短編小説 『里帰り』

毎年十一月に連休をとって、本籍地のある村役場に戸籍謄本をとりに行っている。二十年ほど前に生き別れになった母と兄のものだ。私自身のそれは東京に移してしまっている。

もう家族とはずっと連絡を取りあってないし、私の居所も彼らには知らせてはいない。

戸籍謄本は本籍地さえわかれば、誰でも、それこそ赤の他人でもとれる。窓口で自分の身分証明書と印鑑が必要になる。もしも家族が死んでいれば、自分の戸籍謄本なども必要になるので、我ながら律儀にも、ちゃんと持ってきた。

とにかく私は、わざわざ東京から二時間かけて故郷のこの海辺の村へ戸籍謄本をとって確認しているのだ――自分に家族がいるのかいないのかを。

もうすぐ不惑になろうというのに、独り身でいる私には、恋人こそいるが、彼ら以外に家族はいない。いや、もうかれこれ二十年近く音信不通なのだから、彼らを家族と呼ぶのは間違いかもしれない。

 私はありていに言うと、家族を捨てた身である。いや、捨てさせられたのかもしれない。今でいうところの育児放棄と虐待に遭っていたので、二十歳になってすぐ逃げだすように家を出て、縁を切った。生まれてこの方、喪中見舞いも書いたことはないし、当然身内の冠婚葬祭も未経験だ。父親は私が保育園に上がる前にいなくなっていたし、祖父母とも会ったことはない。

母と兄からの謂れのない暴力や暴言の記憶は、まだありありと残っていて、いまだに月に一度、心理カウンセリングを受けている。

そのことを友人知人たちは知らない。東京に出てから私の過去を知る人とは疎遠になったのもあって、私は自分の身に起きた不幸を隠した。差別や同情の眼にさらされるのを避けるために。

事情を知らない周囲の人間の為に、村の温泉宿に泊まり、決して美味しいとは言えない地元の菓子を買って、里帰りをしてきたと嘘をついて土産物を配っているのだ。交際して三年になる恋人にさえ、私は嘘をつき続けている。

そんな茶番を始めてから十年目の今年も、村役場でお決まりの手続きをして、戸籍謄本を手に入れた。村役場を出たその足で、浜辺へと歩いた。東京を出たのは昼過ぎだったので、今はもう日が暮れ始めている。天気が良かったので、海が見たかった。こんな小春日和には、この海は冷たく青く光る。向こう岸の山々も見渡せるし、船やウインドサーフィンをやる人の姿も見る事が出来る。

海岸公園のベンチに座って、おもむろに戸籍謄本を開いた。

死亡日、令和三年九月六日。死亡時分、十二時八分、死亡地、X県Y村、届け出日、令和三年九月十日……届け出人の名前には兄の名前が書いてあった。

そう、母が死んだのだ。二か月も前に。

死因はわからないが、私が実家にいた頃から母はアルコール依存がひどかったので。多分肝臓か何かの病気だろう。老衰で死ぬには六十五歳は若すぎる。

呆然として書類を見ていた。すると、コートのポケットの中の携帯電話が鳴った。何か仕事での急用かと思ったので、すぐに出た。着信画面には、恋人の名前があった。

「よう、お母さんとお兄さんは元気か? もう実家に着いた?」

明るい調子でそう言われたので、私は思わず「うん」と言ってしまった。こんな彼の明るさも、私が嘘をついてしまう原因の一つかもしれない。

「土産のあのお菓子、またよろしくな」

彼はなぜか、あの美味しくない土産物のお菓子が好きらしい。味音痴なのかもしれないが、それよりも、食べ物に対して礼儀正しいので、出されたものは何でも食べる。会社で配られる茶菓子も、私が失敗した手料理も、不味いはずなのに彼は文句ひとつ言わずにいつも平らげるのだ。

仕事の話を少しして、私は電話を切ろうとしたが、彼はこう言った。

「なあ、今からそっちへ行っていいか?」

「なんで? 明日も仕事でしょ?」

「Y村だろ? 終電で帰れば間に合うし。だって、付き合って三年だろ、俺たち。そろそろお互いの親に挨拶してさ」

「結婚がしたければ、私と別れて他の人として」

「おいおい、まじかよ。またそれかよ?」

彼から結婚の話が出てからもう二年は経っているが、我ながら見事な逃げっぷりだ。

「な、俺たち、結婚しよう。絶対に幸せになれるから」

ここで「お前を絶対に世界一幸せな女にする!」とか言わない彼が好きだ。たまらなく好きだ。でも、結婚はお互いの家族ぐるみでの付き合いだ。いくら愛し合っていても、つり合いというものがあるだろう。

「今でも十分幸せだよ。じゃあ、お土産楽しみにしてて」

「おい、まてまて、おい……!」

私は一方的に電話を切って、それからまた海岸を歩いた。気が付くと、辺りはすっかり暗くなっていた。対岸の夜景が星屑みたいだった。暫くぼんやりとしていたら、くしゃみが出たので、民宿へと急いだ。

