関係の構造”はこの時代の遺構であるが、生きている。
  そして「現代」はまだ歴史になっていない、すなわち歴史として評価するにはまだ早い。EC、EUに遅れて参加しながら結果としてEUを離脱した英国の今後、この9月に政界を引退するメルケル首相の国際政治におけるリーダーシップと今後のEU、トランプ大統領が蓋を開けた”アメリカファースト”、米中冷戦、既成の国際秩序を無視して「強国」を追求する習金平の中国共産党の中国、そして何より人類がもがき苦しんでいるパンデミックとその後の世界は「今」そのものであり歴史の素材でしかない。
 現在の世界各地の紛争や緊張はこの“ひとつ前の「現代」”に端を発し、現在にその歴史を引きずっている。また力の空白が戦争を生んできたことが幾つも再確認できる。今の世界である「現代」の分析と、歴史的俯瞰の目的であるこれからどうなる、の議論は歴史学による俯瞰のそのものであるが別稿にしたい。

 現在の世界
  現在の世界は1990年から始まった「現代」ではなかろうか。そして2000年前後で変曲点があった。
1990年、ドイツが再統一し、そして湾岸戦争がリアルタイムの映像で配信された。 1991年ソ連が崩壊し冷戦が終結した。 日本ではバブル崩壊し、今日までデフレと低成長の時代が続く。 1992年に鄧小平が南巡講話を始め資本主義的な成長を主導した。
1994年には1つのヨーロッパを目指してEUが発足した。いま話題のNAFTAもこの年に成立した。
 1998年にインドとパキスタンが核実験を行い核拡散が始まった。 NATOがコソボ空爆し、これにドイツ空軍が参加した。第二次世界大戦後始めてドイツが海外で軍事行動を行った。日本も1992年にPKO法案を成立させ、限定的ではあるが海外における自衛隊の活動を可能にし、2016年集団自衛権の行使の法制が施行された。
 そして2000年、プーチン大統領の就任である。2001年の9.11では、リアルタイムでニューヨークのツインタワーが炎上崩壊するのを全世界が見た。そしてその報復と称してアメリカはNATO諸国とテロとの戦いとしてアフガニスタン戦争を始めた。これもリアルタイムで全世界に実況された。現在の戦争はリアルタイムで全世界に配信されるにようになったのだ。ただその映像に映っていない現地の悲惨な状況は配信されない。
 2003年、アメリカはイギリスと計らい、大量破壊兵器を所有するという虚偽の情報に基づいてイラク戦争を始めた。これは結果として中東の統治構造を破壊し、無秩序で制御不能な状態を作りだして現在に至る。日本も小泉内閣がブッシュ大統領の要請を受けて自衛隊を非戦闘地域に派遣するとともに、洋上給油で参画した。
 結果は、ISのテロという想像しなかったような怪物を生み、そのテロとの戦いにヨーロッパとアメリカは想像しなかったような代償を払い続けている。そしてついに20年にわたってアフガニスタンに駐留してなんとか弱体のアフガニスタン政府を支えてきたアメリカ軍も完全撤退をバイデン大統領が決断し、既にほぼ完了した。予想されたように、タリバンはその空白を埋めた。かつては大英帝国が挫折し、そしてソ連が挫折したアフガニスタンへの軍隊の派遣ですが、アメリカも同じ轍を踏むことにななた。

