「ありがとう」と思い感謝を贈る、恩贈りな生活【丁寧な暮らし~No.47】
こんばんは、フクちゃんです。
タイッツー、非常に良い感じです。穏やかなつぶやきばかりだし、空間が暖かい。ひとこと「おはようございます」と書き込んでも、2桁くらいの「イイね」が付くし、知らない方からもおはよう的なスタンプが贈られてきます。
私もちょっと気が向いた時にタイッツーを開き、「このつぶやき、なんかイイ雰囲気だな」と思うものに「イイね」したりスタンプを贈ったりしています。
noteも非常に良いSNS(なのかな?)で、考えをまとめたいときや、何か記録を残したいときに書きます。タイッツーや、Xなんかはタイムラインでそのまま流れていくし、タイッツーはレコメンデーション機能が無いので、時間がすぎたつぶやきは容赦なくもう忘れされられていきます(苦笑
逆にその機能が良くて、ほんと呟きたいことをのんびり呟いて、一定期間後はまったく残らないところに、刹那感という日本らしい感じがします。
さて、上記に書きましたが「スタンプを贈る」とか書きましたが、普通の漢字としては「送る」でも良いかもです。でも、私はあえて「贈る」を使ってます。
贈る、贈与するという意味ですね。
この恩送りという概念、確か昔noteに書いたなーと思ったら、ありました!!
実に2022年3月。そう、ちょうど私が大学院(40歳を超えての卒業!)を終え、無事知識科学の修士号を取ったときです。
懐かしいなぁ、、、
そして、、、
文章がつたないなぁ、2.5年前!
私の論文での主張(というか科学実験を通じた証明)は、「恩を贈るという行為をするだけで、自己効力感が上がる!」ってことです。
自己効力感についても、こちらのnoteで書いてました。
上記note、めっちゃよく書けてます(自画自賛
でもこういうアカデミックな文章って、最近の人にはなかなか読まれないというか…
以前偉い人から「こういうテーマで論文書いて」と言われwordファイル50ページくらいの論文書いたら「ちょっとアカデミックすぎて、全部読めなかったww」と言われました。
いやぁ、あなたT大学出ているし、年齢的にはハードボイルドな文章が読める骨太な世代でしょうが、、、
なんて思いましたが、ともかくともかく
以前の主張は「ありがとうと思い、その気持ちを贈る。もしくは他の人にでも良いので、ポジティブな感情を伝える」ってだけで自分自身の自己効力感が上がると言う主張。
今日はそのきっかけの部分
ありがとうと思うことをどう習慣づけるか
です。
世の中には色んな仕事があって、色んな人が働いてますよね。
街なかには工事している人や建物を建てている人が居る。ちょっと怒鳴り声がしたりして怖いですが、彼らが居るから家が建つ。感謝。
私はサスティナビリティに興味あるので「サーマルリサイクルなんて要は焼却処分をしているユ〇クロの服は着ない!」と思いつつも、あの暖かいヒートテックや、ストレッチ性のある服を作ってくださっているユニ〇ロさんには感謝しかないなぁと思ってます。
駅には、我々の安心を守ってくれている駅員さんが。
コンビニには、言葉もつたないのにちゃんと接客してくれる外国人の店員さんが。
スーパーのおばちゃんも頑張っている。
色んな人が仕事を頑張っているから、我々の生活が成り立っているんですよね。
それだけで、それを頭の中で思い浮かべているだけで、人々に感謝できる。
そして、自分も他の人に良くしようと思える。
その恩を贈ることで、自分にもいいこと(自己効力感が上がる)がある。
そりゃたまには悪い人にもぶつかります。悪い人もたくさんいます。私はそれに触れたくないから、Twitter(現:X)を辞めました。ワイドショーなんてもう数十年も見てません。
悪い人との接触を避け、もしぶち当たったとしても、運が悪かったと諦め、またいい人に目を向ける。
そういう習慣を繰り返すことで、より幸せな生活が出来そうだなって、そう思うんですよね。
「ありがとう」と思い感謝を贈る、恩贈りな生活
新しく始めたタイッツーだと、それをより感じることが出来ます。そして、社会にも感謝を。
世界は、そう悪いもんじゃないなぁ
ってね。
今夜はここまでです。
タイッツーでも書きましたが、暑くなったり寒くなったりで体調を崩してます。この週末で、なんとか治って欲しいなと思います。皆様も、体調管理によろしくお願いします。
ではでは!!!
合掌!!