ずとまよの曲のおかげで、自分なりに踊りたくなる。新参ずとまろの恥ずかしくなるかも知れない下書き
GWがおわる
もうすぐ終わる(別に仕事が休みなわけではないorz)
GWで生まれた出会いは、Twitterのスペースで知り合った人との、毎日のやりとりは、終わってしまうのだろうか
好きなアーティストへの思いを沸騰させてくれる日々は、GWでなければ、持続しないのだろうか。
不安だ。すぐ忙しい日々の呑まれて、離れてしまうかもしれない。不安だ、すこし離れただけなのに、どこか後ろめたさを抱いて、気づいたら苦手意識になって、もしかすると嫌悪に変わり得るかもしれない。あんなに没頭、浸透、充実した夜ふかしの日々が、いっぱいいっぱいな日々に持っていかれるかもしれない。
だから書く。いまのわたしの思いを、いまの自分が語れることを。この身体で感じている、頭を行ったり来たりするなにか全部を、そのまま残すことができればどんなにいいだろう。それはできない、でもささいな断片だとしても残す。たしかにそう感じていた過去を残す。GW後の自分が、読み返したら、恥ずかしくなるかもしれない。それでもいい。恥ずかしくなるくらい書く。
だってACAねさんもライブで言っていた気がする。「恥ずかしくなるくらい踊ろう」。一周年のライブでも言っていたらしい「でも、恥ずかしくなることは嫌いじゃない」と。
だからこれは、わたしなりの踊りだ。
ちなみにACAねさんは、ずっと真夜中でいいのに。(以下、ずとまよ)の作詞・作曲・ボーカルだ。ずとまよについて、知らない人が奇跡的にここまで読んでくれているのだとしたら、まず伝えたい、まじ感謝。
そして、もしよければ、この文章を読み進める前に、というか読み進めなくていいからみてほしいのものがある。わたしなんかの言葉よりまずは、体感してほしい。
わたしは、何が一番好きかって?申し訳ない気持ちもあるが胸を張って言えるのはこうだ
全部!!!!!!!!!!!!!全部全部全部!!!!!!選んでなんて言わないで意地悪!!!!!!!!!
すまん、取り乱した。でも本当だ。どれもいい。今、この文章を書いている2022年5月4日20:00のわたしの気分としては、『サターン(Acoustic ver.)』を鬼リピするお年頃だ。
はぁぁ、22秒の「u、un」ってなにぃぃぃぃぃぃぃ、ときどき入るささやきコーラスなんなのぉぉぉぉぉぉぉ、ふふふ通り越して、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁすきぃぃぃぃぃぃぃぃぃ、歌詞ぐさり刺さりすぎてもう、感情わからないぃぃぃけど、浄化される気もするぅぅぅぅ。っていうか、『あいつら全員同窓会』の歌い出し「an ダンス」もいいよねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ
すまん(以下略)
いやだからね、全部好きだけど、そのときの自分の状況や気持ちによって、欲しているものが違うから、響いたり染みたりするものは違うわけで、だから、一番好きなのは選べないので、今度から「今、高まっているのはどれ?」ってきいてほちい。だってさ、最初は、「まあまあいい曲だな」って思ってた曲が、時差で、どん刺さったりするわけ。あるいはライブ行ったり、他の人とおしゃべりするなかで、発見する魅力があるわけ。ね、深緑からのお願い、お願いだから、そこだけ、お勉強しといてよ。
でも、もしファーストテイクで、引っかかった方がいたら『伸び仕草懲りて暇乞い』についている?Blu-ray「MTV Unplugged: ZUTOMAYO」のライブ映像を部屋を薄暗くして、気持ちボリューム上げて、耳を傾けてほしい。
いや、もちろんライブで出会うのも最高だし、なんでもいい、その人に相性のいい出会い方があるはずなので、急がなくてもいい。いくつか夏フェスに参加するはずだからそこで出会ってみたり、youtubeで出会ってみたり、サブスクで出会ってみたり、歌ってみたで出会ってみたり、知人、友達や大切な人が歌っているので気になってみたり、SNSで知ったり、なんでもいい。
ただ深緑のことをでいうと、Instagramで後輩が『あいつら全員同窓会』がめちゃいいと投稿していたのをみて、聴いて、すきすきのすきとなった。
