短編小説 『思い出しか聴こえない』
――続きましては、今月の新曲。クリスタルナハトの『メッセンジャー』です。どうぞお聴きください―—。
実家が建て替えるらしく、母が私の置いていった古い段ボール箱を宅急便で送ってきた。その中には卒業アルバムや古い日記帳など、思い出に品々が入っていた。
母は中身を見ずに送ってきたらしく、中学生の時に買って貰った、古い小さいラジカセまで入っていた。ラベルの付いていないテープが入ったままだったので、それを聴きながら私は家事をすることにした。
そのカセットテープの中には、何が録音されているのかと思えば、中学生の時に好きだったバンドの曲だった。
すると、急に曲の途中で、音楽は途切れた。もう古いからきっと――。
――クリスタルナハトのライブ、行きたいねえ。
――高校生になったら、二人でライブに行こうよ。
――うん、約束。
意外なことに、中学生の時の同級生・玲奈との会話が録音されていた。
そうか、こんなやりとりがあったのか。それなら……と、このラジカセは捨てずにとっておくことにした。
夫が仕事から帰ってきて、あのラジカセの話をした。二人でその懐かしい会話を聴いてみようということになった。
ラジカセを再生すると、クリスタルナハトの曲が何曲か流れて、この辺り、そう『メッセンジャー』という曲の途中だったと思い、わくわくしていたが、玲奈と私の会話は聞こえなかった。
「あれ?」
「普通にクリスタルナハトのラジオ放送だけだったな」
「まって、B面かもしれない」
私はA面が終わると、B面がオートリバース機能でかかるのを待った。しかし、やはり声は入っていなかった。
「えー? おかしいなあ」
「夢でも見たんじゃねえの? お前」
「ううん、そんなことないよ。ちゃんと聞こえたのに」
「どうするんだ、このテープとラジカセ。クリスタルナハトが聴きたかったら、CD買うかアプリで聴けばいいだろう?」
「うーん。じゃあ、今度の休みにテープをデータ化しておく。CDは買わない」
私はクリスタルナハトが聴きたいというよりも、このラジオ音源の中学生だった私の思い出を保存したかった。だからこのテープとラジカセはまだ捨てる気にはならなかった。
――続きましては、今月の新曲。クリスタルナハトの『メッセンジャー』です。どうぞお聴きください――。
後日、夫が会社に行っている間、私はパソコンとラジカセを繋げて、音源をデータ化しようとした。
――バスケ部やめちゃうの? せっかく選手になれたのに。
――だって、もう三年だもん。受験で忙しいし。
――ふうん、そっかあ。残念だねえ。
――玲奈は新体操続けるの?
――うん、推薦だからね。
――いいなあ、受験がなくて。
驚いたことに、今度は中学三年の時の玲奈との会話が聴こえてきた。
私はテープを巻き戻し、もう一度クリスタルナハトの『メッセンジャー』の部分を聴いた。
すると、今度は時間が進んでいて、その年の年末の会話が入っていた。
私はこのラジカセが、或いはこのテープが不思議な、何か特別なものであることに気づいた。データ化しても意味がないのだ。
最初はちょっと気味が悪かったが、何度か聴いているうちに、そういった恐怖は薄れていった。この声のアルバムを聴くのが何だか楽しくなってきた。
ふと、本人と一緒に聴いたらどうなるのかと考えた。私は玲奈に連絡を取り、面白いものがあると言って、次の水曜日に彼女を自分たちの住むマンションに招待した。
夫とは一緒には聴けなくても、玲奈とならこの不思議な事が共有できるのではないかと思ったのだ。
玲奈と会うのは五年ぶりだった。細くて白いうなじはあの頃のままで、髪を編み込みにしていた。学生時代から彼女はヘアアレンジが好きで、毎日違う髪型に結い上げていた。よく、彼女が同級生の髪を編んであげていたのを思い出す。
この五年、なんだかんだで年賀状とメールなどの通信だけはしていたが、こうしてリアルに会えるのは嬉しいことだと思った。
玲奈は私が住むマンションに直接遊びに来てくれたので、私はパエリアの用意をして出迎えた。
「久しぶり、元気だった?」
「うん。変わってないね、お互いに」
と、笑いあいながら、お互いの近況を話した。
食事が終わって、話が途切れたところで、あのラジカセをかけた。私はわくわくしながら再生ボタンを押した。
――続きましては、今月の新曲。クリスタルナハトの『メッセンジャー』です。どうそお聴きください――。
「あー、クリナハか! 懐かしい。このラジオ番組、よく聴いたよね」
「まあまあ、黙って聴いててよ」
曲が進むにつれて、私はドキドキしながら、玲奈を見守った。
――仰げば尊し、和菓子の恩!
――うまい! 山田くーん、玲奈ちゃんに座布団一枚やってくれ!
――この桜餅、美味しいねえ。
――卒業式って特に泣けるもんでもないね。
――冷たい人って言われるかな?
