花咲団地テレビ局
1.
古い団地の1室、ドアには「花咲団地テレビ局」という表札がかかっている。中にはマイクやカメラ、録音機などを持った3人の高齢者達といかにも学生風の男女がPCのモニターの画面を見ている。テレビ画面には部屋の中でマイクを握りしめている女性が笑って話している。
「花咲団地は住民のクラブ活動が盛んですが、本日は社交ダンス・クラブ『青きドナウ』をご紹介しました。ご興味のある方々は集会所の掲示板のご案内をご覧ください。それでは皆さん、又、来週。アナウンサーの神林弥生がお伝えしました」
番組の終了を伝える音楽とスタッフの名前が画面に流れて終わった。
「苑子ちゃんと京平ちゃんが編集を手伝ってくれるんで有難い。我々だけじゃあインタビューして撮影することはできるけどさ。編集なんかお手上げだし。この分ならネット放送も夢じゃないねえ」
DIRECTORと書かれた帽子をかぶり、手に紙を持った大井六郎がうれしそうな顔をして言った。
「本当ねえ。私の声もきれいに聞こえるし」 弥生も上機嫌だ。70代後半よりだいぶ若く見える。
「補正してあるせいか人の顔も明るくみえるなあ」 とカメラを大事そうに抱えている東本守が続けた。
「僕らも大学の地域再生ゼミで地域コミュニケーションを研究していますから、花咲団地テレビ局の活動はぴったりなんです」六原京平がにこにこして言った。明るい若者だ。
「ネット放送と言えばyoutubeの個人チャンネルは無料だし、特別な許可もいらないので始めるのは簡単なんです」今時の美人と言えなくもない四谷苑子は真面目な顔をして続けた。
「へえ、そりゃあいいなあ。『モナコ』なんか参加希望者が殺到しそうじゃん。この団地の入居希望者もふえるだべ」
六郎は元SMAPの仲居君の神奈川弁をかっこいいと想っている。
「でもね。大井さんが自分の名前で開設すると、何か問題が起きた時に大井さんが全責任を追求されます」
「苑子ちゃん、怖いことを言わないでよ」
「まあ、僕らも良く分からないんで少し調べますよ。授業があるんで僕らはこれで失礼します」
2.
学生達が出て行った後で、お茶を飲みながら、弥生と守がつぶやいた。
「ネット放送はともかくテレビの取材は続けるのよね」
「今までどおり、録画したものは2日後に希望者に見せて意見をもらうんだろ」
ディレクターである自分がリーダーシップを発揮しなければと六郎は思った。
「ネット放送を始める前にテレビ番組制作の経験を積まなきゃな。明日の午後は花咲団地カジノ・クラブ『モナコ』の取材をして、来週は美容とオシャレクラブ『グレースとドロン』を取材しよう。神林ちゃんなんかアイデアある?」
六郎は誰でもちゃんづけで呼ぶ。そのほうがテレビのディレクターらしいと思っているのだ。
「ディレクター、『モナコ』については何回も取材していますから、何か新しいニュースはありませんかしら」
「住田ちゃんがバカラと007ジェームズ・ボンドについて話したいと言ってたぜ」
「それはいいな。来週の映画会は何を上映するか、二木さん、悩んでいましたからねえ」
守はちゃんづけはちゃらく聞こえるのできらいなのだ。
「東本さん、映画会と『モナコ』はどんな関係があるの?わたし分からないわ」
「住田さんにバカラについて少し話して貰って、来週の映画会でバカラが出てくるボンド映画を上演すると言ってもらうんだよ。 男はボンド物が大好きだからなあ。ディレクターもそうでしょ」
「ルーレットやポーカーに比べるとバカラは知らない人達も多いわ。特に女性はね。説明を聞いても面倒だと思う人もいそう」 弥生は顔をしかめた。
「『モナコ』は本当のカジノじゃないから現金を賭けないじゃん。ディーラーやカジノ・ガールもみんな素人のボランティアだしさ。日本じゃ博打はご法度だから当然だけど、スリルが少ないから楽しむためには想像力が必要なんだ。華やかな国際スパイになった気分にでもなれたら楽しそうだぜ。最近のボンド映画では女性スパイも活躍するからな。女性も楽しめると思うぞ。神林ちゃん、東本っちゃん、早速、住田ちゃんと二木ちゃんに連絡しようぜ」
3.
