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空想友達とSNS
2/2の日曜朝、サンドイッチとコーヒーの朝ごはんを終え、久々にnoteを綴ってます。
あっという間の2025年1月。先のnoteでもつぶやいたけど、1月だけで長距離移動が9回。奇数回という中途半端は、最後の1回が2/1(土)の北の地からの帰り道だったから。ちなみに私にとっての長距離移動とは、うちから目的地まで2時間以上かかる移動のことを指しています。
※タイトル画像は、私が毎年初詣にいく江島杉山神社です。都会の真ん中の神社
とくに、先週は京都への"日帰り"出張も入り、毎週どこかしらに移動していたなぁ。2月も、すでに来週また実家に帰ることになりそうなので、それ以降はちょっと長距離移動は避けて過ごす期間をもうけたいなって思っています。
ここで、冷めたコーヒーをレンジで少し温めて、ちょっとこの1月に考えたことを。
空想友達、イマジナリーフレンド
Google Geminiによると
イマジナリーフレンドとは、本人の空想の中で存在する架空の友人です。本人のみが見聞きでき、実在するように感じますが、周囲の人間には確認できません。
とのこと。
私は、SNS上で触れ合っている方々が、ある意味のイマジナリーフレンドです。当然、SNSのアカウントを持って呟いたり作品を上げたりしている人達はロボットではなく、実在する人達。
私がフォローする方々は、どなたもそれぞれの個性があって、どこか楽しかったり、人間らしい不完全な一面があったり。
それでもイマジナリーだなと思った理由というのが、やはりその呟きや作品をみながら「この人って、こういう性格しているのかな」とか想像して、その人の全体像を補っているからで。
リアルで会う友達は、その場で会って話しているので、色んな情報が手に入る。私は人を感じるとき、話している内容というよりもその人の目の動き、口の動き、聞いている時の姿勢、手の動き。アクション、リアクションとか。それらを活用し、その人を理解するとともに、それを含めたその人の見た目全部を通じて、その人の解像度を上げていく感じでしょうか。
SNSだと、やはり文字により理解することが多く、それ以外やもしくはその文字を綴っているときの本心であったりが、なかなか手に入りづらいなって。なので、目に見えない・空気を感じられないところはどうしても空想で補うしかないなって、そう考えています。
それが良いことなのか、悪いことなのか。そんな問題でもないなって。
リアルで会う友人は、当然何かトラブルがあったときとか近くに来てくれて助けたりしてくれ。美術館やその他イベントなんかも一緒に行ってくれるので、やはり人間性が分かりやすい。
SNSで仲良くなった人も、日ごろの呟きやnoteにも返信をくれたりして、そこにも優しさを感じる。さらには、文字だから分かりやすいというか、的確なアドバイスもくれたりして。
そして何よりも、リアルで人と会うのは結構、大変なことだ。東京に一人出てきて、普段は仕事をして。家族も居るので、休日に友人と会うっていうのは、もうそれだけで一大イベント。
そんな中、SNSはそのスキマを絶妙な距離感を持って埋めてくれる素敵な仕組みだなって思っています。
そうそう、私、一時期メタバースというのにハマっていて、平日夜や休日にそのメタバース(Cluster)にどっぷり。そこで知り合いも出来たし、音声を解放していたのでそこで会話したりもしていました。相手は東京に住んでる人だけでは、当然ない。
その距離感を一気にゼロにしてくれ、コミュニケーションが取れる。
SNSも文字だけ(動画上げている人も居るけど、動画で双方向コミュニケーションは難しい)だが「ゼロ距離」・「ゼロ時間のズレ」でコミュニケーションが取れる。
ホント、良し悪しはあろうが素敵なツールだなって。
人間ってのは物理的存在なので、デジタルの中だけでは生きられない。寝ないとダメだし、食べ物も食べないといけない。でも、人とのコミュニケーションはより多様で。
便利だからこそ抜け落ちるなにかをイメージで補いつつ、その友達とも仲良くできるなって。
1月移動ばっかしてて、その移動中にXだったりタイッツーSNSで呟いている中、思いました。
今日はこんな感じです。
noteも、やもすると独り呟きになりがちです。
ここで、なんとかコメント機能なりを使って、より多くコミュニケーションを取ることが、長時間の物理移動をせずとも、人の温かさに触れることをしていきたいなって、思いました。
ではでは!!
合掌!!