私の期待通り、この不思議なラジカセが、その力を発揮した。これは中学校の卒業式の会話だ。
「へえ、こんな会話入ってたんだ」
テープが次の曲を流し始めたので、私は巻き戻して、再び『メッセンジャー』のところを再生した。
「聴いて驚け。『メッセンジャー』を巻き戻して聴くたびに、違う会話が聴こえるんだよ」
「え、そうなの?」
「うん、不思議なことにね」
私は次々と巻き戻して『メッセンジャー』を再生した。
――明日の新体操の試合、頑張ってね。
――うん、ありがとう、理沙。
――部活で応援に行けないけど。玲奈―ガンバ―! って、心で叫んでるからね。
――新体操やってて嫌なのは、あの掛け声なんだよね。
――完全に百合の世界。
――そうそう。技をキメるたびに黄色い声援。あはははは……って、笑えない
「玲奈は気味悪くない? こーゆーの」
私は平然とお茶を飲む玲奈に聞いてみた。
「うーん、まあ、そう言われてみれば。でも、それ以上に面白いよ」
玲奈は昔から超常現象とかオカルトとかを怖がらない傾向はあったが、こうしてごく普通なことのように、あっさりしているのは予想外だった。
「あー、面白かった……今日は私が夕飯の係だから、もう帰るね」
「玲奈は偉いね、実家でも家事してるなんて」
「まあ、親孝行は出来るうちにやっときたいからね」
「駅まで送ってくよ」
「ううん、大丈夫。じゃあ、バイバイ、理沙。元気でね」
「うん、玲奈、また来てね」
玲奈は玄関で手を振って、そのままマンションのエレベーターに乗っていった。
それからも私は度々、こっそりとそのラジカセを聴いた。別に悪い事をしているわけではないので見つかってもいいのだが、一人の時しかあの「雑音」が入らないので、夫が寝静まった後の深夜や、会社に出勤していていない時に、あのラジカセをかけた。
クリスタルナハトのCDは結局買わず、テープもデータ化しないで、キッチンでそのまま流して聴いていた。
――玲奈は大学に行くの?
――うん、体育大学に。新体操のコーチになりたいし。
――いいな。私はバスケを高校でやめて、大学に進学。つまんない人生だなあ。
――何学部?
――国文科かなあ。
――国文科? 古典苦手じゃなかった?
――就職するよりはいいじゃない?
――理沙、ちゃんと将来の事決めなきゃダメだよ。
――だって、特にやりたいことないもん。
今夜は高校二年の会話だ。そう、進路で迷ってた時の。その次は、大学受験中に失恋したことや、滑り止めの大学に入ってほっとした時。それから、それから……。
「理沙、そのラジカセ、また聴いてるのか?」
ある晩、キッチンでラジカセを聴いている私を見つけた夫が、なんだか心配そうにこちらを見て言った。
「だって、玲奈との思い出が」
「昨日も今日も、クリナハのテープ……あれはただのラジオ放送だろう?」
「違うわ、本当に会話が」
「俺は毎晩、音が聴こえていたけど、話し声なんてものは聴こえなかったよ」
「だって、玲奈がこないだ遊びに来た時には、聴こえたんだよ」
「理沙。玲奈さんはもう亡くなっただろう? 先月の交通事故で。俺たち、葬式にも行ったじゃないか」
「そんなわけないよ。玲奈に会って一緒にテープを聴いたんだから」
「悲しいのはわかるけど、ちゃんと、現実を受け止めないと」
「玲奈は死んでない」
「理沙、しっかりしろよ。ちゃんとお別れしよう。明日の休み、玲奈さんの家に行こう」
玲奈は……死んでない。そんなはずはない。
夫は私を抱きしめて、背中をぽんぽんとたたきながらこう言った。
「そのラジカセ、ちゃんと供養しよう、な?」
次の日、私と夫と二人で玲奈の家に行った。玲奈の両親は少しやつれていたが、私たちを温かく迎えてくれた。
仏壇の前に例のラジカセを置いて、テープを再生した。『メッセンジャー』の曲の前に隣の玲奈の部屋を見せてもらったら、彼女のいつも使っていたシャンプーの匂いが微かに香っていた。まだここには玲奈の気配があった。
――続きましては、今月の新曲。クリスタルナハトの『メッセンジャー』です。どうぞお聴きください――。
懐かしい部屋と音楽。二人で見た夢や未来。なんでもっと玲奈と会わなかったのかと、今にして後悔している。いつでも会えるから、会わなくても不安はなかった。でも、玲奈は交通事故であっけなく死んでしまった。
人が死んでしまうという事は、その人が更新されないという事だ。私は、玲奈が死んでもう一か月も経つのに、新しい玲奈の更新を待ってしまっていた。
もしかしたら、玲奈はしばらくの間、過去の会話を聴かせる事で、私が寂しくないようにと傍にいてくれたのかもしれない。
私は心の中で、『メッセンジャー』を聴きながら玲奈を抱きしめた。
「さよなら、玲奈」
そう呟くと、ラジカセはキュルキュルという音を立てて、止まってしまった。もう、玲奈の声は永遠に聴こえない。