カジノ・クラブ『モナコ』の開催日の朝。集会所の中にはルーレットやバカラの台が並び、ディーラーの服装をしたり、ミニ・スカートをはいた高齢者達が客を迎える準備をしている。ディーラーの住田直樹と花咲団地テレビ局のクルー3人および車いすに乗った二木敏行が話している。
「住田ちゃん、バカラのルールを簡単に説明してくれないかな。それから、二木ちゃん、来週の映画会でバカラが出てくるジェームズ・ボンド映画を上映すると言ってよ」
「大井さん、バカラの説明は5分くらいで良いですか?カジノの女王と呼ばれるゲームだから、幾らでも話すことはあるけどね」
住田は六郎のなれなれしさが気に入らないが、ディーラーらしく表情には見せない。
「視聴者が飽きちゃうから5分程度で良いべ。バカラの詳しい説明は映画会でしたら良いじゃん。ね、二木ちゃん」
「ああ、ボンド映画はどれもこれも似たような話だから、男ならともかく女性には退屈かもしれん。ボンド映画の違う視点からの楽しみ方として、バカラがなぜカジノで人気があるのかとか、どんなにリスクが高いかとか、ヨーロッパ貴族が楽しんできた歴史なんかについて住田さんも少し話してくださいよ。映画会ではボンドがなぜバカラをやる破目になったか俺が説明するから」
二木はノートにボールペンで書き込みながら大声で言う。少し耳が遠いのかも知れないが、自分も似たり寄ったりかも知れないから誰も指摘しない。
「それは面白そうですわね。ヨーロッパの貴族が出てくる映画をもっと上映して下さいな。二木さん。日本の女性はやっぱりヨーロッパ貴族の絢爛豪華な生活に憧れているんですから」
「『山猫』なんかぴったりだよな。若い頃のアラン・ドロンの美男ぶりが楽しめるし、監督のヴィスコンティ自身がイタリア貴族で出演者には彼の知人の本物の貴族が沢山出たそうですからね」東本が言った。
「話はどんどん広がるな。しかし、とりあえず午後の『バカラ』と『モナコ』についての取材計画はこんなもんでいいかな」
「さすが、ディレクターだね。まあ、まともなカメラはこれ1台しか無いんだから、撮れる絵も決まってくるしね」
六郎に渡された紙を見ながら守はお世辞を言う。六郎の行動力には感心しているのだ。
「住田さん、バカラを遊ぶ方って男性ばかりじゃありません?単調なシーンになりそうね」
「いや、いや神林さん。それこそバカラの女王の敬称を差し上げたいような堀川さんという女性がおられるんですよ」
「まあ、素敵。ぜひ、ご紹介下さい。お話はおできになる方ですか?」
「いわゆる口八丁手八丁という人でね。話し出したら止まらないんですわ。彼女が大きな声でわあわあ話しているうちに我々ディーラーが混乱するのか、彼女が勝っちゃうという不思議な女性です」
「住田ちゃんがそれだけ感心しているんだから、そうとうな大物だね。男で面白いのはいるかね?負け組でも良いんだけど」
「ここじゃ本当の金は賭けてないからね。深刻な話はあまり無いけれど、途中でパタッと寝てしまう向井さんという人がいますよ。僕に寄りかかって来るんだ。なるべく距離を置いているんだけどね。車椅子だと具合の良い場所はきまっちゃうから」二木がうんざりした顔をした。
「二木さんに迷惑がかからないように、わたしも気を付けてはいるんですが。向井さんは自分勝手だからな」
ボケが始まっているんじゃないかと言いかけて六郎は口を噤んだ。
「へえ、のんきな話ですね。僕がマカオのカジノで見かけた奴は目が真っ赤で手がぶるぶる震えてるんだ。酒に酔ってるとか睡眠不足っていうよりも博打中毒という感じでしたね。あんな人間は日本じゃ見たことないな」守が言った。
「向井さんはむっくり起きて大金を賭けるんですが、これが大当たりすることがありましてね」
住田の話に二木がうなずく。
「ユニークな方達が多いんですのね。視聴者も喜んで下さりそう」
「弥生ちゃんもずいぶん上手になったから面白い話がきけそうじゃん。それじゃ、住田ちゃん、二木ちゃん、又、後で。俺たちも行こうぜ」
4.
花咲団地テレビ局の部屋で3人のクルーと学生達が話し込んでいる。
「Youtubeには限定公開という特定の人達だけを対象として情報提供を行う方法があるんです。これがサロンです。花咲団地の住民だけだったら、この方法でできるんじゃないかしらね。六原君」
「現状では、これが良いと僕も思いますが、何か問題が起こった場合に備えて試験運営にしましょうよ」
「試験運営って具体的にはどうするの?」マイクを持て遊びながら弥生が学生達に聞いた。
学生達も詳しくは知らないようで、Youtubeの様々なチャンネルを見せてくれたが、高齢者達にはぴんと来なかった。
「大井さん、2号棟の上原さんは元弁護士じゃなかったかな。とりあえず相談してみようよ。団地に住んでいるんだから金儲け主義じゃないだろう」
カメラを大事そうに抱えた守が良いことを思いついたというように言った。
「どちらかと言うと人権派じゃない。最初は無料で相談に乗ってくれるかも」弥生も賛成した。
「わたし達も大学の先輩や先生に相談してみますね」
「そうだな。20日の15時にここで情報を持ち寄ることにしよう」六郎が締めくくった。
5.
京平と苑子は部屋を出て、団地内の自分達の部屋に向かった。この団地にはエレベーターが無い。4階、5階はがら空きなので、苑子と京平が通う大学が目をつけて学生達に紹介している。大学までは自転車で15分程度で家賃が割安だからそこそこ人気がある。
「ねえ、四谷、あの『モナコ』ってカジノ・クラブやばくないか」
「そうねえ、今みたいにこじんまりやっているんなら大丈夫だと思うのよ。でもネット放送なんか始めちゃって、本当の放送局が取材に来たりしたら、悪い人に目をつけられるかもね」
「さっき言ってた元弁護士を顧問にするといいと思うんだけどな。俺」
「そうね。ここで遊び方を覚えて海外のオンライン・カジノなんか始める人が大勢でたら困るよね。六原の言うとおり顧問弁護士は老人クラブにも必要かもね」
「社会学の良い研究テーマになるかもな。老人クラブ活動と疑似ギャンブルって」
2人は笑いながら、肩をすくめた。あまり本気ではなかったが、何か怖いような気がしたのだ。