実家の家族との関係2-コロナ禍一時帰国中-
2021.9.21
これまでの私については、こちらに↑
海外駐在家族だったのが、2020年3月に、コロナ禍で母子のみ実家に一時帰国。
すでに1年半が経過。
世の中は、ワクチン接種が進んだり、第3波第4波と、何度も波を乗り越えている。
世の中の帯同家族は、駐在員とも本帰国になったり、帯同を始めたり…動いていると、思う。
でも…
我が家は
変わらない―
悔しいくらい-
何も-
前回、書きかけていた家族との関係の話を続けようと思う。
家族との関係について書き始めたのは、5月。
家族との関係を書こうと思うと、どうしても、心が辛くて。
開きたくない記憶…再現したくないあの日…
でも。
残してみる。
ある平日の夜。
「早く座って~」
「食べ終わったら、お茶碗運んでね」
「ご飯終わったら、○○ちゃんは宿題、○○くんはお風呂だよ!」
などと、バタバタしながら夕飯が終わって、明日の準備と子どもたちの方に気を回していたところ。
突然の父親からの罵声。
「洗い物くらいしろや!!洗濯物も畳んでねーじゃねーか!!」
別室でテレビをみていただけの父。
こちらは、子どもたちのことに必死なので、思わず言い返す。
「今、ご飯終わって、子どもたちのことやってるんでしょ!子どもたちをお風呂入れるのが先。暇ならお父さんやったら?お母さんも、お父さん洗い物はやってくれないって、ブツブツ言ってたよ」
すると、人を心から憎む顔で睨み付けて、怒鳴り付ける。
「うるせぇ!
お前達が来たから、母ちゃんは大変になったんだ!!!
お前達なんか来なければよかったんだ!!!!!」
私の中で、何かがブチンと切れました。
家を出て、実家にお世話になることに申し訳ないという気持ち。
自分達がいることで、家族にストレスを与えていることは、ひしひしと感じていました。
父は特に、子どもたちや私のものが目につくと「邪魔だ!」と言って蹴ってみたり、壁に貼っていた子どもたちの作った飾りを剥がされたり。
私たちの存在自体を、うるさいと感じるような素振りがありました。
だから、
なるべく音を立てないように-
なるべく部屋から出ないように-
なるべく存在を消すように-
そんな風に過ごしていた自分でしたが、自分の存在を、改めて、声に出して、否定された。
自分の実の父親に。
叫びました。
涙が溢れました。
呼吸が苦しくなりました。
子どもたちが別室にいることを、頭の片隅で考えますが、もう止められません。
なんとかしなきゃ-
震える手で、なんとか東京にいる姉に電話しました。
「お姉ちゃん、助けて。息ができない。
お父さんが、出ていけって怒鳴るの。
妹も、出ていけって叫ぶし、私たちがいなくなってほしいとLINEしてくるし(これはまた別の話になります)」
呼吸は苦しくなるばかり。
気持ちはおさまらない。
父親は、知らん顔して、部屋に戻ってテレビを見始めた。
おさまらない-
ここにいたら、私はどうなるかわからない-
これ以上、子どもたちに心配かけてはいけない-
とりあえず、傘をさして外に出ました。
外は、雨でした。
暗い中、傘をさしているおかげで、どんなに泣きじゃくっていても、周りの人に気づかれないのが、幸いでした。
はっきりした季節が思い出せませんが、冬でなくてよかったと思います。なんとか気持ちが落ち着くまで、1時間以上、外を歩いていた記憶があります。
-続きます-