 中国は2002年に中国の胡錦濤主席が就任し、これ以降中国経済は急速な成長を遂げる。そしてその中国の高度成長が資源バブルを生み、世界経済を一時的に牽引することになった。 2009年には北京オリンピックを開催し、この時点で日本を抜いて世界第2の経済大国になった。
 2006年北朝鮮が核実験とミサイルを発射し、今日までこれが続いている。米国本土が射程に入るミサイルを発射すればアメリカは軍事介入を躊躇しないとしているから危ない。高高度ミサイル防衛システム(THAAD)は北朝鮮軍事介入に対する備えである。
 アメリカの金融財政政策の失敗から2009年にリーマンショックが起き、世界経済はかって経験したことがないような激震に見舞われた。加えて日本は2011年、未曽有の東日本大震災という激震に襲われた。津波に対する防備を怠ったため福島第二原発のメルトダウンという未曽有の人災が起こり、これも現在に継続している。
 この後の事象を上げていくと、アラブの春、安倍首相の再就任、習近平国家主席の就任、インドのモディ首相の就任、ロシアのクリミア併合、欧州の移民危機が続く。そして想定外の英国EU離脱の国民投票とトランプ大統領の当選である。
 2000年以降、世界が未曽有の想定外の事象に見舞われているが、単にこれを激動の時代と片付けるわけにはいかない。歴史の変曲点があったのだ。その変曲点の先の世界の俯瞰をしよう。ソ連崩壊による冷戦の終結が現在の国際世界を作り出した。ドイツの統一、 EUの成立という安定の方向もあったが、むしろ冷戦という統制がなくなった結果、中近東を中心として混乱が生まれ、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争と超大国アメリカの軍事行動はこれを制御不能な状態にしてしまった。そしてこの地域の無秩序は、残忍非道なイスラム国を作り、それがテロという形でヨーロッパを戦場に巻き込んだ。加えてヨーロッパでは、NATOの東進を恐れたプーチン大統領がウクライナに介入し、国際条約を反古にして軍事力による領土の併合を行い、一昔前の、戦争で物事を決めるという状態になってしまった。そしてスエーデンはロシアに対抗するため2010年以廃止した徴兵制を復活させる。
トランプ大統領は軍事予算を大幅に増強して軍事力で中国ロシアと対峙する姿勢を打ち出した。レーガンの軍拡がソ連崩壊を引き起こしたように、トランプの軍拡が中国の体制変化を引き起こすかはわからないが、南シナ海と台湾海峡の緊張は高まるだろう。したがって中近東、南シナ海、東シナ海でいつ偶発的な衝突が起こってもおかしくない状態にある。特に北朝鮮に対する軍事行動は想定内にしておかなければならない。その時日本はどうするのか、議論されなければならない。
 1900年からの歴史による俯瞰を見てきたが、米英とフランス・ドイツという欧米が世界を仕切る構造は「現代」まで基底として存在してきたがいまやその衰退が見えてきた。第二次世界大戦後の世界はこの欧米が新興のソ連と対峙する冷戦という分断の構造であった。その中で欧米は蓄積した資本と技術力で空前の繁栄を享受してきたが、これも陰りが見えてきた。米国とソ連という二つの超大国の間で西ヨーロッパはEC/EUという統合・連携で第三の極としての存在感を強めてきたがここにきてその求心力に陰りが出てきた。即ち世界史で長らく世界の覇権を握ってきた西欧の衰退は決定的である。
 冷戦という分断も依然として「現代」の基層である。即ち西欧と日本、オーストラリア、ニュージーランド、台湾、韓国の民主主義という国々と専制・独裁の政治体制の中国、ロシア、旧ソ連や中東、南米、アフリカ等の世界の分断の基層となっている。
 欧米という政治勢力の衰退はかつての勢力圏であった中近東に混乱を残し世界の混沌を生んでいる。サウジアラビアとイランの地域の覇権争い、これに絡むイスラエルによる新秩序がまだ見えない。
 貪欲な成長を追求する欧米の資本と、リープフロッグ即ち「カエル跳び」で一気に進先端技術を獲得した中国の急成長は欧米の予想をはるか超える存在になり「一対一路」という戦略で中華経済圏をユーラシア大陸、アフリカそして南米に広げ、EUを凌ぐ世界の極になった。今や国連の多くの組織は中国の影響下にある。
 衰退しつつあり、内向的になりながらも依然として超大国のアメリカと、これに正面から挑戦する新興の超大国になった中国、そのはざまで第三の極としての存在を追求するEU・英国、そしてその周辺にまとわりつく国々という構造の ”現在の世界” でどこに自らを位置づけるべきか分からない日本である。いずれにしても2000年以降はまだ歴史ではなく評価や認識はこれから変わることがあるだろう。
 そしてコロナによるパンデミック、日本経済も世界経済も強烈な影響を受けるコトは間違いない。この後の世界は「現代」ではなく「コロナ後の世界」という未来である。