そして、『秒針を噛む』『正しくなれない』は、ずとまよの歌と認識していなかった頃から、日々聴いていたことに気づき、他の曲に潜水しはじめた。『お勉強しといてよ』の「質のいい病み感情」って歌詞なんなの、病み感情に質の良し悪しある?”病み”と”闇”かかってる?っていうか今まで病み感情ってネガティブイメージが強かったけど、それだけじゃないんじゃね、自分の偏見に気づいたわ、最高じゃね。「昨日の思い出 お洗濯したって 相変わらず 乾かないや 寒がりな季節に」ってなに? 思い出をお洗濯しちゃうの?日々の生活感と、でも生乾きしちゃうと、思い出がにおっちゃうよって気持ちと、でも清潔に生活のなかで纏うために洗濯したい気持ちと、肌寒いし、なんか寒さのせいで、さびしくなるから尚更だよねって気持ちと、もうなんなの、その表現最高じゃね。どうしよう止まらない。
『眩しいDNAだけ』のラップパート、吐息混じりの感じも含めて、日々の労働と暮らしの疲労と気だるさをこうやって拾うの?どうしようもう、ずとまよの世界から抜けられない気配がする。「犠牲にしたって本心だけ」ってなんなの、もう労働で心削られたわたしのことどれだけ知ってるの。ラスサビ?だけ「既成にしたって本心だけ」って変えてくるのなんなの、自分で勝手に本心だと思っているものは既製品かもよってこと?社会の影響を受けて作られてしまった既製品かもってこと?なんなのもう好きすぎるんだけど。ごめん言葉の組み合わせフェチなので、ごめん。でもさでもさ、呼吸音、ブレス位置、歌い上げる抑揚も最高なのよ。ライブで聞いた「満たされていたくないだ〜け〜〜〜〜〜〜〜〜」とか、目の当たりにしてみ、語彙無くなるから、身体の奥底にしまってた感情震えるから、まじまじのまじだから。ってかなんなの、生活にある呪いと祈りどちらもすくってほぐしてくれる神じゃね。ずとまよの曲があるおかげで、生活の中で自分なりに踊りたくなるんだけど、人間の業への視座もすさまじすぎるってもうほんと神。
え、ずとまよの初ライブ?が2018年だから、「お前知ったの遅くね?」って、そう、そうなんです、新参者でござる。知らないこと、知れないこと、想像しかできないこと、もう手に入らないグッズなどたくさんある。
でもしょうがいないよね、出会ったタイミングが、自分はあのときだったから。ここで書いていることも、深く長く知っている人からすると浅はかと思われるかも知れない。でも、今のわたしとずとまよの関係性はこれだ。というか、それぞれ関わる距離感の幅はあっていいと思う。
一曲だけ好きな人も、ひとりで黙々と聴く人も、MVにかじりつく人も、お酒飲みながら語る人も、作業しながらずとまろさんの声に耳を傾ける人も、書き込み専用も人も、言語化するのは好みじゃないけど身体で確かに魅力を感じている人も、いっとき離れる人も、今は離れている人も、まだ出会えていない人も、特徴的なキャラとしてSNSであらわれる人も、スペースの構造におそれや妙な同調圧力を感じてしまう人も、人と関わることに眩しさを感じてしまう人も、自分とは違う背景を持つ他者に戸惑ってしまう人も、いっぱいっぱいの中で水飲み場あるいは焚き火を求めるあなたも、パートナーとの思い出に浸る人も、歌ってみたり、演奏してみたり、描いてみたりする人も、複数のアーティストが好きな人も、関わりの幅が多ければ多いほどいい、それぞれなんとか生きててほしいじゃん。いやでも、昔から知っている人、その時からずとまよを追っている/いた人の話は気になる、聞きたい、だってさ、歴史を共にしてきたのだろうから、そこの思いは尊い。だからインターネット波乗りして、あたい想像する。
でねでね、ずとまよと出会ってから、自分自身に起こった変化はたくさんあるのだけれど、そろそろ仕事に戻らないと、GW明けの本格稼働からプルスウルトラ通り越して、バーンアウトしそうだから、仕事に戻るね、戻るよ。でもね、北海道のカナモトホールで出会ったACAねさんの「メリクリー」話とか、『またね幻』の2回「わかってる」って言葉が続くとこの抑揚とかブレスとか「鷹は飢えても踊り忘れず」2日目の涙waaaaaaとか、『CLEANING LABO「温れ落ち度(ヌクレオチド)」』ライブの『MILABO』とか、ああ、まだまだ、語りたいことたくさんあるわけ、だからね、生き急がず、それぞれのペースで、GW後も、出会いたいわけです。
あの、だから、浮いたり沈んだり、それぞれありつつ、これからもなにとぞなにとぞ。
あーあ、画一的な効率や生産性に巻き込まれる仕事嫌だな
ずっとGWでいいのに。
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