 

翌朝、朝食を食べた後、故郷の海岸へと再び足を運んだ。浜辺を歩き、そのまま数十分してから、駅周辺に立ち寄ったが、もうクリスマスの飾りつけを始めていた。

毎年なんとも貧相でお粗末なイルミネーションだなと思ってしまう。東京のイルミネーションが派手すぎるだけかもしれないが。

土産物は後にしようと思い、商店街を抜けて生家の方へと足を向けた。東京の平坦な道に慣れてしまった私は、この坂の多い村を歩き回ると、たちまちくたびれ果ててしまう。

海岸通りに面した生家のあった場所は、今は小さなマンションに建て替えられ、新しい住人が住んでいる。もともと母の実家の所有の土地だったので、父が去ったあとも私たち三人はこの村にいられたのだ。父は大阪の人だったと聞いている。

ここからも、はっきりと潮騒が耳に届く。幼い頃から、毎日聞いていた、あの波の音は本物だったのだと実感した。私はこの海で育った。そうだ、ここは私の海だ。ここで生まれて、ここで育った。

まだ父が家にいた頃、私はたぶん幸せな子供だった。母も兄も幸せだったはずだ――いや、幸せというよりもきっと凡庸な家庭だっただろう。でも、父の心変わりで家庭は崩壊した。

離婚してから、母は毎晩、お酒を飲むようになった。しかし、年齢が進むにつれ酒癖は悪くなり、次第に毎晩飲んで、絡んだり叫んだり暴れたりがひどくなった。

私が高校生になる頃には、家を担保に借金をしていた。

大学進学のための学費を稼ぐため、ファミリーレストランでアルバイトをしていた私だが、母はそのお金までも酒代に使い込むようになった。抵抗すると、兄が暴力に任せて、私からお金を奪い取るようにさえなった。

そんな家族だから、私は逃げ出した。若い頃は喪に服さなくてもいい、あんな家族はもう記憶から削除すべきだと思っていた。

けれども、普通の家庭を持つ周囲の話に付き合ううちに、自分に家族がいないことはいけないことのように思えてきて、専門学校を出て就職した後から、嘘の家族の話をでっち上げた。本当のこと――母子家庭であったこと――だけはそのままに、優しい母や兄の話をさりげなく演出した。そしてそのうち、本当のことを言えなくなってしまった。いつか本当に母が死んだ時は、ちゃんと喪中はがきを書こうと思っていた私は――。

そこまで考えて、はっと我に返った。

母はいつ死んだことにするのか? まさか二か月前だとは言えまい。忌引き休みを取っても、香典を大量にもらう羽目になるから、香典返しは――いや、そもそも、忌引き休みには証明書が必要なのか? 会社や取引先になんと説明して、喪中はがきを出すのか? 

私は途方に暮れた。温暖な気候にもかかわらず、冷たい青をした海を眺めていると、次第に雨のせいか、だんだんと視界がぼやけてきた。


滲んだ商店街を歩いて土産物の菓子を買って、その日のうちに、帰ることにした。職場と知人の分、友人の分、それから恋人の分と、沢山の土産物を買って私は東京へと急いだ。列車の窓の外が段々と光が多くなっていき、都会的な街並みが見え始めた。とにかく早く東京に帰りたかった。

品川に着いたのは夜だった。私は傘も持たずにひたすら自分の住む街へと目指した。

しかし、運の悪い事に人身事故で山手線が一部折り返し運転になってしまったので、あと二駅、というところで逆回りの電車に乗らなくてはならなくなった。重くはないがかさ張る荷物を持ったまま、混雑した電車の中で、私は疲れ切っていた。

最寄り駅まであと十駅以上、会社までは五駅。友人の家までは三駅、そして恋人の住む街までは―—。

その時、携帯電話が鳴った。

私はすぐに電話を切ったあとに、チャットで「今電車の中」とメッセージを入れた。


「どうしたんだ、お前?」

チャットで彼が家に来いと言ったので、その言葉の通り、マンションの玄関に行った。彼は風呂上りらしく、タオルで顔を拭いていたが、私を見てびっくりした様子だった。

「雨が降ってて。それから、えーと……」

私はうまく事情を説明できなかった。

「今日の関東地方は晴れだぞ? Y村だけ局地的に雨でも降ったのか? いや、お前泣いて――」

私は紙袋を彼に渡して言った。

「お土産のお菓子。好きでしょ?」

「……ありがとう。早く入れよ」

私はくしゃみをした。気が付くと、さっきから鼻水が子供みたいに垂れ流しっぱなしだった。彼は首にかけていたタオルを私に譲った。

「あのね、あの……」

私はこの日、勇気を出して自分の過去を 彼に話し始めた。

私はもう、偽りの里帰りをする必要がない事に、この時ようやく気づいた。


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