涙が止まらない夜ーコロナに翻弄される一時帰国中帯同家族の独り言。
2020.10
▪️これまでの私たちの大まかな流れ
☆一時帰国
私と子どもたちが、赴任先から日本へ一時帰国したのは、3月末でした。
滞在国でもコロナが広まってきて、ロックダウンだとか、日本への入国禁止だとか、そんな話が出てきたところで、帯同家族の緊急一時帰国。
3ヶ月くらいで、コロナも落ち着いて戻れるかな。
なんて、思っていました。
だから、家族3人で、スーツケース2つの荷物で帰国。
スーツケースに入れて持ってきたものは、常夏の国からの帰国なので、とりあえずの半袖の衣類と、一時帰国用に日本から持ってきてあった長袖の上着。
それから、子どもたちの遊び道具を少し。
置いてきたものは、ランドセルやピアニカ、習字道具、絵の具。学用品のほとんどと、本や多くのおもちゃ。
滞在国の家は、ほとんどそのまま。
☆実家滞在
私たちは、実家に住まわせてもらっています。
「日本も休校中だし、そのうち戻ることになるから」と、日本で学校や幼稚園の入学もせずに、緊急事態宣言で出掛けもせず、実家の一室で過ごしていました。
「いつ戻るかわからないから、余計な荷物も増やさずに、身軽でいよう」そう心がけて生活していました。
そこからすでに半年がすぎ。
子どもは、日本の小学校と幼稚園に通い始めました。
でも。頭の中にはずっと、「いつ滞在国に戻るかわからないから」というのが、ある。
これが、結構、きつい。
6月くらいまでは、「夏には戻れるかもしれない」と思っていました。
だから、下の子を幼稚園に通わせるのも我慢し、自宅で過ごしていました。
小学生の息子には、「滞在国に置いてきた学用品があるから、なるべく物は買わないで、学校で借りられるものは借りよう」と、ピアニカも吹き口だけ用意して、借りていました。
7月になって、滞在国のコロナ感染者が増え続けていること、外出制限が続いていて、日本人学校の再開の目処も立たないことから、「夏休みの帰国は無理かな」と思い始めます。
次の目標は、2学期。
でも、2学期に入っても、感染者は一向におさまらない。
日本人学校も始まらない。
12月、冬休みに戻れればいい方かな。
でも、インフルエンザの流行る時期だから、熱だしてコロナを疑われるのも嫌だなぁ…
なんて、思っていました。
滞在国に戻る目安としては、
①医療がコロナ前同様に安心して受けられること。
もともと医療の脆弱な国でしたので、コロナに伴う医療崩壊、日本人がコロナにかかったときにしっかり治療ができるかどうかというのが心配でした。
今も、感染者は増え続けているので、医療崩壊が心配されるようです。
②日本人学校が再開されること。
のちにオンライン授業が始まりましたが、日本から新しく赴任される先生方も入国が出来ず、オンライン授業が始まるまでにも数ヶ月かかりました。
今は、オンライン授業を行いながら、登校再開を目指して準備してくださっているようです。
③両国において、入国後の2週間隔離がなくなること。
これは、いつ実現されるのかわかりませんが。医療の脆弱な国に住んでいたので、子どもや私たちが怪我や病気をするのがとても怖く、「子どもたちや私に大きな怪我や病気があったら、日本に緊急帰国して治療しよう」というのが、心の支えでもありました。
今の2週間の行動制限があるうちは、何かあっても日本に緊急帰国して治療ということができません。
小さな子を抱える身としては、渡航を躊躇する事由としては、充分です。
この3つを満たすのは、なかなか難しいでしょう。
今年度は日本で過ごして、来年度の始めには戻れるといいな。
今は、そう思っています。
同じ時期に本帰国した友人たちは、すでに本帰国を決めて日本での生活基盤を固めている人も多いです。
でも、私たちは戻りたい。まだ、諦められない。
だから、本帰国をせずに、待っているんです。
安心して、渡航できる日を。
でも、つらいです。
いつになるかわからないまま、母子でこの生活を続けることに。
先が見えないつらさは、心に重くのし掛かります。
だから、たまに耐えられなくなって、涙が出るんです。
普段は、子どもたちもいるし、日々におわれているので、考えすぎないようにしています。
「先の見えない生活は、つらい」
やっと最近、この感情を自覚できるようになってきました。
日本は、withコロナで、日常生活に戻ってきていますが、私たちのBeforeコロナの日常は、ここにはないんです。
置いてけぼりの気分です。
今日は、ここまで。