 歴史年表
1945 ヤルタ会談 ポツダム宣言
    第二次世界大戦終結
1946  冷戦の始まり、「鉄のカーテン」
          大西洋、太平洋の空路開設
1947  マーシャルプラン、欧州復興計画
1948  第一次中東戦争
 1949  NATO発効
          中華人民共和国成立
1950  朝鮮戦争勃発
         中国チベット侵攻
1951    日米安全保障条約発効
1953  ソ連水爆保有
1955  保守合同 自民党成立
1956  第二次中東戦争勃発
          公害の水俣病
1957  初の人工衛星スプートニクス号
1958  EECの成立 
1961 ベルリン封鎖
1662  キューバ危機
          中印国境紛争
1964  東京オリンピック
 1965  文化大革命
          米国ベトナム戦争介入
          ラルフ・ネーダーの市民運動
1967  EC成立
1969  アポロ11号月面着陸
          米中国交回復
1971  中国国連加盟
          ニクソンショック ドル金交換停止
1973  第一次オイルショック
          英国EC加盟
1974  米国ベトナム撤退
          インド核実験
1975  サイゴン陥落
1978  中国が鄧小平の指導の下改革・開放路線
1979  イラン革命  アメリカ大使館占拠
          ソ連アフガン侵攻
          サッチャー首相就任
 1980  イラン・イラク戦争
          日本半導体生産世界一
         トフラー「第三の波」
1983  レーガン大統領の軍拡SDI構想
1985  ゴルバチョフがソ連共産党第一書記
1986  チェルノブイリ原発事故
1987  INF成立、長距離ミサイル削減
          ブラックマンデー
          国鉄解体、JR設立
          ポール・ケネディー「大国の興亡」
1988  ゴルバチョフのペレストロイカ
1989  ベルリンの壁崩壊、 冷戦の終結
         東欧の民主化
         天安門事件

未だ歴史ではない
1990  湾岸戦争
         ドイツ再統一
1991  バブル崩壊
          ソ連崩壊
1992  PKO法案成立
1994  EU成立
          NAFTA成立
 1998  パキスタン核実験
1999  NATO コソボ空爆 ドイツ空軍参加
          ベオグラード中国大使館爆撃
2000  プーチン大統領 就任
2001  9.11テロ アフガン侵攻
         小泉内閣発足
2002  ユーロ流通開始
         胡錦濤国家主席 就任
2003   イラク戦争
           自衛隊イラク派遣
2005   メルケル首相 就任
2006   北朝鮮核実験、ミサイル発射
2009   リーマンショック
           北京オリンピック
           中国GDP2位
2009  オバマ大統領 就任
          民主党へ政権交代
2010   JAL破綻
         ギリシャ財政危機
         上海万博
2011  東日本大震災
         アラブの春 
2012  安倍首相再就任
2013  習近平国家主席 就任
         イスラム国建国宣言
2014 インドのモディ首相就任
          ロシアクリミア併合
2015  欧州移民危機
2016  国民投票で英国EU離脱
         プーチン大統領来日
2017 トラン大統領 就任
         フランスマクロン大統領 就任
         韓国文在寅大統領 就任
2018  米中貿易戦争
    米朝首脳会談
2019  コロナパンデミック
2020  バイデン大統領 就任
    イギリスEU離脱
2021  東京オリンピック
          米軍アフガニスタン撤退


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